そういえば、以前アトピーだったんですよね。
湿疹とかひどい時期があって、どんなにしても治らなかった。
そんとき、お風呂はだいぶ入念に洗ってた時期がありました。
石鹸はマズイって聞いてたんで、お湯で。お湯だけで。。
。。。
今まで一応治ってたのが;
先日、また足の付根に湿疹ができてて。
あ〜、かゆい。そこお湯で洗ってたんですよ。
そしたら、なんか血液の巡りが良くなったのか、余計に痒くなりだして…
「あ、これは!!! お湯が原因か!?」
お湯がマズイ!と。悟った。
その後、冷えるけど、水で洗うようにしました。
嘘みたいに、痒みが引いた。
「水だ!」
そう、水なのです。
肌には、皮膚の保護膜がついてる。皮脂膜。
これ、熱いお湯だと皮膚のバリアが剥がれ落ちてしまう、しかも肌を刺激して痒みを引き起こしてしまう。
お湯が、乾燥と湿疹と老化の原因なのだ!と悟ったのでした。
「水だ」
洗うのは、水だ。
顔を洗う時も、髪を洗う時も、身体を洗う時も、水。
水なら、肌が老化しない、いつまでもみずみずしいままで居られる。
そういえば、水風呂のあとは身体が温かく感じられるようだった。
水風呂や。
お湯は辞めて
水風呂や。
一句(。0 _ 0。)ノ
お風呂は水だけにしときます。
肌の感覚がすーぱーみずみずしく若返るスペシャル。
あ、でも寒い!
とりあえず37度ぎりぎりの湯船で温まって
水で洗い流して肌を引き締めることにします(‘ ‘*)
葉っぱさん(‘ ‘*)
すごいよ。8月初め頃から摘みたての月桂樹(ローリエ)の葉っぱを水差ししてたのですが
水に漬けてる所、葉っぱが綺麗な緑色のままなのです!
2015/ 9/22 14:38
すげー(。◕ ∀ ◕。)ノ
水の中ではいつまでも肌がみずみずしいまま!
というコラムを所々書いてましたが、その裏付けの1つが目の前で再現された!
そーか。やっぱり水がないと干からびるよね。
水があれば、葉っぱはいつまでも守られて、みずみずしいね。
2015/10/ 5 20:17
2015/10/ 5 20:17
そういえば、お魚さん。年をとっても外見綺麗なまま。
人魚、不老長寿と呼ばれてるのも、水の中に棲んでるからか!
と、彼女と二人で盛り上がってました。
「あきさん水の中に棲む?
お願いだから人間辞めないでね。魚人にならないでね(✿0 ‿ 0)。」
「いやいや樹を植えたらいいんだよ。そしたら霧でぶわ〜って。
水の中のように生きていける。樹だ、樹(‘ ‘*)!」
こんな会話。
いや〜、夢が広がるわ〜。
婚約指輪を買いに行きました(。◕ ∀ ◕。)ノ
実は、母親に借金してたのですよねー。うん十万ほど。
返しに行ったら、突き返された…(‘ ‘*);;
「あんたこれから物入りでしょう? そのお金を使いなさい!」
って。
いやそこまでしてもらわなくていい!
「これは母のお金だ!」と再び突き返したら、
まぁ、お互い頑固なことw
結局、十万円返した残りは、戻ってきた。
ああ、今後の資金になるのかー(‘ ‘*);
まぁ全額返しても問題なかったんですけどね。
余裕を持っておけというコトでしょうか。
で、指輪を無事に買えて、御礼の言葉を彼女からいただき、その後のお話。
「今日、指輪買いに行くことお母さんに報告した?」
「いや、今日買い行くとは言ってない」
「なんで言わないの? 私からお礼の連絡して、今日のこと初めて知るって何か変じゃない?」
(‘ ‘*):::
「さいで・・・;;」
「もぅ! この指輪買えたのも、お母さんのお陰でも在るんだから! ちゃんと報告してあげて! じゃないとお母さんが可哀想…」
「申し訳ない・・・(o _ o。)」
アレですね。弁解の余地がないですね(‘ ‘*);;;
ちな、これが社会人として最低限の礼儀だそうです。
それが、出来ていない彼氏さんだそうです。
あの子にとって、前途多難ね(‘ ‘*);
「身だしなみ、連絡相談報告。この2つ、あきさんしっかり!」
(。0 _ 0。)ノ
今時、しっかりした子じゃ(‘ ‘*)
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- 人間関係, 日常のこと
- 2015年10月04日
彼女からこんなことを云われました。
「身なりをきちんとして欲しい」
ボサボサの髪
ねぐせ
ひげ
たまに鼻毛
また同じ服
(‘ ‘*);;
曰く、外見に無頓着すぎだったようだ。
確かに行き過ぎな部分はあったかも。
「ピシッとすれば、あきさんだって少しは見れるのに!」
気が気でない様子、どうも余計な心配をかけておったのだ(‘ ‘*);;;
申し訳ない!
