無償の愛は存在しない

数年前余裕があった頃、このサイトを立ち上げた。

動機は、力になりたい人がいた事。
お世話になった人たちに、何かしら貢献したかったこと。
そして周りの人たちが綺麗な人でいっぱいになればいいな。
そんな想いがあって、作りました。

確かに今、何人かの力になれたとは思います…
そして私なりの真心は込めたつもりでしたが、
逆になんだか私自身が思わしくない状況に有ります。

何がいけなかったんだろう…
振り返ってみた時、このような言葉に引っかかりました。

 
「無償の愛」「見返りを求めない愛」

この言葉が、私を今の状況に追いやった。
と言えるかもしれないと考えさせられました…

 
愛って、相手があってのものだと思います。
愛することで、相手の可能性の扉をトントンって呼び覚ますことが出来る。
相手を認めること、存在を認めること、相手の未来を光で照らすこと。

そういうのが、私は愛だと想っています。

 
以前お世話になった仕事関係の人やマスターや先生方は、
そういう意味では確かな愛をもって接してくれていた。

だからこそ私は自分自身で気づきを得ることが出来、
ここまで成長することが出来たのだと思う。

 
そういった教えを受けて、
私自身もこのサイトで出来る限りのことをしてきたつもりでした。

 
そんな中でこの言葉…

「無償の愛。見返りを求めない愛」

 
たぶん当時余裕あった?からこそ、こんなことが言えたのですが
この言葉どおりの実践は、どうやら間違っていたようです。

 
見返りを求める、つまり。。
何かを人にしてあげることで、その人にこうして欲しいとお願いすること。
これが、自分のエネルギーを責任持って「活かすこと」だと思い直しました。

 
私は当時、「助けたい。本人にとってベストな選択を選んで欲しい」
そんなふうに思いながら、サイトを作ってたんですよね…
直に何も要求しない。それから、見返りいらない態度も示してました。
今みたいに、プロフとか名前も出してませんでした。

訪問者さんにとってはどう感じるでしょうか…
目の前の情報に、有り難さなんてありませんよね?
誰が書いたかわからん。信憑性もない

書いた人の想いはどうであれ、伝わりづらい…
私自身、無責任だったんですよ。
 

私が、当時助けたかった人に対してさえ
見返りはいらんとか、好きな道進めば良いとか言い放って。
直に何かを要求したりはしなかったんですよ。

ある意味、見返りを認めてなかったといえるでしょうか。

 
こちらからやれるだけのことをやって、後は知らないとか、
今にして思えば、自分のやったことにどう責任を持つつもりなんだ?
という感じですよね…

ひどすぎますよね…

 
まぁ、案の定。私自身も消耗していきますし…(o _ o。)
時間も、お金も、意志も。

それからたぶん、助けたかった人にとっても
私が見返りを受け取らない姿勢では… 私との関係性に何が残るのか…
してもらうことが当たり前だと思うしかなかったのではないか。

そうなると、相手の自主性、感謝の気持、能力を発揮する機会を奪い
結局、何もしてないのと同じになってたのではないか。。。
むしろ、自分ばかりキツくて、相手にそのつもりがなくても
共に最悪のパターンに引きずり込まれただけではなかったか…

 

。。。

 
それと、こういう体験もしました。
自分が、こういった責任のない親切心を振りまいていると
相手のしてくれたこと、親切な愛情に対して、
 
私自身が何も返さないという選択をしてしまうことに

 
「愛は無償」は、受け取る側からしてみれば
やってもらって当たり前、という意識を植え付けてしまうじゃないですか。
それから、私は無償の愛をモットーにしてるから、あなたもね?
なんて他人に強制してしまいがちなのも…(;;

 
ありえませんでしたよ。。。

せっかくのしてもらったことに対し、誠意をもって応える機会がなくなる
好意を無駄にしてしまうのですよ。親切にした方も辛いじゃないですか…
気付かずにそうやって相手の好意を無駄にしてきた自分にも腹が立つ。

自分ひとりで生きてるわけじゃない。
 

愛は認め合い。一方通行な無償の愛なんて存在するわけないのです。
愛情をもって接するその姿勢に、どれだけの想いが込められているのでしょう。
それを見返りを求めないなんて言葉で、片付けてはならない。
想いを無駄にしてしまう。

 
それに本人にとってもそんなことを続けていたら、いずれ何もやってこなくなるでしょう。
する方も、受ける方も、これでは浮かばれません。

 
無償の愛は、その場はキレイ事に見えて
実は、双方の繋がりを断つのにふさわしい言葉だと思いました。

 
実践した結果が、今の状況ですよ。
あくまでも私自身の体験談でしかありませんけど。

あの時確かにあった、自由なエネルギーが
こんな無責任な言葉を選んでしまったことで、気枯れし
また建てなおさなくてはならなくなった。

誰がそんなこと望みましたか?

 
 
私は、無償で誰かの役に立ちたかったのでしょうか。

そうじゃない、私は生きたかった。
時代の変化が求める方向にいち早くシフトしたかった。
自給自足、広大な自然、そこに慎ましやかな棲み家を構えて
物語を書いたり、音楽を書いたりして、生きたかったのです。

出来るならば、愛する人と一緒に。

 

 

 
結果、自己犠牲は何も産まない。
さんざんな結末となって、今があります。
 
ここに気づいてから、これまで作ったコンテンツに対して
大幅な修正をする必要があった。

だって献身的な姿勢とか要らないし、むしろ害でしかなかった。
それだけは絶対に避けなければならない。読者さんに間違って伝わってはならない。

 

それに一番災難なのは、親切にしたつもりの相手の方でしたよ。
本当に、今思えば、もっと適切なやり方があった。とすら思うし。

今更だけど…

 
間違いに気づいてからは、何とか…
良い方向に進んでくれたみたいで、そこは安心しました。

次は私の立て直す番ですね…

 

それにしても。。。

 
無償の愛、これほど報われない言葉はない(o _ o。)


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