水道が止まる。
あの雪で、一時的に水道が止まった。
あれは予兆だと感じた。
もし水道が使えなくなれば
都会の生活はどうなっていくのだろう。
電気が使えなくなれば?
ガスが使えなくなれば??
そして、車が使えなくあれば?
ライフラインが止まる夢を見た。
都会は暮らしやすいなんて幻想だ。
物流が止まれば、そこには何もない。
ならば田舎に住めばいいのか?
そーでもない。
田舎は車がないとダメだそうだ。
車…車も、ガソリンが配給されなければ使えなくなる。
田舎の一角だけで、生きていく覚悟など出来るのか??
都会の人も田舎の人も
みんな、自活はできるんだろうか?
なんて脆い。
なんて脆い。
恐ろしい夢を見続けている。
私は、あの時決断できなかった。
ここで決断したら、全てが終わりだと思った。
生きていくための基盤がなければ
どんなに目先が楽しくとも、空虚な最期がちらついてしまう。
もう見え始めている。
その前に、何とかしなくては。。。
頭の中に、どうすればいいのか答えは出ている。
覚悟を決めて、1つずつクリアしていくのみ。
心に不安があるとですね。
お互いが衝突しかねないのでした。
そりゃ。未知に対する不安は大きいもんな。
普通の人にとっては、理解を超えた行いへの不安に対して。
未来を切り開く側にとっては「普通一般」の考え方に潜んだ危険性に対して。
こちら、普通という枠組みに潜んだ「危険」を極端に恐れすぎたがために、焦って時間短縮を優先した。
常識を無視した…必要な手順の数々をすっ飛ばそうとした。
「焦り」が元凶なんだよな。
「あれ」が無ければな、些細なことくらいは、カバーできる自信があったんだがな。。。
だけど…
一度体調を崩して、こりゃマズイと思い込んだ矢先に。
⇒ http://goldenflower.jp/beauty/7-healing.html
これまで危惧してた不安要素の…最悪な知らせが次々に飛び込んでくる惨状。
⇒ http://cocologsatoko.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-6d25.html
⇒ http://cocologsatoko.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-2b7d.html
⇒ http://cocologsatoko.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-2225.html
⇒ http://cocologsatoko.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-7c3b.html
あとこんな記事
⇒ http://grnba.secret.jp/iiyama/hikari.html
⇒ http://grnba.jp
この「ホ」の影響を極端に恐れすぎた。
すぐにでも何とかしなければと思っていた。
この焦りが一層強くなってしまった。
だから、田舎に行こうとしたり、いきなり広い土地を探したり樹を植えることを言い続けたり。
適切な手順をすっ飛ばさざるを得ないような心理が、働いてしまってたんだ。
乳酸菌や麹など、発酵の研究は独自に進めておるぞ(。0 _ 0。)ノ
そりゃ、家族の生命や健康には何事も代えがたいからさ。あれの危険性は未知数、しかも間近に存在する。早くに出来る限りの安全策を取りたかった。
彼女や周囲に理解されなくても、目先の希望を無視してでも、自分なりに守ろうと必死だったんだ。
まぁ、衝突や不安のしっぺ返しがものすごかったです(o _ o。)
このブログ書いてる方「飯山さん」3.11よりずっと同じことを言い続けている。
あらゆる著名人が彼の言動に注目してることから、記事はほぼ事実なのだと匂わせる。
彼のブログを見る以前から、自分も同じようなことを考えてたし。記事の内容はそれがより具体的だった。だから私も同調した。
もし、飯山さんのブログの言い分だけを全てだと捉えるなら。
無理矢理にでもその通りにするのが望ましいのだ。
海外居住への準備、田舎暮らし、一日一食、玄米・あらびき茶・豆乳ヨーグルトだけ飲む。で、夜は焼酎(笑)
それらは回答の一つ。彼の見てる世界での最適解。
で、私も同じような考えを持っていた(田舎暮らしまでの段階)
ただよくよく考えなおしてみたら。
書かれてある言葉は事実の一部分でしかない。彼の見てる一部分でしかない。
書かれてある事実は事実だが、それに対する見解は誤解を招く表現だったり…もしくは不十分である要素を多分に含む。
提唱された対処法は、彼の見てる世界での最善でしか無く、私たちにとっては解の一つでしかない。
その解が、全てではない。
万人にはとっさに実現不可能な場合もある。
だから一人一人が自分の道を模索し、覚悟を持って進まねばならない。
一つに対して盲信はダメなんだ。
物事の1面だけ視て全て分かった気になってはならないんだ。
彼も誰も、ことの真実すべてを理解していないから。
そう、飯山さんですら…核心を見落としてる節があるから。
「あなたが見てる世界が全てではない。あなたの最善が全てじゃない。どうしてそれ以外を無視するの?