ちな、うちは全く外見に気を使ってないわけではなく。
むしろ、ある面ではかなり気を使っている。
ボサボサの髪はトレードマークだし
寝ぐせはその日の芸術品(。0 _ 0。)ノ
ひげは勝手に伸びるダンディな象徴で///
鼻毛は外の空気が汚れていることを素直に教えてくれる
服は、黒一色あればいい(。0 _ 0。)ノ
そんな感じだ。
こういう自然(?)な状態から
如何に地力、素の美しさを磨いていくかに余念がないのじゃ(。0 _ 0。)ノ
(笑)
話変わるけど、うちは彼女に「すっぴん」が断然イイと言っている。
実際、あの子はそのままで実に綺麗な顔立ちなんだ。
安易に化粧しないほうが、素の魅力がそのまま見れて美しい。
で、素をそのまま見れるからこそ、その子の内面もクリアに見れるようになって
何をすれば肌(心)が喜ぶのか、何が足りないか、或いは過剰なのか、
はっきりと見て取れるようになる。
その子の状態に合わせて、ちょうどいい塩梅で料理が作れたり、お茶を入れたりできるわけ。あるがままをさらけ出してくれたら、それにピッタリな暮らし方を提供できるんだ。
うちの出来る範囲ですらこうなのだから、
素直になれば、もっと関わり深い方たち、動物さんたち、自然さんたちから得られる恩恵は、もっともっと素晴らしい物になる。自分に見合った恩恵を、たくさん受け取れるようになる。
だからある意味、ありのままの方が素晴らしいんだ。
再び、自分の事に話を戻すと
確かにひげが残ってたり、鼻毛が伸びすぎたりするのはだらしがないと思う(‘ ‘*)
でも、自然体で無頓着な自分にとって、伸びるのは自分がケアしないせいではない!
ムダ毛が伸びるのは、まわりの空気が汚いせい、生活を脅かすものに溢れてるせいなんだ。
だからこのままではいけない!!!と、自分に意志が働く。
樹を植えるんだ。
水を綺麗にするんだ。
広い庭園を持ち、かつての楽園の記憶を再現するんだ。
そうすれば、汚れた空気から鼻毛を伸ばして身を守る必要がなくなる。
ヒゲを生やした攻撃的な外観にする必要もなくなる。
清浄な霧の中では鼻毛が伸びないし
水がそのままレーダーになるので、ムダ毛を生やす必要も殆どない。
そして、水の中では肌がいつまでもみずみずしい!
これがかつての楽園がもたらしてた、人間本来の美だ。
自分が、パッと見だらしがないのは、その姿を夢見ているから。
ありのままを見せることで、望みに対する明確な答えを「自然」にお願いしてるんだ。
周りからどんなに下に見られてもバカにされてもいいから、恩恵・効能・アドバイスをしっかり頂く。
周りの目も気にせず、自分を貫いている。
広い庭園、樹と水を育む場所、助けて欲しい。
ずっと、そんな願いを持ち続けながら。
「今日の寝癖はダンディだぜ(。◕ ∀ ◕。)ノ」
的なことを思い浮かべて、外出している(‘ ‘*)
(それでも最近は、確かに行き過ぎであると諭され、とりあえず外見の末端にも気を使うようになった)
たぶん、彼女にこんな話をしたら…(笑)
「まぁ、素直が一番だよね?」ってことで納得してくださ.。.:*・゜
で、冒頭に戻ります。
先日彼女からこんなこと言われました。
とても核心に迫る話をしてくれました。
「お願いだから、身・だ・し・な・み!」
「私が、あきさんにこんなこと云うのは、周りの目があるからだよ!? あきさんお仕事してるでしょ? 第一印象が大事なんだよ。取引先を決める時、同じような能力と見積もりだった場合、最終的に人はどこで判断すると思う? 外見なんだよ! 身なりがキチンとしてるかどうか、それが細かい部分にも現われるでしょ。あきさんは大丈夫だって言ってるけれど、お仕事して私たちを養っていかなくちゃいけないんだよ。そんな格好だったら、お仕事大丈夫なの?!って、私たち親族にも納得してもらえない。余計な溝が出来ちゃうかもしれない。それに今は親しい人たちが周りにいるからイイけれど、もし知らない土地に引っ越した時、あきさんがそんな格好だったら…第一印象が悪くなったら、世間の目が、それが奥さんになる私にも、私たち家族全体にも関わってくる問題なんだよ…お願いだからちゃんとして!」
。。。
この時、ハッとしたんだ。
彼女の感覚、彼女が今まで生きてきた世界の苦しみが、以前より明確に感じられるようになった。なぜって、それを言われた時、頭で理解しながらも、何か矯正されてるような、微かな苦痛を感じたから。
他人の目なんて気にしなければいいのに〜。って思ってたのが。
逆の立場ではこういう感覚だったんだ!
