死にたいは生まれ変わりたいの気持ち

死にたいと、思って生きてる人は、ほんとうの意味では居ない。
そのように実感した体験が、最近ありました。

自分が嫌になる。
死にたい、消えてしまいたい、どうしようもない。

そんなふうに言ってる方の、心の琴線に触れたのです(‘ ‘*)

「ほんとに死にたいの? 今、ここで終わらせてあげることも出来るよ。でもそれを望まないのでしょう?」

そんなふうに話しかけてみました。

過去の私です。話してるのは目の前の誰かです。

そしたら、こんなメッセージが返ってくるのです。

 
「私は、あんあふうに生きていたかった… 人生やりなおしたい」と

 
そのとき思った。
死にたい、の根底にあるのは、生まれ変わりたい想いだった。

希望を見出すための言葉だったのだ。、と。

 
私はそっと目を閉じ、過去という過ちから学び
未来に目覚める時、メッセージを送ったのでした。
 

「ここで生まれ変わることが出来る…」と。「生まれ変わってください…」と。

 


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必要な学びが次から次にやってくる

在るがままの自分…
今まさにその時の本音をさらけ出しました。

 

すると、どうしたことでしょう(o _ o。)
必要な学びが、次から次にやってきています。
自分でもびっくりしています。。。

これが、宇宙の取り計らいなのでしょうか。

 

現実には、私が本音の思いを発したことで
今の状況を助けてくれる考え方、ことば、情報が、
人生の先輩方から教えて頂くことができたのです。

さらに、実は身近にあった解決策に気づくきっかけもありました。

え?このタイミングで???

 
のような、びっくりするくらい上手く回りだしていってる。
こんな体験は初めてのことです。。。

 

実際には、もしかしたら今まで気づかなかっただけかもしれません。
それか、自分を良く見せようとか、プライドが、素直になることを阻んだため
宇宙から必要な学びが届かなかっただけかもしれません。

 
本当の自分をさらけださないと、相手のことがよく見えない。
かつて画面越しの対話に慣れてしまってたためか、
目の前にいる人の気持ちを、必要としてくれる方の思いを
そして其処はこうじゃないか?と、正してくださる方の心を

よく見えてなかったのに気が付きました。

 
だっって、考えられますか?
目の前の大切な人たちの、思いすら汲み取れない。
こんな自分ですよ。。情けなくなりましたよ…(o _ o。)

大切な、もっとも大切な、想いを
無駄にしてたということではないですか…

こういうサイト運営していながら、何一つ分かってなかったですよ。

 

見えてないから、存在に気づかない。
見ようとすることも出来ない、分かろうとすることも出来ない。

その結果が、今ですよ。口だけという結果です。

 

画面越しに頑張ってはいたんですけどね。
空回りしてたんですね。

だって、目の前の人のことすら、分かろうとしないのだもの。
それより遠くの人のこと、分かるはずがない。必要な言葉を、投げかけられるわけがない。

それは、誰も見向きもしないはずです…(o _ o。)

 

習ったこと、実践して、記録するだけの、
ただの記録倉庫に終わってました。

しかも聴いたことを、そのまま記事に書き起こしただけのものもありました。
自分の言葉じゃない、言葉に責任が持てないという、宙ぶらりんな状態のもの。

そんなコンテンツが、そんな文章が、目の前に流れたところで。
そこに、存在する意味はあるのか? という話ですね。
むしろ、恥ずかしいです。。

この言葉は、別の人の言葉。
別の人のコンテンツ。だからオリジナルじゃない。
私じゃなくてイイ。

 

ベジガーデンさんや博多玄海さんの料理教室で撮らせていただいた写真も
私のページのコンテンツとして幾つか掲載させていただいてはいますが
コレも元はベジガーデンさんや博多玄海さんのコンテンツなのですよ…

今まで、見落としてたことだったんですが。。
なんてことをしてしまってたんだ!って猛反省でした。
これは、私のコンテンツではなかったのです。

 
やはり習ったことはそのままアップするのではなく
自分で実際にやってみて、それを改めて写真をとり、記事にすることが大事だと。

気づかせてくださいました…
そうして初めて、自分独自のオジリナルと認めることが出来る。
情報サイトを運営していく身としても、貴重な学びだったように想います。


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必要とされる存在

本音の対話
 

昨日はお騒がせしました(o _ o。)

思い切って内情をあるがままに話してみましたところ、
おかげで気持ちの整理も少しずつついてきてるように思います。

こういったサイトを運営してると、
ついカッコつけたくなったり。
そういった言い回しが多くなりがちだったのですが。

本音をぶつけることが大切なのだと気が付きました。
だから、必要な気づきをみんなが与えてくださいました。
 

画面越しのやりとりだと、顔が見えない分。。
どのようにも自分を演出することが出来るし
それは相手も同じこと、お互いにわかったつもりになって

実は、心の内側までは真に理解できない。
だから、ネット上で情報を伝えるにしても限界があるし
わかったつもりになって、かえって良くない結果に終わってしまうことも知りました。

 

以前お世話になった先生にアドバイスを頂いたのが

「顔と顔を合わせる大切さ」

 
それから

「自分の持つスキルがどのように社会に役立てるか」

 
それらを考えることだって。

 

実際に顔を合わせての対話。

 
今までは、

ネット上で完結するんだし、人とやりとりするのが面倒…とか
わざわざ企画するのも面倒、コレでいいや….

