土地から視た、私たちの存在

土地は、今まで生きていたあらゆる生命の、先祖たちの集合体。
地面の下では、何代も前の記憶が層になって積み重なっている。
より深い、遠い先祖たちが、地表へ続く私たち全てを見守っている。

さてさて。7代前の祖先にとって、私たち親子はいずれも…同じ子供だ。
子より親のほうが、ちょびっと早く生まれたに過ぎない。
もっともっと前の先祖の立場になれば、よもや平等の扱いに等しくなる。

 

土地の想念…遠い先祖にとって
私たちは子どもたち。そんな感覚(‘ ‘*)

次に、私たちが土地に対してそうであるように、
土地はそこに棲む人を自らの一部とする。
土地と契約を交わすと、人は土地の延長線上にある存在となる。

まぁ、いずれその地の下に眠るわけですから、そうですよね。。
 
 
土地は人にとって守り神になり、また親も同然となる。
信頼関係で結ばれるの、親から子へ。代々引き継がれてゆくように。
土地にとって、人とは自らを豊かにする可能性そのもの。
 
 
私たちは土地の上で、直に先祖の記憶を感じ、歴史を感じて、今生に花を咲かせる。

大いなる時の先端に、私たちが居て、輝かしい未来が形作られるさまを、土地と共に感じながら、私たちは生きつづける。
それはとても幸福な感覚で、代々の繋がりと共に生きる、素晴らしい生になると思う。

 

さて、なぜか空き地が目の前に在った。
初めてのよそ者が、その土地と契約を交わしたいとするとき。
その土地は、よそ者どのように見て取るだろう、そこに棲んでた先代たちの想念はどう思うだろう?

「何のようだ?」
「帰ってきたのか?」
「俺の声が聞こえるか?」
「また何処かへ去っていくのか?」
「お前は、ここで何をしたいのだ?」
「ここに居つく気はあるのか?」

 
半信半疑の状態で、土地(主に一番新しい先代の声)は私に問いかける。
私は、未だ完全に応えることをしない。
出来る限りのことはする。今は出来る範囲の限られる。
 
 
「私を木々で呼んだのはあなたたち。私に何ができるでしょう?
 最初にあなたたちの言葉を教えてほしい。その上で、出来る限りは応えます」

 
まぁ庭園を蘇らせたいだの、
小さなお店したいだの、まだまだ先(o _ o。)
 
ここを100%使って良いのか許可がとれるまでは、意思疎通が図れるまでは
この土地で調和の揺らぎを整えることに務めるのです。


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土地の想念が私たちの親

土地には、先祖代々の生命たちの痕跡が埋まっている。
落ち葉や昔々の生き物たち、先祖のお骨が埋まっている。

土地が自分自身の一部になるとき。
土地の想念全てが、「私」の親となり友となりうる。
「私」が、先代たちの魂を引き継ぐからだ。

 
親から子に遺産が相続される。
だが、様々な理由で相続できない、或いは相続がなされない。
というのは、哀しいことかもだけれど、血の繋がった親と子の関係であれ、縁の大部分は薄れてしまうんだ。
代わりにその子が別の土地とつながりを持つ時、その場所が、真の繋がりのある親として迎えてくれる。

お嫁に行くって、このような感じだよね。。
お婿に行くのも、このような感じだよね。。

 
私たちの根付く土地が、親。
土地が子に、日々の糧を実らせて養ってくれるのだから。
よく考えたら自然なことなのです。

 

子どもが居なくなった親は哀しいのです。
だから迎え入れたい。出来れば、血の繋がった子に帰ってきて欲しい。
けれども願い叶わぬのなら、「私」がその想いを引き継ぐのです。

