夫婦で一緒に暮らす準備
(記:2015.11.07)夫婦で一緒に暮らすとは、どのような形になるのだろう。
結婚前の段階で、気づいたことを記しておきます。
(※男性視点でのお話になります)
相手を理解することの大切さ
愛情とは、理解すること、深く理解しようとすること・・・と考えるようになりました。見守る、引き出す、味わう、受け入れる、理解する、そうして初めてお互いの気持ちを伝えられる。
かつての失敗から学んでいたはずなのに。
一度、自分の調子を崩してしまってから(※自然治癒力で病は克服できるを参照)
こーしないと、あーしないと...
強く出すぎたことがあったのです...
(その時の記事の名残)
⇒ 生きるために食べるということ
⇒ 許容できるもの、できないもの
※(必要最低限のもので生きる)
けれどいくら何でも
生活の全てを、自分の感性でセッティングしてしまったら
相手側のスタイルが、居場所を見つけられなくなってしまうじゃ...
二人で住む家なのに...(o _ o。)
どうしてまだまだ相手を理解してあげられてないのに
こちらから多くの何かを働きかけようとしてしまったのだろう。
相手の為を思ったとしても、それは未だ未だ見当違いに終わることが多い。
「あなた(お前)は分かってない!」って言われるだけで。
子供の頃の思い出
少し、昔のことを思い出しました。未だ親と一緒に暮らしていた時、
家事も、食事の準備も、全て親がやっていまして。
私の出る幕はなかった。
だから、私は私の欲する料理の在り方を実践できなかったし
今のような独自の生活スタイルも築くことが出来なかった。
親のセッティングした環境の中でしか、生きていけなかった。
しかも私の視点では、親の生き方には多くの間違いが成されていた。
だからといって、そこには私の創造性が介入できる余地もなく、どうしようもなかった。
親は、何もかも子供にしてあげてるつもりで居て、実は子供の可能性を(一家の可能性をも)邪魔していた...という側面も、否定出来ないんだ。
その部分に関して、親の介入の仕方に、憤りと疎ましい気持ちを持ち続けていました。 まぁ、今となっては昔話ですね。過ぎてしまえばどうってことないもの。
恋人と、私の家で一緒に暮らした数日間
ある時、恋人が私の家にやってきて。これから一緒に暮らす準備をしようってなって。
とりあえず、家事から食事から寝床まで全部、私が用意して...
数日間、そんな日が続きました。
恋人はどこか浮かない顔でした...
私がこれだけしてあげてるのに、相手は色々な不安を拭えないという。
「自分の居場所がない...」って思われたの、どうして!!?
けれど後々思い返せば、子供の頃の私と同じ気持ちを、相手側にも感じさせてしまったような気がします。
私、今みたいな生活スタイルを築きだしたのは
自分の病を克服するためでもあり、隣の大切な人、周りの人たちの苦しみすらも癒して、
「みんな心身ともに健康に、美しく楽しく生きること♪」が動機でもありました。
その為に、目標に向かって、色々と自ら試行錯誤する、そんな瞬間。
今を生きてる実感...生きがい。それは、隣りにいる人の役に立ちたい。喜んで欲しい。
そういった身近な相手を思いやる心から、生まれてくる気がしました...
相手も、同じ気持ちをもってるのではないか?
「相手の役に立てるような私で在りたい...」
そんな想いが...
私は、その気持ちを視ること無く 自分の思い通りに築いた生活環境を、それが「良い」からと、いきなり全部を相手に理解してもらおうとしていた気がします。それでこの数日間、相手の「役に立てる場所」を奪ってしまっていた。相手の創造性を奪ってしまっていた。
有り難いことに、あの日私のしたこと、全て受け取ってもらえました。
してあげたとばかり思っていても、実はこれ、受け取ってもらえる、理解しようとしてもらえる、それこそ愛情がないとできないことだと、後になって感じました。
私は、恋人のこと(常識的な生き方)をその段階で分かろうとは、しなかった...。「今は」受け付けられないとばかり決めつけて...。自分と違う、相手を受け入れるというのは、実はとても大変なことなんだって。
「私の居場所がない...」「私は居なくてもイイ...」って思われたの、そういう理由だったのかもしれません。私を分かろうとしてもらえない、受け入れてもらいない哀しみ。
夫婦生活において、致命的な不安を抱かせてしまって...(o _ o。)
私は最初、私の生活ぶりの100%を観て欲しくて、やり方を誤ったのです。
けれど相手もそうだったと思う、相手が実家で暮らしていた頃の、暮らしぶりを、理解して欲しい、と考えたでしょう。だから、相手側の生活スタイルを、こちらから引き出すこと...も大切だった...と思い直しました。いきなり100%は無理があったんです。
少しずつ、お互いが歩み寄っていくほうが、自然なんだ。きっと。
もし、私がご飯を用意しなかったら、相手はどんなモノを食べるかな?
もし、私がこの家で何もしなかったら、相手はどのように生活していくかな?
その中に、今までにない別の可能性が、素晴らしい生き方が見つかるかもしれないって。
お互い急に100%を引き出し合うのは不自然なので
相手がこの家でも出来そうなところから、少しずつ少しずつ
相手の持ち味を、引き出して、よく話し合って、お互いに理解を深め合って。
お互いに、自分の内面と、相手の内面を、引き出し合って、
1つずつ、少しずつ溶け合わせていく。そんなプロセスも、必要なのねって
何となく、思うのでした。
相手はなぜ、今のような内面を持ってるのか、次々と理解が深まっていく。
(なぜ、そんなことを言うのか?)
(なぜ、そんな考え方を持ってるのか?)
お互いを分かり合い、理解し合うことの大切さ
これから二人は家族になるのですからね。一緒に暮らすなら、それ以前の、相手の暮らしぶりをしっかり理解しておきたい所です。
お互いが理解を深めるからこそ、その上で相手の求める何かにも、正しく応えられるようになるのでしょう。その上で、相手に必要と思われることも、正しく受け取ってもらえるようになるのでしょう。
そうして初めて、お互いがお互いの力になることができる。
二人が一緒に暮らす準備。
これからの、子供の成長を見守る立場として、
相手と(将来の子供とも)どう接するか、学べるいい機会になりそうです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます(' '*)