子どもの教育費

田舎で最低限の暮らしをするのにお金はかからない。
多少はいるだろうが、死ぬほど働かねばならぬほどじゃない。
月5万で回るんじゃないか? 余剰分はレジャーだ。
 

で、そこで問題にのぼってくるのが子どもの教育費。
子どもの教育、今の義務教育では学校にいかせる必要があるが…
田舎では、学校がない、或いは、ものっすごく通学に時間がかかるという問題がある。

 
だが、その教育の在り方こそが、本当に必要なのか?というのも考えて直してみる。
自分の今までの人生の場合に限っていえば、学校とか、特に塾とか、必ずしも必要なかったわけだが・・・

親の払ってくれた学費はほとんどが無駄に終わった。

 

 

 
しかして・・・

子どもたちにとって学び場は、自前に用意できるわけで…

 

それは自分たちの土地に棲むあらゆるもの。

両親たちによって形作られた箱庭、
小さな世界で日々を冒険しながら、そこに訪れる様々な生き物、植物、動物たち。そして地域の方々との交流を通して社会性を学ぶ。
季節の移り変わり、星の巡り、雨の情景。空気と香り、そこに成る食べ物の味、想い出、そして最初の樹の言葉。
それらを通して、多くの自然、星、宇宙の情報を記憶するようになる。

自分で巻いた種を、作物を育て、収穫し、食べる時
その一連の生命の循環を、食べ物を通して全て学ぶことが出来る。

それらの中には、あらゆる学問の根源なるもの全て宿る。

 
現代科学ではとうてい及ばない、植物の気持ちや、それらが場に与える影響。
自分の作物が生きてきたこれまでの記憶すべてを、自分に宿すことが出来る。
本当に完全な状態で情報を取り込むことが出来たとき、自ら植物の効能をフル活用できるようになる。

よもや、一般教養なんて目じゃないレベルにだ。

 
学校で勉強せずとも、人は勝手に考えて学んでいくもの。
なぜそうなるのか。答えを、日常の生活の中に見つけることが出来るもの。

このサイト内にあるほとんどの情報は、ベースとして学んだ知識はあったが、ほぼ実生活の経験から得たもので
まだまだ及ばずながら、最低限生活できる知恵ならば、実生活の体験だけでも授かることができると思う。

 

現代の教育のあり方、そのものは果たしてどうだろう?
何のために? 世の中生きやすくするために?
或いは人間社会にとって都合のよい人材を育成するために?

 
とか、都会の教育システムって、ある部分で間逆な気がするんだ。
学歴社会がほぼ崩壊してる今、大部分が機能してない気もする。特に中学〜高校と上がるにつれて

(もちろん集団の場である学校は、友達を作ったり、人間関係について学べる、貴重な場でもあるとは思う)

 
 
しかし、もっと自分たちの暮らしたいように、自由に人生設計することを学ぶならば
無理に学校に行く必要は無いはずだ。
自分たちで学べる環境は他でも創ることが出来るのだから。

無論、お金かけなくて…だ。
 

教育費の最低ラインは0が可能。
ここでも余計なお金は、必ずしも必要でなくなる。

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