先代たちの想いと、何よりも自分自身の為に。


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人は種子、土地に根付くことで花開く

人が能力を100%開花できないのは、脳のメカニズムが解明されてないからではない。単純に、能力を引き出す条件が揃ってないだけのこと。

 
人は種子。無限の可能性を秘めたる存在。
種子が根付くのに、必要なのは土地だ。
住む家じゃない、根付くためには直に土地なのだ。

 
その土地で、骨を埋める決意をしたとき。
私たちは、あらゆる可能性を土地の上で再現しようと全力を出し始める。
誰のためでもない、自分自身の為に。自分自身がその土地で生き抜くために。

土地を自らの一部とするのだ。
そうすることで、人は無限の可能性を開花できるようになる。
食べ物を自給し、自分の世界を築き上げ、土や水、木々。太陽の光を介して、
自分に関わる地上の全てを目の前で感じ取ることに集中する。

 
区切られた一区画で、自身が喜びの中で生き続けるために。
人は、喜びに生きるためのあらゆる可能性を土地の上に再現していく。
なりたい自分が、土地に根付いた生命たちと共に、創りあげられる。

 
人は種子。
花開くには、土地が必要。

土地にとって、人は自らの地盤を実らせてくれる可能性そのもの。


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先代の残した遺産

もう誰も使わない家。土地。。。
どうして、見捨てられてしまったのだろう。
どうして子どもたちは、出て行かねばならなかった?

 

ところで私の母は、マンションが欲しいと言ってました。
夢はマンションを買うことだと。。私が居なくなったらあなた使っていいのよ?
そんなふうに言ってました。
 
で、うちにゃ必要ないんだよな、それ。
寧ろ邪魔なだけ。マンションなんぞ相続放棄したいくらいだ。
あれは維持費の負債にしかならん。老朽化が進む一方。
いずれ朽ち果てるものだ。それに想い出も何もない。

母の思いは
「帰る家がいつでもあるように。万全に」

だとは思うのだけど、自分都合で勝手にセッティングしてるだけ。
子供が何を考えているか、何を必要としているかなんて見ようともしない。
自分都合で何でも揃えようとしてるだけ。邪魔なものばかりを。。。
頑張っても報われんな。寧ろ何もしてくれんほうが良いな。。

つまり今の親はおバカちゃんなので、遺産は見捨てられる結果になりますよと。そういうことでした。
自業自得。子どもの立場からしてみれば、やるせない思いです。
まぁ現状このままで行った場合の、仮定未来の話になります。

 
  
さて、考えてみると。
自分の場合と、昔からあるお家では訳が違ってくるのを感じます(o _ o。)
あの空き家は、昔からあるお家、両親と一緒に過ごした想い出があるはずです。

遠くに行ってしまって、もう使わなくなったとしても、
想い出を捨てたくないのかもしれません。
心ない人の手に渡ってほしくないのかもしれません。

十分にお金は残されてて、維持するくらい何のこと無いのかもしれません。
それとも、またいつか帰ってくる予定があるのでしょうか…

万一にも、仕方なく相続して放置する他なかった?

 
 
子どもたちは県外に赴いて、県外に拠点を構えて、
後にここに居たご両親は亡くなってしまって、
家と土地だけが残されて、日に日に想い出が色褪せていく、ここは空き家。

子どもたちが帰ってくる理由…なくなってしまっている。
木々が、哀しそうに佇んでいます。

 
私は物思いにふけます。
まだご両親がご健在だった頃、どのような想いで此処に暮らしてたのかを、
お庭のセンスは抜群に良いです。きっと、昔ながらの庭園を大切にされてた方なんだと思います。

 
しかし、家の建ち方は窮屈そうでした。元々あった家を増築したのかな?
何というか、住む人のこと、帰ってくる人のことを考えてないような…
かつての設計は人任せにされたのでしょうか…
間取りはこうスべきだと、当時の常識に縛られてしまったのでしょうか?

