なぜ?という視点が、視野を広げる
過去にこんな記事を書いた。
⇒ 乳酸菌から学ぶ、ネット情報の信頼性
乳酸菌は発酵しないという環境にいる人
乳酸菌が発酵するという環境にいる人
どちらの言い分も、ある面で正しかった。
もし自分の境遇だけを正しいと考えてしまえば…
相手の「前提」とする視点を知らないまま、終わってしまう一例。
しかし、なぜそうなるのか?という視点で
自分と相手の「何が違うのか」を理解しようとすれば、たちまちその謎が解明される。両方の正しさを理解できる。
そして、最終的に望ましいのはどちらか、自分の感性で選び取れる。
先日、こんな会話をした。
「動物性も食べないとダメだよ?」
「いや、動物性は食べる必要ないんだよ」
「ベジタリアンの人は寿命が短くなるってどこかの研究で証明されてるよ?」
「ベジタリアンの人のほうが寿命長くなるってデータもあるぞ?」
心配して、身体を気遣ってくれているのは有りがたかった。
ただ、どちらの言い分にも、それぞれの正しさがある。
お互いに前提とするところが違うんだ。だから意見が行き違う。
ここでは、お互いの思い描く「野菜」が全くの別物だと感じた。
野菜の栄養素も美味しさも全くの別物。
つまり、自然の「野菜」が十分に揃わない内は、なるほどそーか(‘ ‘*)!
「正しさ」とは前提とする境遇で変わるものだな、と思った。
正しさの基準は相対的で、皆が皆に当てはまるモノでもない。
単に、前提が実現可能かどうかの問題。
まぁ前提が実現可能って、前提はどういう形であっても実現はできる。誰もが実現できる。その方向性に良さを見いだせれば、すぐ変われる。
「その方向性に良さを見いだせれば」
一見相容れないような世界、色んな世界の良さを
自然体で、ありのままで体感できるようになったら、どれだけ良いだろう。
自分たちのライフスタイルを自由に選べるように。
なりたい自分に簡単に変われる。
違う世界の素晴らしさを知って、簡単に取り入れることができて、もっと色んな人と喜びを分かち合えるような。苦しみだってすぐ成長の糧になって、瞬く間に独自の持ち味が活きて。
なぜ?
どうして?
相手の正しさを認める、疑問点が浮かぶ。
自分との違いに興味を持つ、疑問点が浮かぶ。
この気持ちが、今まで無かった世界と繋がるきっかけに。
そうやって世界のパラドクスを紐解き、
いろんな場所、渡り歩ける範囲を広げていけばいいかの。
理想の実現までは未だまだあるし、現状でバランスとるか。
まずは植木鉢だな(‘ ‘*)
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