サプリメントの必要性は?
このサイトを立ち上げた当初の志については
よくブログで触れるようになった。
誕生の瞬間に、ある種のプログラムが作動を始めたかのようだ。
そのプログラムは、今も私とともにある。
表面的には方向性は変わってるかもしれないけど
根幹のものは、依然として変わらない。
物事というのは、創りだされるときに
ある種の役割をもって生まれてくるようだ。
その意図を感じ取り、そのように行動することが
創造主(宇宙や自然)から必要とされる喜びに変わっていくのだろう。
そしてその役割は、物事自ら望んで請け負ってるようだ。
だから苦ではないし、それをやってる時は非常に嬉しい。
魂の底から打ち震える喜びだ。
私は、文章を書くのが好きなようだ。
文章に音を混ぜ、物語を奏でるのが好きなようだ。
このサイトは、物語を現実にするために生み出した。
私の理想を叶えるもの。そして自然の意を叶えるものでありたい。
さて本題。
私は当初、サプリメントについては否定的な考えを持っていた。
自然な形ではない、分断されたものとして。
それ故中身の判別がしづらく、取り扱う価値の無いモノとして気にも留めなかった。
たぶん、このサイトを見てくれる人にとって、多くがサプリメントを必要としないと思う。それよりも、活きた食材を自分で料理するほうが何倍にも栄養になる。栄養価も、お金の面も、エネルギーの面も、すべてにおいて勝る。
けれども、なぜかサプリメントを必要としてる人が居る。
私はその人達に対しても自分たちで料理する方が良いと言い、なぜサプリが必要か?状況を考えることはしなかった。無視した。
そして私の中で、サプリは排除されるべきものとなった。
今、私はその考えを改めさせられている。
人の世は、人に必要とされるもの?或いは求められるものをいつも生み出している。そして、それが売れることで、お金が循環している。
私は其処を無視してもいいが、無視したら、私はそれに関わる様々な文明を捨てて生きるしかない。そして今の私にそれは不可能だ。未だ依存している。
少なくとも、今は関わって生きる必要があるらしい。
だから、よく見ようとした。
サプリの何が必要とされて、どんなメリットがあるのかを。
参考サイト ⇒ サプリメントの選び方ガイド
そしたら皮肉にも、サプリメントに含まれる人に理解されやすい言葉。
「成分名」を比較することで、根源の植物たちが持つ偉大な力の片鱗を再認識できた。
過去記事にそのいくつかの例を掲載している。
・レスベラトロールの野草「イタドリ」
・大豆イソフラボンの効果から学ぶ
・米のとぎ汁乳酸菌は虫歯予防や治療にも有効!?
人が考案したとされる製品の中に、答えのいくつかを見つけ出すことが出来たとは…
よく分からない自体だけど、私の意識レベルが「有効成分一つ一つに分解されないと、植物それ自体の有用性を理解できない」くらい低いのだと悟った。
そしてそれは、私だけじゃないらしい。
現代社会の多くに、そういう見解を植え付けられてると思った。
だから料理すればいいとかありきたりな言葉は、心に響かない、重要性を理解されない場合が多かったのだと悟った。
特に、都会で忙しく働く人に、自分で料理することのメリットより、手軽さや時間効率が優先されてしまう。サプリ?
それよりも、少しでも働く時間を確保してお金を得るために、外食で済ませようとする。そして、食べるとはただお腹を満たすためのものだと思っている。
その結果、病気が誘発しやすくなるのだが
それは成分がバラバラになることでバランスを崩しやすくなる、一物全体のバランスが崩れる、といった部分に問題がある。そしてやはり患者の多さから察するに
多くの人はその原因や治療法が自分の内に見いだせるとは思っていないようだ。
かかりつけの医者に見てもらい、その場限りの処置を施してもらうことしか頭にない。
国のこういった側面を、私はかなりヤバイと感じていた。
どうすればいいものだろうか、、。と。
そこでだ。
現代人に響く言葉が、横文字だ。
私はサプリメントに触れる内に、それに与えられた役割を見直すことが出来た。
これは必要とされて作られたものだと。
私の知り合いの社長さんは、母の病を治すために商品を生み出したというし
また別の方は、世の中の女性を本気で美しくしたいと願って商品を開発した。
その想いが、あるサプリの一点に集約されていた。
私は当時、それに関わらなかった。必要ないものだと思っていたし。
だけど、実際にコレで救われる人は多くいるだろう。
何よりサプリを飲む動機として、少なくとも医者に任せっきりの患者さんよりも自立している。
体の不調を感じた時、それを放置したり、いよいよ悪くなって医者の言われるがままに治療してもらうのではなく、自ら率先して正そうとしている!
そこには確かな決意と自立心があるんだ。
「自分で治したい」「どうすれば治るか?」
周りに植物がなくても、料理ができなくても、根源の知識から絶たれていても、
本人の望みを、その人に分かりやすい形でサプリは助けることが出来る。
サプリ自体悪くない。有用な部分があった。
全ては、どういう視点で見るか?
それだけの違いであることに気づいた。
もちろん私は此処で取り扱う気はないし
多くの場合、自分で植物を育てたり、料理して食べたほうが効果があることを知っている。
それでも、私はサプリに触れて、植物の持つ偉大さの一部に触れることが出来た。
私にとっても、それは必要なものであったようだ。
これらの情報から
「こういった症状のときはどんな成分を含む植物が有効か?」
「このような目的には、どんな種類の植物たちが助けてくれるか?」
間接的に学ぶことが出来た。
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