人間は可能性の種子にもみえる?

以前、こんな記事を書きました。

自分という存在を拡張した捉え方

 
自分の肉体から始まり、身体を維持する様々な環境も体の一部とする捉え方。
こう考えると、今の自分の肉体というのは種子みたいなものだなと思ったのです。

 
人は、自分で生きる環境を作ることが出来る。
自分の土地があって、そこで様々な木を植えたり、花を育てたり、作物を実らせたりして。
自分の生きる環境を、自分自身の手で形作ることが出来る。

理想の生き方は人それぞれだから、生活する環境の作り方は十人十色。
この生活環境こそが自分の身体の拡張だととらえた時、自分という存在は種子みたいなものだなと思ったわけです。

 
自分の中に、理想のカタチが渦巻いている。
その願いはいつか花開くことを夢見ながら、微細なる意志として静かに内包されている。
まるで種みたい。そして確かな未来のイメージを思い描いている。可能性の塊。

 

植物の種には未来がある。
願いを叶え、また次世代の種子を作り、次に繋げる。
人の未来もそうかもしれない。

願うこと、夢見ることが未来を形作り、
素晴らしいイメージの世界を構築する1歩になる。

冬至の時、新たな1年の形を夢見る時、ふとそんなことを思いました。

「人間は、種子みたいなものか」

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