介護・看病疲れにお悩みの方へ

なぜ、その人は病気にならねばならなかったのだろう?
なぜ、自ら病気になることを選択したのだろう?

本来誰もが、このように自己を振り返ることで、自然治癒力から病状を快復させる力を持っている。

自然治癒力で病は克服できる


しかし人によっては、治す方法は既にあることを確信してるのに
内面のケアを敢えて無視し、いつまでも病気で居続けようとする。
そんな場合もけっこうある(' '*)

なぜ病を発症したか?の一例

私の体験談を書き綴ると、以前、ホテル厨房に務めていたことがあった。
一日14時間働きづくめの毎日、帰って寝るだけの生活。休みの日は寝っぱなし。
このままじゃダメだ(。0 _ 0。)ノ

だが、辞めるという選択肢は自発的に選びづらい状況だった。
先輩たちは良くしてくれる、給与は安いが、この仕事場は私が居ないと回らない!
そんな錯覚。会社のため?に、自己犠牲とかうわ〜、慢性的に働き続けた。


日に日に、手荒れがひどくなった。
アトピーだ。手に湿疹ものすごく出だした。やばい。
先輩から「手のケア方法」について熱心に教えてくださったが、私は実行に移そうとしなかった。

なぜか?
面倒くさいからだ。
あと、私は薬が嫌だった。
それで、農薬の付いた野菜、洗剤や水仕事で、手がボロボロになってゆく。

そのまま悪化(。0 _ 0。)ノ


そのお陰で、料理長の計らいで、休職⇒事務系の部署へと異動させてもらえた。


一日14時間労働から解放される。
もう洗剤や薬剤を触らなくて良くなる。

すばらしい(。◕ ∀ ◕。)ノ

病が発症したから、運命を変えられた

もし、手あれが酷くなりすぎなかったら、あのまま厨房の中で死ぬような環境を生き抜いていたかもしれない。 つまり「病」である自分を周りにアピールすることで、周りの方々の助けを得ることが出来た。よりよい環境に身を置く手助けをしてもらえた。 そのためにも、段階的に「手あれ」を悪化させることが必要なプロセスだったというわけだ。


まぁ、自虐的な方法ですね。

自分では運命を切り開く力なんてない!
自己の訴えを言葉で伝えるなんて痴がましい!
自分は下っ端だから、上の言いなりにならなきゃいけない!

と自身を無碍に扱ってたからこそ、あの時。病によって周りに助けてもらう口実を作る。っていう、幼稚な手段に出てたわけですね(。0 _ 0。)ノ


いやそうなる前に自分の意志で行動したが早いだろ!って感じですが(今なら出来ます、当時は無理でした)...あのとき料理長は、それに対して最適な判断をくださった。有り難いことでした(o _ o。)

なぜ病にならねばならなかったかを視る

ちょっと話がズレましたが。
なぜ人は病になるのか。なぜ病気になろうとするのか。
別の側面から、少し理由が見えてくる気がします。


病気に苦しんでる人は今、自分で運命を切り開く力がない(と思い込んでる)
だから、病になることで誰かに助けてもらいたい、望みを聞いてもらいたい。という面もあったり。 この時、無理に病を治そうとしても、また以前のような責務が舞い戻ってくるとあれば...

浅はかな救いの手(病気を治す手段)など、拒むことは目に見える...


そうじゃない!
そうなる以前からあった、苦しみの原因になってる「何か」を克服するのが先だ。



子供の頃、風邪を引いたら学校行かなくてよかった。ラッキー(。0 _ 0。)ノ あれとおんなじ感覚。もともと学校行かなくていいなら、好きなことできるなら、風邪ひくの勿体無いから、すぐにでも治そうとするよね。

会社勤めの人は、責任という重圧もあって風邪程度では休まんから
重病人(あるいは鬱)になって、休む口実を作って、無意識に、自分の在り方を変えようとするのも同じこと。

まぁ、自分の身体を犠牲にしてな。
自分の置かれた身の現状を「無理! どうにかしてくれ」って。
周りに助けて欲しくて。今、苦しんで病を抱える素振りを見せるわけだ。


一番の要因は本人自信「自分に運命を切り開く力はない!」と思い込んでるトコなんだが
それなら、周りに頼るしかなくなるからな。

かと言って、周りが常に最適な答えを出してくれるとは限らず
余計なおせっかい、とにかくはよ治れはよ治れオーラ。病院お薬強制とか。

本当の望みを聞いてもらえないとか、辟易しますわな(o _ o。)



病に苦しむ人に対し、
ただ治ってほしい...と安直に願うのは。
多くの場合、余計なおせっかいになる。

なぜその人は病にならねばならなかったのか。
病になることで、その人にどんなメリットがもたらされたのか。
もし病が治ったら、その人はどうなるのか。

それらを、まず考える必要がある。
治す方法を考えるのではない、その人の現状をよくよく理解することが先だ。


(例) ⇒ 鬱の症状と治し方


誰も、好き好んで病になるわけがない。
病になるのは、それ以上の苦しみから身を護るためでもある。
もしくは病になることで、それまで言い出せなかった「本心」を聞いてもらうためにもある。

なら、その人の心の声を聞き、きちんと本意を引き出してあげて、その人を安心して迎えてあげられる居場所、心の拠り所を見出すことが先じゃないか?


一歩一歩、真意をクリアしておく必要がある。

「病」にメッセージを感じ取って

病の症状は、必要だから出てる。
じっと見守って、そのメッセージを読み解いてみて。

正しく理解を重ねた後に、相手がどうしようもないことで、自分が力になってあげられる部分のみ、注力すればいいかと。

それ以外の部分は、放置がいいだろう。何もしなかったら自然治癒力働くから。自ずからあるべき方向に導かれる。
経過を見守りながら、少しずつ、本当の望みは明らかになり、いつし自身の手で、答えを選択することだろう。
そんなキッカケを、見いだせられたらいい。


寝て、何もしないで、水で流して、眠って、回復。
快復した先に、より素晴らしい人生を、その人は歩み始めるだろう。

自然治癒力で病は克服できる


私たちは、その経過を見守るだけ。
しっかり見ておくの(。0 _ 0。)ノ


最後までお読みいただき、ありがとうございます(' '*)

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