彼女はいわゆる、普通の子。世間一般の常識的な子。
その中で、正しくあろうと頑張り続けた子。頑張って普通に生きようとして。
でも頑張りすぎて、本当の自分が分からなくなって、何となく居場所を無くしかけてた。
助けたいと思った。
彼女の常識では、そういう生き方しか知り得なかったのも頷ける。
この時代、生活のために、会社で働いてなんぼ!というのを信じて疑わないのは、大多数がそう。いい大学を出て、いい就職のために、資格の勉強をして肩書を揃えて、常識?も学んで、身なりをきちんとするのが当たり前って。そこでしか判断されないから、そこをきっちりするしか無い!と。
彼女は「化粧をするのは鎧」って言ってました。化粧をすることが「社会人」で在るための責務だと思ってるような(どうだろう?)余裕が無い中、化粧品代に余計なお金を使わねばならないし、少なからず肌に負担も掛かる。毎朝の出勤準備に膨大な時間を割かねばならなくなる。本音の顔を化粧ごと覆い、いつも笑顔を矯正されて、心を追い込まねばやっていけないような不条理。
会社勤めの世界では、こういうの当たり前の常識?
(生きてくために必要だと思い込まされてる?)
だけど実は、常識というのは狭い考えだというのを、自分で仕事してみると痛感する。
インターネットで情報がフリーになった今、常識にも色々あることを顕著に見て取れる。(住む環境を変えれば、自分の常識なんて、取るに足らないことだと気づく)
常識にも色々ある。
自分の場合、コレまで周りの目を気にせず生きてきたし、格好はロクでもないが、周りから嫌われることなど無く、むしろ、皆さん親切に良くしてくれる。仕事も廻してもらえる。。
無理は必要ない、矯正されて苦痛を感じるくらいなら、自分はありのままのスタイルでイイのだ。これからも、彼女に信頼されながらテキトーに生きてくつもりだ。
素直に本性さらけ出したほうが、周りに理解される。
そして、こんな自分にはフランクで楽な仕事が舞い込んでくる。
俺には、それくらいがちょうどいい。
雇われの人は錯覚するかもしれないが、最終判断する社長の感性は違うんだ。
社長は、世間の常識では「人」を判断しない。独自の感性で「人」を視ている。
素直であること。或いはその人の能力(資格の有無じゃない)や性格を見て、自分の会社に欲しいかどうか。
ただそれだけの、すごく簡単なこと。
自分ですら、こんなでも仕事の話は舞い込んでくるし
うちの会社で働かないか?と、稀にスカウトも受ける。
こんなテキトーな人となりで。。。
だから、世間一般の言うことは案外あてにならない。
世間の不条理な部分って、ただの思いこみ。
あの子の今までが、実にそういった固定観念に囚われた環境にあったから、一家の大黒柱が一生健命に働いているから、自分も将来あんなふうに真面目に働いて、家族を安心させるんだ!って。周りに気を使い、両親や親族たちに心配かけないように!って、正しく在るように!って。自分を偽り続けるしか無かったんだろうって思う。いつの間にか、それが当たり前になってたみたいだったし。
本当の自分は、違うのに… 今更、その壁をぶち破ることが怖いのかもしれない。怖くて、心配かけるのが怖くて、今まで嘘をつき続けてきた何十年もの代償が大きすぎて、
「私は良いんだけどね、せめて親族の前だけは…」って
「口うるさくて、ごめんね…」
とも(o _ o。)
これが、あの子の苦しみなんだって。何となく感じました。
彼女があの場所で暮らしてるうちは、何も云えない。
それが彼女の選んだ生き方、一つの事実。
今は黙って従うことが、うちの努めなんだろうとも、判断しました。
もういいんだよ。
そんな思い込みは、この世から抹消してあげる。
俺なら全部受け止めてあげられるから
ありのままで良いんだよって・・・やりたいようにやっていいんだよって。
何もしなくても生きていける。好きなように生きていける。
それが、この世の本来の在り方だから。
一緒に、そんな世界を築いていこうねって。
子どもたちに対しても同じ気持ちで。
生まれた瞬間から、あるがままに感じるままに。自分の想いに素直に生きてほしい。
何があっても、全部受け入れてあげるから。
「あなたの居場所を用意して待ってるね」
そんなふうに、子どもたちに伝えたいものです(‘ ‘*)
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- 化粧品, 子育て, 日常のこと
- 2015年10月02日
最初、田舎に移り住もうかと想ってた。
自分のやりたいことが、故郷の土ではかなり無理があるから。
。。。
広大な土地、樹林、霧、その中でひっそりと暮らす生活。
この中でこそ、私のやりたいことが叶う。
大地という地盤があり、樹林が大地を覆う時。
食べ物は自然になって、活きた水は自然に還ってきて。
初めて「何もしなくても生きられる環境」を実現できる。
ようやっと趣味の曲作りや物語の執筆だけに心を入れることが出来る。
大地の記憶を食べ物を通して授かり、過去の記憶をそのまま読み取れるようになる。
この中でこそ、生きた創造性の祈りをイメージに見出だせる…
今すぐそれを叶えるには、自由を制限しまくる「故郷」を捨て去らなければならなかった。
親を捨て、これまでの知人友人を捨て、一人こもる。誰も居ないところに。
その中で、ひっそりと樹と語り合いながら、生きる。
独自の視点で。もっともっと、ぶっとんだ思考で。
自分一人だけの楽園を築くことが出来る。
多くの人が、故郷を捨てたいでしょう?
