気遣い、思いやりを学ぶ場

それは言葉遣いに現れる。
これまで自分の言いたいことをどう話すか?としか考えられて無く、
相手がどう感じるかまでは頭にない。だから誤解を招く表現になる。
キミが上手く伝えられないのはその為。

総じて、想像力が足りてないということ。

 
あなたはその未熟さを、他の何かで埋めようとした。
それが、他者に対する攻撃的な物言いだったり、不安や焦り、なぜ理解してくれないのか!と他者を責めることでしか、表現できなかった。
それでは上手く行かないのだ。なぜか? 物言いが不完全だからだ。
相手がどう受け取るか…という思いやり・想像力が足りてないからなのだ。

 
。。。。。。

と、気づきの機会を得られました。
 
まぁブログ上では、そんなん関係なく、その時の想ったことや体験を素直に書くんですが(何がそんな感情を思わせたか、後で知るのに役立つから)

 

一方で、万人向けのコラムを書くときは
以前から自分の言葉を、第三者の目で見ることをしてます。
相手がどう受け取るか、というのを、読み手の立場で意識しつつ、逐一修正を重ねていってます。

万人に発信するのに、明確な意図をクリアに伝えるために、受けての立場を考えることが必要だとは、もともと理解はしていたのです。
しかし、今まで自分自身の基準でしか判断できなかったので、時間経過やその時の精神状態の差を利用するしか無く、最終稿までにとてつもない時間を要してました。

これ、現実の会話になると、時間掛かり過ぎて言葉にする難度は半端なかった。
あまりにかけ離れた考えの人には、理解される言葉で話すのは、とうてい無理だと諦めてました。
だから、まず他人と話すときは、概ね聞く方に専念してました。
自分と意見が合わない、衝突が予期された時、お互いのために自分からは敢えて話さないことを、選択してました。逆に意図せず聞き流してたりとかもあった…親子間であってもそう。
それで平和的に過ごせるし、周りとも上手くやっていけてる。ただし身近な親からは、あなたそれ大丈夫なの?って何度も聞かれる。そこは問題ないと応える。何度も…ううっとおうしい。
大丈夫だと自分の中に揺るぎないものがある。実際にやっていけてるではないか…! って、そんな心境でした。最初から信頼してくれりゃ、自分のやることに集中できるのにな。

まぁ、ときに話せるな?と想った時に、自分の言葉で話せる機会も出てきて、その範囲において分かり合えるケースも生まれてきます。親でも、他人でも。

それに、行く場所行く場所で同じような考えを持つ人には巡り会えるわけですから。
自分たちの分かり合える範囲で、一から作っていけば良いんだと。ある面で、広く浅くの人間関係で満足してました。

 
しかし、心からすべてを伝えたい人がいる!となった場合、さらに学ばねばならなかったのです。
普段の会話でも、出来る限り考えて、相手の立場や受け取り方を理解しつつ、段階を追って発信することを。
 
 
言葉遣い、思いやりであったり、相手に与えるイメージのきっかけ。
外観、第一印象。その人にとっての一般常識に失礼のないようにすること…
今まで不必要に思っていたことが、そこで必要になってくるのだと思いました。

なるほど…と思った(‘ ‘*)

 
今までは、自分自身が生き抜くために、この世界の成り立ちへの理解のみに集中してました…
主には、私たちの為に元々あった自然に対して。食べ物について。
自分の生きる場所において、どういった素晴らしい世界が実現しうるのか…
あえて目先の現実から距離を置き、夢を、一人思案し続けてました。

だからこそ、身近な人の思考回路にない、より人間らしい生き方の概念を見つけていけたんだと思う。
その代償に、これまで身近な人の気持ちを把握することを一切考えなかった。
いや、把握してたからこそ、その壁に衝突してまで関わろうとは思えなかった。
自分の理想を明確にするにあたって、その人と関わることは不必要だと判断したんだ。

想いに共感した誰か、付いてきてくれる人がいれば、それでいいと思ってたんです。

 
この選択は、自分の人生を歩むことに集中できるメリットが有ります。基準がシンプルなうちに学ぶ。おそらく、赤ん坊の段階で誰しも学べる機会を与えられてたはずです。

赤ちゃん視点での学び(の一例)

 
こうして自分(=元々の自然と同一)の単位で考えた時、どうすれば居心地よい「 」となるのか。想像性を、思う存分に発揮することができる!
そうして未来まで見据え、ゆくゆくは未来に、子どもたちに、より望ましい「 」を与え継ぐまでの筋道を。指針をはっきりさせていく。。。

 
…につれて…
やっと身近な人との関わりあいについて、教わる場面に巡り会えたのでした。

⇒ ここからは小学生レベル(思いやりとか気遣いとか)

 
この先、生きていく場所には、それぞれの役割をもつ色んな人が居るわけで…
環境を考えるならば、そこにいる周りの人たちのことを理解する、気持ちを想像することが必要になってくるのだなって。

 
気づいたのでした。
今この段階。

 

誰もが始まりは、自分自身のことからだった。自分自身を理解することから。。。
それが広がって、母親、父親、兄弟。親しい友人関係。親戚…お店や学校、働く場所。

この先、どのようにすればお互いに素晴らしい人生になるのか。
少しずつ、分かり合えるようになっていくのでしょう。

 
人間の学びというのは、よくできています(‘ ‘*)

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