人間という存在を拡張した捉え方

産まれたての子どもに、分別という概念はない。

......そもそも自身と他者との間に、明確な線引ってあるのだろうか(‘ ‘*)?
自他の境界線、もしかしたら存在し得ないのではないか、と思うことがあります。

自らの活きた身体は、それ以外の場所にも部位がある

人間の身体は、あらゆる存在のお陰で生きていられる。
自分の肉体だけでは生きていけなくて、空気や水、食べ物など、自然界に根付くあらゆる恩恵と繋がることで、初めて生命活動を続けられるようになるのです。

つまり自らの「生きる身体」とは、肉体を超えた所に(も)必要な部分が存在している...という視点が開かれます。

1.自分の身体

自分の身体は自分。
身体があるから人間として生きていける。

2.空気

少し視野を広げる。
周りの空気もまた自分自身の一部とみる。
空気があるから呼吸して生きていける。コレなしには生きられない。

3.木・植物たち

もう少し視野を広げる。周りの空気が自分自身の一部なら、空気を配給する植物や樹もまた、自分自身の一部になる。

植物があるから美味しい空気や水が行き渡り、人間は活かされる。
木や植物なしに、人の体は維持できない。木・植物あっての人間。

4.食べ物・水

さらに視点を拡張する。食べ物や水もまた、人の体の一部となる。
食べる物や水があるから身体が万全の状態を維持できる、それらがあるから身体が生まれ変わり、日々人間として生きていられる。

食べ物や水を生み出せる環境こそ、人の身体に無くてはならないもの。
食べ物と水、のある環境こそが、自分自身が生きるための身体の一部に組み込まれている。

5.地盤・土壌

その食べ物を生み出すのは? 作物が育つ土地。植物や木が根づく土壌、地盤だ。

土があるから、私たちの食べるモノが、おいしい空気を創りだす植物たちが、私たちの身体に無くてはならないものを形作る。土こそが自分の存在を担うものと理解する。
土壌が食べ物を作り、水を蓄え、自分の身体を作っていく根本に成る。

聖書は、確かに言っていた。
創造主は、土から人間の形を作った。と。

6.死骸・微生物

では、地盤の土とは何から成る?

それは枯れ草や落ち葉。たくさんの微生物・虫たち。
役目を終えた死者の存在、朽ちたもの。それらを分解する微生物たちが、土壌を築く。

巡り巡って、これらこそ自分自身の身体を作るのに、必要不可欠なもの。
人間は、落ち葉や枯れ草、微生物の働き...を元にその身体が維持され続けている。

7.祖先の遺骨

さらに追求すれば、はるか地中の下。そこには、遠い時代の先祖が埋まっている。
親しい、或いは遠い血のつながりのある、先祖の遺骨が、そして、その時代に生きていた植物、動物たちの死骸、落ち葉、などが、深い深い土の中に分解されて埋まっている。私たちは、その地盤の上で生きている。




例えば、自分たちの土地に先祖の遺骨を埋葬していたならば、自らの肉体の存在とは、先祖の土が育んだ植物や水たちを通して、私たちの身体の糧になっていることを、先祖たちのお陰で、今此処に生きていることを、直に理解するだろう。 自分の身体から、空気、植物、水、食べ物、土、と介して、地中に埋まった先祖の存在や、古の記憶からなる繋がりを、物質的に感じとることができる。

永年の時を経て、初めて、この場所で、自分自身の身体が存続できていることを理解する。

8.お日さま、お月さま

そして自分たち、これまで意識した全ての存在に、温かさと光をもたらしてくれるのが

「お日さま」
「お月さま」


あれらの光こそ、自分自身の全てが在るがためのもの。見えるがためのもの。
太陽と月が、自分の全ての存在の、エネルギーの源であり、反射でも在る、と。

分別を持たない幼い時だからこそ、この地上の存在のことを、無意識に気づく。
これらが、私自身の、生命線なのだと・・・

身体はそれ単体では存在できない

まずここまで。
自分が生きるために無くてはならないモノ。
これらの一例、存在自体は自分自身ではないけど、自分の身体を維持する一部になってる。

地球に根づく大自然が、自分自身の一部でなり。
その環境により、自分として生きていられるような感覚です。


まわりの自然は、自分自身と同等、無くてはならない大切なもの。
それらが在って、初めて自分の姿を保ったまま、存分に生きていられる。と、赤ちゃんの時点で理解するポテンシャルを秘めてる。

だからこそ自然なるままに、この地上全てに自分を委ねることが出来るんだと想います。

排泄物について

次に自分の身体から出て行くもの。

汗、吐く息、排泄物、自分の生活空間から出る「ゴミ」と呼ばれるものも皆。
自分の身体から出ていくもの、そしてそれらに関わるもの全てが
自分自身の一部、自分の生きた痕跡になる。


それを栄養とするバクテリアや微生物が、自分の一部を土に還してくれる。
自分から離れたモノを食べてくれる存在。土に帰った時、自分自身のエネルギーは再び大地に戻り、 植物たちの生育を助け、そのエネルギーが自分自身に還ってくる。


自分自身の創りだす環境が、全体としての自分自身を形作る。
環境を自らの手で築けることを知れば、自分という在り方をもっと詳細にコントロールできるようになるだろう。

なぜ未熟な大人は、見えないものに動かされるか?

自分の人生をコントロール出来ない時、それは自分自身を把握できていないということ。
自分は何処からエネルギーを得て、どこにエネルギーを返しているのか。

現代における生活スタイルの問題点

例えばマンションの一室に住む時、環境から境界線を敷かれ、植物や土に触れることが難しくなり、その場で食べ物を得るのも難しくなり、分断された外から食べ物を得て、自分の意図しない身体に作り替えられることを無意識に選んでしまっている。

用を足す時も、自分自身の体から出るそれが土の栄養にならず、見えない場所に捨て去られ、自分に還ってくることがない… 自分のエネルギーが無駄に死ぬ。循環せず、だから人の寿命が短くなった。統一された白い壁、マンションの一室という規格に、自分の身体がコントロールされてしまっている近代の。人たち。

固定観念に囚われる弊害

一見近代生活は便利そうに見えるが、赤ん坊やお年寄りにとって、これ以上窮屈な暮らしもないだろうと思う。赤ん坊が泣き、母親がそれに四六時中接しないといけない・・・という状況は、お互いにとって苦痛でしかない。環境が赤ん坊を育てるものでもあるので、この環境を赤ん坊に優しい設計に、両親たちで見繕う必要が出てくるだろう。

赤ちゃんの行動、子どもの言動を真剣に聞いて考えれば、誰でも気づく。
このことが結果的に、自分に住み良い環境を作るヒントにもなり得る。

環境=自身への理解=潜在能力の解放

植物。植物たち、それを支える土、そして微生物。空気と水、お日様、雲、雨。
自分の描き出す環境の中で、一緒に生きている存在たち。

それらのことを全て把握して、全体としての自分が自在に生き様を描いていく。
身土不二や一物全体は、生きる環境を自分自身でデザインすると当たり前の状態になる。

(参考)
身土不二
一物全体


すると、もっと詳細に自分自身の在り方を把握できるようになる。
自分自身の行動で、その環境がどう変わるのか?

環境が、まるで自分の身体を延長した捉え方になります。


自分(環境と同化した自分)というツールを使いこなすことを赤ちゃんのときから考えてる。 もっと自由で輝かしい自分自身となるために。


最後までお読みいただき、ありがとうございます(' '*)

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