都会に棲んでた人は田舎に憧れ
田舎に棲んでた人は都会に憧れる。
家を飛び出したいと思う。誰も知らない所に行きたいと願う。
その本当の原因は、こういった所にあると考える。
⇒ 棲む家は自分たちで築くもの
ただ、故郷を捨てて自分だけの世界を築いても、一体何の意味があるんだろう?
と、考え改めるようになった。繋がりを断ってしまったら、自分一人になったら
自分一人の一生分しか、それが存在できなくなる。
誰の目にも存在しないセカイになってしまう。
孤独では、永遠性がない。
肉体が死を迎えた後、守り手の居ない樹林、また土地が好き勝手にされてしまうじゃないか…
本当に人との繋がりを断ってしまったら、人間社会に私は存在しなくなる。
また人間社会の闇に飲まれ、樹を削られ、死ぬ。自分の生き様が無かったコトにされる。
「人間ども目」
そんな視点で、生きなければ、ならなくなる。
なぜ悪態をつくか? 呪詛を生むか?
いい大人が理解しないからだ。
子どもの訴えを、赤ん坊の嘆きを、動物たちの想いを、植物たちの存在を、微生物たち、菌の存在を、そして大きな大きな樹の恩恵を
あいつら、視ようとしない…のか?
平気で、土を埋め立ててコンクリ詰めするでしょ?
教育、一方的なしつけ、農業、農薬、除草、殺虫剤、畜産、除菌、薬剤投入。
全て似たようなもの、全て「想い」というものを無視している。生命の尊さを一切無視している。魂ある者、意志ある者を黙らせ、まるでモノのように、システムの奴隷として生きよ!と
あれは暴力。死に勝る大罪。
殺人と同等に罪深い。
それをする意味、分かってやってるのかな?
大人、人の親、農家さん、土木業者さん。役所。国。政治家。業者。
「やったことは還る」
今度はされる側に、なるのだよ。
こんなふうに。
⇒ 食肉がもたらす惨劇・絶望感
人間の常識的な生き方が、知らず知らずに苦しみをもたらし続ける。
この世の常識が全てだと思って、社会の都合のいい部分だけ見て、気に入らない部分を無理やり強制しようとしてはならない。
目を背けたくなるような部分にこそ、本当の生き方…真実の姿を明らかにする鍵がある。
⇒ 節分の話
「常識」と云う名で「大切な想い」を殺し、半強制的に示してきた大人たちの、あれらへの、怒りと、殺意を、凝縮して、
身近な大人へ。殺意を込めて。死ね。
そんな感情を、私たちの存在は、内包していた。
後に、その大人たちは死に絶え、最初からなかったコトにされるんだが…
だが、その場に遺された子どもたち。常識に生きるために、苦しみを抑えこむしか許されなかったあの子。
またそういった固定観念に囚われた子どもたちが、大人になってしまったら
悲劇は終わらない…
私一人、想いを叶えても意味が無い。
子どもたち。子どもたちを守らないと…
だから、故郷を捨てることは出来ないんだと。
それに身近な大人は理解する。
賽は投げるものじゃなかった。
私が大人気なかった・・・
もう、無力な赤ん坊じゃないんだ。
ちゃんと言葉で伝えることが出来る。
私は私の生き様を、ただ理解して欲しかっただけ。
子どもも赤ちゃんも動物も植物も土も微生物も菌も、その想いは一緒。
想いを叶えてあげたなら、この世の真実のひと欠片が、少しずつ見えてくるようになる。