他人の用意したプランから降りる

動かされていた、と感じるのは。
自分の選択でありながら、自分の意志で選択しなかった時だ。

他人が勧めてきた、通学、進学、就職、どれもが私には合わなかった。
恐ろしいのは、当時知らず知らず参加させられてたことに、自分で気づく術がなかったことだ。
でも、そうすることを強制されていたように私自身が感じてたから
まるで生きた心地がしなかった。

いったん自分で仕事を始めたとき、自分で全てやるのが私には向いてることに気づいた。
自分に責任をもって生きる。自分の為すことが必要とされ、お金を得られることは喜びだった。
自分で食べ物を選び、料理をするようになって、生き方もかなり改善された。

自分の責任において他者の力も借り、様々なものを自分たちで作ることが出来た。
つかの間、私は自由を得た。

 
その後、私は人に勧められて会社組織にした。
ここで私は、また他人の用意した土俵に乗ってしまった。
自分の責任の持てない範囲を受け持つことになり、失敗した。

仕事に追われ、自分で料理する気力が削がれ、当時は外食も多くなっていた。
結果的に、負債しか残らなかった。

私は無駄を生み出しただけだった。気づくために。
自分で責任を持てない選択(他人の用意したプラン)に乗って、自滅しただけでした。

このとき、助けてくれた人々には感謝しています(o _ o。)

 
 
今回のインターネットに関するツール依存の件は
自前で用意したものじゃない、もともと其処にあったものを無料で使わせて頂いてる。
ある意味、他者の用意したフィールドに参加させてもらっている、
そのことに対する感謝と、それによってもたらされるモノが何か?を

しっかりと見定める必要があると感じて書きました。

インターネット依存(google編)

 

ひとまず自分の直近で起こってることは、未来に備える学びだと感じました。
今現在、起こったこと、そこで感じたこと、考えたこと、深く掘りさげて記録すれば
それを自分の外から眺めることができる。

すると改めて、違う場面で応用が効いてくるかもしれない。
今後の生き方を改める判断材料になりそうです。

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