あなたの見ようとしてない世間には、また違った方法がたくさんある。それを知ることで、もっといい方法が見つかるかもしれない。
現に私もあきさんのそれと同じように、あなたの知らないことをたくさん知っているんだよ。」
自分の視点…彼の視点や…専門家の視点だけが、全てにはならないんだ。
聞くみみを持たない性格は、間違えの一端なんだ。そこを学んだ。
だから改めて、放射能がどういったものか、より客観的な視点で考察を深めてみたんだ。
そしたらどうも「ホ」の危機を乗り越える方法は、もっと自然な形であるように思った。
現に「放射能が危険」という視点では、放射能の存在理由…内面までも理解しきるのは不可能だろう?
存在を理解し切ることなくば、それに対する最適解は得られないんだ。表面上の対処しかできん。それじゃ不十分。
故に今の段階では、ベストな選択肢は得られん。
幸い「ただちに影響はない」んだろ? あれから5年近く。
何年もつか知らんが、最適解を見つけるまでの猶予を与えられているんだろうな。
「焦りは盲目」だった。自分たちにとって失敗の原因であった。
でも、彼のおかげで未来に対する備えを、自分なりに築いてゆく機会を得られた。
それだけでなくSTAP細胞のことも
有用微生物がもつ永遠性、生命の未知なる可能性にも。
これまでの生活基盤を進化させる気づきにも恵まれた。
少し落ち着くと。
冬至を過ぎた辺りからどんぐりの出会いがあったり
彼女からかじゅまるくん「精霊の樹」の子どもをいただいたり。
大きく動かずとも、身近の出来るところから助けて頂いてるように感じてます。
これが自然な形なんでしょうね。
よくよく落ち着くと。
今できることは、もっとよく周りを視ること。
自分のできる体験を通して、あらゆる存在の意味を理解すること。
自分の見えてない身近なところに、もっと適切な答えがあることを知ること。
なのかなと。。。
落ち着くだけで、視えてくるものは広がってく。
焦りはまやかし。周りをよく視るべきだというサイン。
マスターからも言われた。
最近のお前は焦り過ぎだったなって。
前回の記事より
⇒ 福島の放射能とは何なのか
突き詰めてみた。
あれは鉱山の地下深くに在った。
その理由が、分かりました。
放射能は、太陽のそれと同じく植物の栄養源だった。
ウラン鉱石とは、地球の地下深くに根付いた第二の太陽だったのです。
それがお陰で山々は生い茂り、豊かな実りを宿していたのです。
そういえば、原爆に関してこんな題名の映画がありました。
⇒「太陽を盗んだ男」
ホント、そのまんまですね(‘ ‘*)
例えるなら、ウラン鉱石は地下の太陽。
地表に根付く全ての植物の生命線であり、ということは私たちにとっても生命線。
いわば、ウラン鉱石…放射能とは地球の生命の起源…そのものだったのですね。
それを理解しました。
ウラン鉱石さん。大気中の放射性物質たち。
あの子たちはただ、元の棲み家に帰りたがってるだけでした。
地下深くに、再び眠りにつきたがっている。
あの子たちは地表の生命あふれる夢を見つづけて居たかった。
私たち人間は、それを無理やり掘り起こし、安らかな夢を壊した。
だから地表は、再び混沌の最中に巻き込まれてしまった。
宇宙の、創造の瞬間と似ています。
創造と破壊。それは表裏一体であると。
在るべきものが在るべき場所に根付く。そして調和の形が取れる。
理解しました。
原子炉に囚われた放射性物質さん。
あなたは故郷に帰りたがっているのですね。
再び、在るべき場所で眠りにつき、植物たちを始めとした、様々な生命の根源となり、地上の夢を復活させたいのですね。
津波を起こしたのはあなたですね。
原子炉近くで頻繁に地震が起こるのも、あなたの切実な想いの現れなのですね。
大気中を介してでしか帰れません、
海の水を介してでしか帰れません。
ホントは、そんなことしたくなかったですね。
はい、分かります。
ただ帰りたがってただけですものね。
でも、他に手段がなかったのですよね。
それを理解しました。
福島の瓦礫の扱いを理解しました。
地中に埋めてください。
その上に、樹を始めとした様々な植物の種を蒔いてください。
ウラン鉱石は、ただ夢を見続けたかったのです。
生命の溢れる楽園の夢を…
理解しました。