ばかり思ってたので。
ホント、何も出来てない状態だったのですね。

言い訳だったですね…

 

今後の展開について

思えば、私ができることで
何か世の中に役に立つことはないだろうか…と考えてみたら

 
【美人料理のレシピ】
玄米の炊き方ひとつから直々に「料理教室」をひらいて教えるとなったら
必要としてくれる方は居らっしゃるかな。。。

とか

 
【暮らしのアドバイス】
実際に私も克服したから
アトピーや原因不明の不調で悩んでる子の力になってあげられるかな?

とか

 
【簡単な身体のケア】
肩こりや腰痛で悩んでる方に、症状の解消をお手伝いできるなとか。

これは、私がよく行く飲み屋さんで、
お客さんに簡単なケアをしてあげると、驚きの表情とともに喜んでもらうことが多く。
いつも必要とされてることに喜びを感じたりしてます。

 

そうか、私を必要としてくれる方がいる。
そして必要としてくれる方からお金を頂くことができる。
だから私は今まで生活できるようになってたんだ。。

 
必要とされることが、私に存在を許してくれる。
こんな当たり前なことに、気づけたんです。

助けることは、助けられることと同じ。って。

 

考えてみたらその通りで
実際に会って、その方のお役に立てて、お金を頂けるという体験をしてたら
ホントに自然に感謝の心が湧くというのに、とても嬉しいことなのに
もっと貢献したい…と心から思えるようになるのに。

どうして、気づかなかったのでしょう。

 

ずっと画面越しのお仕事だった。
人の顔が見えなかった。

報酬は、画面越しのクライアントが払ってくれるけど。。。
あまり実感がわかなかった。

 

雇われ時代でも、給料は会社から出て、
他の場所の作られた商品をただ売るだけに感じてたから

 

【誰かが必要としてくれた ⇒ おかげで私はお金を頂いて生活出来てる】

という図式が見えなかったようなのです。

 

なんということでしょう。
人の顔を見なかったばかりに、もし目先の利益を追いかけてしまったら。。。

過去の記事 ⇒ お金が蔓延する社会

 
この悪夢の循環に流されてしまってたということ。なんということでしょう…
人を見ない、画面越しの作業こそ、歪みの原因を担ってたのですね。

 

今回、とても大切な気付きだったように思います。

私を必要としてくれる人が居る。
だから私は生きていけるし、生きられる事自体に有り難みを感じるんだって。

そうやって色々な存在に必要とされて、一財を築けた人は、とても立派な方なのだと。
資産家という肩書に対し、これまでのような偏見を持たずにもなれそうです。
お金をありがたく受けとることが出来るようになれそうです。

 
大切な学びをもたらしてくれたみんなに。
宇宙にありがとう(uu*).。.:*・゜


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何を考えてるのか分からない

人が何を考えてるのか分からなくなる。

普段は想像で、相手の立場に立って、こうなのかな?ああなのかな?
イメージしながら、理解しようと努めるのだけど。

そんなのが一切通用しないケースがあることがわかった。

恐怖だ。。

 

相手の目線に立つのが怖いのだ。

予想だにできないその目線が、何を見てるのかどう見てるのか。

理解するのが怖いのだ。

 

人のことを分かろうとするほど、恐怖を感じる場合があるということを。

知った、とても貴重な体感だった。

 

解決策はない。

全てを受け入れるしかない。

なるほど、と思った瞬間でした。


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ありがとうの効果

ありがとう、ってスゴイですか?
最近、よく出回ってる、言葉。

気付いたら言っちゃうよね。

 

そう、

誰が言い始めたかわかんないけど。
「感謝します」でも「どうもです」でもなく

ありがとう。

 
この5文字が、幸せになる言葉だそうですね。

 

効能を期待されて、惜しげも無くこの声を発せられてる人が居ると。
ああ、と溜息が漏れそうになります。

 

その筋の人、
ありがとうを言わせられてるようで怖いんですよ。
心から言ってもないのに、想念の錯覚ですか?
誰に言わせられてるですか?

ひとまず、自体がいい方向に進むようですね。

 

私が偏屈なんですかね、疑り深くなってるんですかね?

大丈夫なんでしょうか。。

 

 
─────────────────────────────
 
ありがとう
苦難な時ほど
有り難し

気付くといえど
空をかすめる響きかな
 
─────────────────────────────
 

私は、好きではない。
他人の言葉を、やみくもに呟くのは。

だから、本心でしか絶対に言わない。

 

他人の言葉と知らずに使ううちは、
どこかで重要なタイミングをずらされても、
もはや文句は言えない。

 

彼らの存在に気付くこと。

ありがとうの言葉。

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