欲望のままに生きる

欲望のままに生きる
この格言は、生きる場が

「自然」か?
「都会」か?

によって、全く意味合いが異なってくる。

 
自然の中で欲望のままに生きる時、全ての選択に自ら責任を伴う。
因果応報ともいう、欲望のままに生きた、あとの結果も全て受け入れる姿勢を問われる。

だから自然に、欲望のままに生きるとは、決して悪しきことではない。
寧ろ、素直に、自分のときめきや欲望に従えば、最高の道を歩めるガイドにも成りうると。
自分に返ってくる結果をダイレクトに感じることで、ここからさらに正確な選択をしていける。

一つ一つ進みつつ、間違えつつ、修正しながら、望む未来にどんどん突き進んでいける。
願望が叶っていくのを直に感じ取れる、もっともっと。
望めば望むほど、周りの皆が助けてくれるようになり、どんどん願望が形になっていく。

自然の中でなら、芯から沸き立つ欲求の最中、美しい舞台で素晴らしい舞を演じられると思う。

 
 

さて、都会という地場。
ここで欲望のままに生きるというのは、前者と意味合いが異なってくる。

都会は、何というか外と内で一つの壁を隔てている。
自分のやった結果というのを直に感じにくい、或いは時間差でしか感じ取れなくなってる。
だから都会で欲望のままに生きると、こうなりたい、ああなりたい。といった未来への欲がお座なりになってしまう。
代わりに今、瞬間瞬間の快楽への欲が先行して、何となく歪にゆがんでいく。

刹那的なモノが優遇されるのが、あの灰色の地の特徴であろうか。

お金じゃぶじゃぶ、それどうやって稼いだの?の影響も何ら無頓着に
高級料亭に観光リゾート、宴会飲めや騒げや最後は美女とホテル三昧だぜ〜。
そんなノリで快楽付けになって、一瞬の栄光と煌きの最中、そのまま灰となって燃え尽きる。

何も残らず、塵のように。

 
だから人は云う、欲望に負けちゃダメ。まじめに働け!って。
でもその言葉、都会においても罠。ようは仕組みの歯車に嵌め込まれるってことだから。
刹那的な欲を持つものに、否応なしに使い倒されるだけ。

そして座の集団ごと、皆消えていくんだ。。。
そこまで分かってて、黙って了承しろというのかい?
世の中の、これまでの常識や、縛り文句など、どうでもいいんだよ。

どうあっても、自分こそが最も大切な存在ではないか!
勝手に巻き込んでくれるな、と。束縛を跳ね返せるんだよ。

 
 
 

欲望のままに生きるとは、本当になりたい自分自身の姿を実現するということ。
自分自身を取り戻すこと。理想の未来を、頑なに求め続けること。

欲望のままに生きる

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