「親」が嘘をつかせていたんだね
「嘘」は何処から生まれてくるのか、少しわかった気がする。以前、こんな記事を書いた。
⇒ 嘘の代償
子どもは、このことを本能的に理解している。
何もなければ、決して嘘はつかない。
でも、いつしか人は嘘をつくようになってしまってたんだ。
誰に対して? 多くは自分に対して...かね。
ごらん。過去、子どもは自分の思うままに動こうとすると、とたんに親が邪魔してたんだよ。 コレしちゃいけない、アレしちゃいけない、社会でちゃんとした人間になるためには、こうしなければならない、云々かんぬん。
生きるにあたって、子供の感性ではどーでもいいことさ。
人間誰しもが、生き抜いてゆく本質(食べること)に直結しない、二の次の問題だ。どうでもいい心配事さ。
でもね、狭い世の中の常識に従うしか生き方を知らない人にとっては、死活問題に映るわけだ。 ぶっちゃけどーでもいいことを、親はとても重要な事だと錯覚してるばかりに、その偏った考えを子どもに押し付けようとする。
子どもはどう思うだろう?
最初は、何かあったのかな? 五月蝿くなるのは何か意味があるのかな?って疑問に思う。
でも、時間が経つに連れてそれは疑いの眼差しに変わる。
生きる意志が強い子ほど、自己愛が強い子ほど、その傾向は強いだろう。
そんなどーでもいいことに労力を割くにはもったいない。子ども自身にとって、もっと大切なことが既にある。 柳に風とも受け流し、平気で自分のやりたい事に集中する、その強さよ。
で、親御さんだけが、余計な心配して叫びまわる。あーしないと、こーしないと。って
うん...ぶっちゃけ、煩わしいんだよな。余計な気苦労、独り善がりに増やすばかりだね?
親自身が安心するために、親自身の思った最善ルートを突き進ませようとする、その気持ちは分かるんだが...
それ、子どもの感性にとっては大間違いなんだわ。
子どもにとって、どっちかに対して嘘を付かなければ、収集がつかなくなるんだよ。
親の言うことを優先するか? 子ども自らの意志を優先するか?
それによって、問題の出方が変わってくるのさ。
筆者の場合は、殆ど自分の意志を貫いてきた。
その為に、親の出しまくる心配事に対して嘘をついてきた。
「そんなこと、ないよ?(笑)」
ってね。
コレ以上の余計な心配をさせないために、っていうか一々応対するのが面倒くさくなったから。
ウソを付くことの重大さを分かっていながら
親?の立場を尊重したら、そうするしか無かったんだ。
今考えれば誠意で応える必要はなく、笑顔で無視し続ければよかったんだがね。
ウソを付くのは良くない。後で大きな歪みを生む。
なんて、よく言ったものさ。幼い頃から、子供は嘘を付かずに生きていこうとしていた。
それにも関わらず、思わぬところで嘘を付かせる存在が、身近に要たんだよ。
それを今回、初めて知った...
これが。罠だったんだね。
分かった、もう嘘はつかない。
親の気苦労は、親自身が解決する問題であって、子どもの責任じゃないからさ。
無視していいんだよ、あなたはあなた自身のこと熱中するのが一番いい。
あなたが、自分のことに熱中している限り。一心にそこを見据えてる限り、全てが上手くいく。
子どもを見習って、そのご両親も、自分の時間を大切にするようになるよ。
そうなれば、もう誰に対しても嘘を付かなくて済むんだ。
家族の誰しもが、自分自身の本当の人生を生きていけるようになるんだ。
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