ポイントは、樹です。
樹を植えれば、きのこが生えます。
きのこは、地上に降り注いだ放射性物質を吸着します。
そして地下に、在るべき場所に還します。
樹なのです。
樹が、ウラン鉱石たちの帰り路を導いてくれます。皆の望みを叶えます。
樹を出来る限りたくさん植えてみてください。
そうすれば、おそらく日本は生き延びます。
(「日」本…の国名の由来が、ここで明らかになるとか?)
お日さま、地下深くに眠る。生命の樹。
そのものを視るより、それが与える影響から、存在理由を推測したほうが良さそうだ。
福島原発から漏れでた放射能とは、一体どういったものなのか。
先日、こんな記事を書いた。
⇒ http://goldenflower.jp/blog/2941
存在の真実を見極める時、
それが元々何で在ったかを思い出すのだ。何を願って存在したかを思い出すんだ。
そうすれば、真実を見つけられるはずだ。
と。
核心を突き詰めるにも
「放射能は生き物」だと、いう前提で観てはどうか。
あの原子炉から出る、放射能は、原子炉に入る前は元々、どんな暮らしをしていたのだろうか?
どういった理由でかつて存在し、転機となる原子炉の一部に組み込まれた時、いったいどんな想いを抱いたのだろうか?
炉から解放された今、どんな想いを抱いて日本列島や米国を始めとした、全世界中への旅を始めているのだろうか…と。
ではまず「核燃料物質が何なのか?」について見ていきます。
核原料物質とは原子力基本法第三条第3項で
http://www.weblio.jp/content/核原料物質
「ウラン鉱、トリウム鉱その他核燃料物質の原料となる物質であって政令の定めるもの」
具体的には、ピッチブレンド、モナザイト、トール石等のことを指します。
元々は鉱石だったわけですね。それらを過去、大規模に採掘していた、と…
続いて、天然の鉱石を採掘する現場の様子にリンクしてみました・
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Ningyo-toge/Ugoki.html
http://chikyuza.net/xoops/modules/news1/article.php?storyid=113
ウラン鉱山に由来する被曝には2つある。1つは採掘に従事する労働者の被曝であり、もう1つは掘り出した鉱石、鉱滓および残土による環境汚染からの被曝である。
ウラン鉱山労働者には古くから肺の病気が多発し、それが肺癌で、原因はラドンとその娘核種にあることも1930年代には明らかになっていた。ラドンはウランの娘核種の一つで、気体であるため、ウランを掘り出してしまえば、容易に空気中に逃げ出して、人体に取り込まれる。特に、ウラン鉱山の坑道にはラドンが充満し、労働者に肺癌を引き起こしたのであった。
また、ウラン自身の半減期は45億年。仮に製錬によって鉱石の中から完璧にウランを取りだしたとしても、残りの鉱滓にはトリウム230から鉛206までの娘核種がすべて含まれる。トリウム230の半減期は80万年という長さである。結局、ウランを掘り出すかぎり、人類は永遠という長さにわたって、これらの放射能による脅威を受け続けることになる。今日までの原子力開発ではウランを利用するという面しか考慮されず、鉱滓はもちろん、利用されなかった鉱石も環境に打ち捨てられた。国連科学委員会は、原子力開発による人類の最大の被曝源は、原発そのものでも、再処理工場や高レベル廃物でもなく、ウラン鉱山の鉱滓にあることを、すでに指摘している。
鉱山では、既に悲劇が引き起こされていた。
山は削られ、生態系はぐちゃぐちゃ。
近隣に住むものたちは生命の危険に晒され、生活を脅かされ続けた。
原子力発電は、そうした犠牲のもとに成り立っていた。
現地の住民たちの地獄のような労働環境、怒り、やるせなさ、そして山々の惨状による動植物たちの嘆きが、鉱山総出の莫大な怨念となって、あの核燃料には凝縮されていた…ということだ。
それに「あの鉱山に眠っていた鉱石は、どんな想いで持って行かれた?」んだろうな…
そもそもウラン鉱石が、もともと「何」で在ったかなんて、何処にも記述がない。
あれは一体何のために、底に眠っていたのだろうな?!