 
入り口から玄関がとても窮屈です。
入りづらい雰囲気を醸しだしてます。

もしかしたら、身内から外に対して一線引かざるを得ないような
家柄に印象付けられていたのだろうか…(‘ ‘*)?
人が出入りしづらい、入り口から玄関にかけての閉鎖感に何となく。

 
今は、伸びすぎた木々の枝たちがたくさん、入口付近に打ち捨てられています。
まるで誰も入ってくるなと仰ってるように。
此処は空き家だが、入ってくるなと主張せんばかりに。
なのに連日、何かしらゴミが捨てられている。。。

矛盾です(o _ o。)

 

この土地は哀しんでる。
でもその感情の裏側には、もっと純粋な願いが宿っていたのだと想います。

私は、この庭の作りが好き。とても風情が在る。
松の木も立派。今は哀しそうだけど、きっと蘇る。

 
それは何のためにある?
土地に残された植物たちに尋ねる。
何を想ってこの土地を残したの?
どこかに行ってしまった先代のことを考える。
 
私は知らない。
これから知っていきたい。


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結婚前の課題・心得ておくこと

以前、こんな記事を書きました。
私の考える理想の共同生活。

自立×自立 発展のアイデア

 
過去、婚約者居ましたが、結婚間近になってハイ待った(。0 _ 0。)ノとなった。結果お別れ。
何でも、何かにつけて責任が生ずるとか何とか。
一々身の振り考えるのも、相談しろとかイヤイヤ。
全部がキミに相談できる案件じゃないんだよ…特に仕事面に関してほらほら。

 
この時、世間のご家庭において、個人個人が思うように動けない理由が分かりました。
おまいら、家族に対する責任で雁字搦めになっとるやないけ?!

 
いやー、どんな時も優先スべきは自分自身、個人ですわ。
一人一人が自分優先で動くから、一人一人に思う生き方が実現できる。
その一人一人が帰る場所として、家庭があり家族が在る。そんな感覚(‘ ‘*)

お互いに大切だからこそ、家族に対して遠慮は要らない。
いちいち遠慮してちゃ、個人個人が活かせんのよな。
これも過去の記事で書いた

http://goldenflower.jp/blog/2407
http://goldenflower.jp/blog/2919

 

ということで。 
その結婚ハイ待った(‘ ‘*)!

 
ってなるのも当然の理由だ。
自分の思うような人生を生きてないうちはダメだ。
自分の思うような人生歩めてないのは自分自身のせいだ。
それを相手の責任にしてちゃ疲弊しかねない。お互いに。

 
心配する必要だって無い。
心配したって、まるで見当違いな事が多い。
核心的な部分を理解せずして、助言などあり得ない。
 
他人を気にかけるより自分で出来ること沢山あるだろ…
自分の行動次第で、相手の欠点はカバーできるものだろ?

家族同士の余計な心配とは、全員一人一人の未熟さの現れ。
力になりたいのに何も出来ません、理解できません、と子供のように拗ねてるだけ…
いや相手の形振りは相手自身に任せておけばいいんだよ。それが自然だろ。

寧ろ心配されても、心配すんなコレが俺のやり方だとなだめるのに手間どるだけ。
こちら未熟なうちは、無碍に突き放すしかなくなるわけだ。

 
最初は理解に努めて見守るのみ。それが当人にとって最善な選択になることも多い。
  
俺だって優先スべきことがたくさんあるんだ。
集中させてくれよ、集中させろよな(o _ o。)

 
せめて、俺の思う自分の人生を生きれてからだな。
自分の人生を目の前に100%実現できてりゃ、相手も全面的に信頼するだろうしな。
信頼して付いてきてくれるなら、喜んで養うしな。

 
だが信頼できん部分があるなら、そこは未だ関わらない方がいい。
俺は未だ未だ自分の人生100%生きれてない。

それまでは解き放てよ。好きなように生きるのに全力だよ。
成し遂げたいこと、本物の人生を歩むのに全力だよ。応援してくれるよな?
お互いそうだよな。そうすりゃ一緒になる時、お互いの個性が活きるようになる。

 
素晴らしい未来が開ける予兆じゃ(。0 _ 0。)ノ


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