空虚な想い…

あれからふと、空虚な想いを感じた。

 
何にもない。
ただ生きるだけ。
何にもない。

そんな感情が流れ込んできた。

 
私はこのブログで、ずっと一つの願いを成し遂げようと奮闘してきた。

「みんな誰もが、安心して、自由に生きられる世界を創りたい」
 

「みんな誰もが」…その最小単位は自分であり、最愛の人との暮らしでも在る。

 
食べ物が自然に実る草地。
雨風凌げる藁葺きの屋根。
何も働かないで、最低限の暮らしが約束される生活スタイル。

ずっとそれを願って、あの日。
とうとう答えの一つを見つけていた 。

私は働かない。
働かないで、生きていける。
周りの木たちが助けてくれるから。
 
草地と、木が、水が、私の一部なんだ。

 

そして、自分にとって、それを実現できる手立てが、より明確になった。
その準備は、ある程度自前で用意できるモノだった。簡単な準備だった。

草地は、後から手に入る。
今は、現実の動きを見ながら、準備を整え、思考を研ぎ澄ませておけばイイ。

。。。

 

ようは、実現がよりハッキリ見えてきたということ。
そう思ったら、何だか、酷く空虚な自分自身が居たことに気づいた。

何にもしないで生きていける世界が実現したら
私は、そこで何をすればイイのだろう?って。

 
 
何にもしないで生きていける…
それ、何か生きてる意味が在るの?って
そういう思考回路を目の当たりにした。

 

。。。

何にもしないで生きていける。
これは、ゴールじゃないんだ。
寧ろ、本当の人生を生きるスタート地点なんだ。

自分たちの築いた領域の中において
自分の思いのままに生きることが出来る。

そこで何をする? 何をしたい? 何をしたら楽しい?
どうすれば、自分の生きた証を、後の時代に残せる?
どうすれば最愛の人の役に立てる???
あるいは、子どもたちの糧になれる???

 
「責務はない、何もする必要はない。好きなようにしてイイんだ」

 
この言葉を、どう受け止める?
私は、何の役にもたてないの? ただ生きてるだけなの?

って、思ってしまうのかな?

 

もし。

 
そうだ。

今までの教育体制や、労働体制、雇われの観念。働かねばならない。
ずっとそういう観念ばかりに囚われて生きていると、
いざ、自由の身になった時に、自分の本当にやりたかったこと。いつしか忘れ去ってしまってて…
退職後の、ご老人の方たちが、すでにそんな経験を成されているよね。
 
 
「好きなように…って。何をしたらイイかわからないよ…!!!」

 
こんなふうに、空虚な気持ちになってしまうものなのか。
自分がない。本当の自分を忘れ去ってしまっていると、また以前のような「働かねばならない」縛られた生き方をして、そんな責務の中で、自分は頑張って働いて、自分は世の中の為になってる、家族のためになってると錯覚して。(私たちの立場から見たら、それは無駄な仕事しか生み出してない)

そうして、周りの自由を振り回す生き方。

 
こうなるのは、自分の本当にやりたかったこと。自分の意志を、生きる意味を見失ってるからだ。だから、責務に縛られた生き方を望んで、生きたつもりになってるだけ。ただの自己満足に過ぎない。(その代償に、自分を含めた周りの自由を、時間と労力を奪う、というとんでもない有様)

 
親の心配で、子どもが迷惑被るのと同じ。親の余計な気苦労で、子どもが、自由を奪われていたのと同じ。

親は、何があっても受け止められるという度量で、のんびり構えておけばイイ。殆ど何もしなくてイイ。信頼しておけばいいだけだ。簡単なことだ。
最初から何も心配いらない。子どもは生まれながらにして一人前。その中で、自分の意志で善悪を判断し、子どもにとっての本当の人生を、幸せな時を歩むのだから。

 

心配するだけ無駄。
〜しなければならない。そんなこと言うだけ無駄。

こうあらねばならぬ。ではない。
間違ってはならぬ…ではない。

もうそんな地獄のような責務は消えている。
親だって、童心に還っていいんだ。。

かつて子供の頃の、あの頃のように。

 
こうしたら、もっと楽しくなるだろうか!
こうしたら、大好きな人に喜んでもらえるだろうか!

そういった、喜びを生み出す気持ちで、前を向くんだ。

 
「あなたは、この自由な世界で、何をやっても良いんだよ、」

 
どうしたい?
どうしたら、あなた自身の想いを叶えられる?

 
安心して暮らせる「普通」の暮らしは、
実は、最初から存在しないものだったよ…

もう、目の前にあるよ。
安心して暮らせる「私たちの」暮らしが・・・

 
「安心して暮らせる」を境界線として
あなたは、その中でどのように生きていたいだろう?

 

私は、ずっとこの暮らしを構築するために
ギリギリの状態から、働いて、お金貯めて、何とか余裕できて、
「安心して暮らしたい」その為に何が必要なのか。
まず食という視点から研究して、様々な情報を分析して、こんなサイトまで創って
やっと、最低限のボーダーラインが見えてきたトコなんだ。

ずっと、責務に追われてきた。

 
だから、いざ願いの片鱗が叶うというときに
空虚な気持ち、感じたよ…

でもこれは、それ以前の「本当の自分のやりたかったこと」を、ずっとおざなりにしてたせいだったんだ。
私は、思い返してみた。私自身は、本当は、何をしたかったのかを。
そうしたら、あの日の、楽しかった頃の記憶が、思い返された。

むかしのこと

 
私は、最初からこのように生きていたかった。
音楽を創ったり、物語を描いたり、それを読んでもらったり、同じ志を持つ人と語り合ったりして
自分の創造の世界を、次々に広げていって….

もし、生きることが最初から保証されてたなら
今頃、もっともっと色々な作品を生み出せてたと思う。
色んな仲間たちと、今でも楽しく語らいながら暮らせてたと思う。

今、やっと自分の人生を生きるスタート視点に立てたんだよ。

 

本当の、自分自身を見つめなおして。
あの日の、楽しかった頃の記憶を、もう一度再現してみて。
私に、教えて。その頃の想い出を。

そして、もう一度、再現してみて。
あの頃と同じ気持ちで、やりたかった本当の人生を、ここから紡ぎだして。

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