最後に福島の放射能が与えた変化を、まとめてるページにリンクしてみます。
http://matome.naver.jp/odai/2131868875945910701
動物に対して…健康被害の懸念、あと奇形
植物に対して…巨大成長、奇形も
人間社会に対して…致命的な打撃、負債
これまでの決まった形を突き破るかのように、
これまでの枠組みを取り去るかのように、
目の前に混沌が広がりつつある(‘ ‘*)
「変化」これまでの違う、アンバランスな…何を求めての「変化」?
有無をいわさず、社会の隙間を縫って、無理矢理にでもねじ込むかのように、生物や環境を変異させ、巨大植物へと成長を促す微粒子。
放射線が、これまでの生物の遺伝子情報(DNA)にバグを起こさせている…という事実。
それは何のために??? 放射能を宿したあれらは、一体どんな存在理由で世界中に拡散しようとしているのか?
植物性乳酸菌にとって、放射線は栄養みたいなものらしい。
事実、そうなのだと想う。実際にあちらの植物はあんなにも巨大化してるからね。
http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=107
巨大植物への成長と、1つの花を2つに分裂させた事象。1つの種が2倍〜数十倍の効率…
あれは、人間社会に搾取され続けていた野生の植物たちを支援してるとの観方もできる…
どうしようもなかった植物たちにとっては、アレは有益な存在だというのか。。。!
推測した。。。 まぁ推測でしか無い。
植物たち、特に樹の視点は、人間のそれとは違って、数百年、数千年、万年の視点で視る。
放射能の半減期までの期間や、それまでの混沌とした奇形腫の発生など、とるに足らないことだろう。。。
皆いずれ在るべき姿に戻るのだから、それでいいじゃないか…って。。。
私たち、このままでは一旦死ぬ。
適応できない動物たちも巻き添えになって…
罪のない子どもたちも…
ああ、それでキミたち古代の植物が味わってきたように、復活に至るまでの永年を待つの??
千年、万年? それとも、放射能がこのまま加速度的に加速して、混沌が激化する分、復活の時は早まるの?
それで人は、自ら生み出した放射性物質の現状に対し、どう折り合いをつけるの?
もはや何もかも謝罪し、償いの限りを尽くすのが、道理でしょうか?
私たちは、かつて自分たちの贅沢しか考えてなかった。
自分たちの都合しか考えてなかった。
自然の産物たち、あの子たちの嘆きを聞き入れる耳を、持ってなかった。
だから、間違えたんだ。
改めなければ…
この場で、あの子たちの嘆きと訴えを受け入れるしか無い。
そして出来る限りを償い、あの子たちの真の望みを叶える、その為に生きるしか無い…
目先の生き死にすら度外視して、出来る限りを償うしか無い…(o _ o。)
今そんな心境です(‘ ‘*)
できるならば、そうやって生きてこの先を見届けたい…!!!
その為に、何が出来るのか?? これからを突き詰めていくのです。
続き ⇒