いきなり、野生の土に戻すと。
そういった場所での生育が想定されてないためか。
山全体からお叱りの言葉を頂きました。
先日の日記。
私は、植物はきちんとした土で育てたいと思って
山にも幾つか植えたのでした。
でも、その土は最初から其処にあったもので
其処に自生する植物さんのために用意されたもの。
勝手に使っていいものではなかった。
外部から来た苗が、入り込む余地はあまり無かったようです。
。。。私が一から育てた場所じゃないもの。
そりゃ、いきなりお願いするのはその場所に対して失礼だった。
昔、植木鉢で育てるのは、土が遮断されてて可愛そうだとおもてた。
植物は、根を通して土につながって、土を通して色んな植物たちとネットワークを貼るんだ。
って思ってたから。
一つ一つ独立してしまうのは、どうなのだろうと思っていた(o _ o。)
しかし、私は見落としていたのです。
他の場所に植えるのは、すでに其処にあるネットワークに割り込む行為だったと。
バランスを崩してしまう恐れもあるし、それに対して自分で責任が持てない行為だった。
反省者です(o _ o。)
植木鉢なら、それは全部自分の才覚で出来るから。
小さな鉢の世界で、存分にその子の個性を見守ることが出来る。
最初は、植木鉢で良いのだと。思い直しました。
近くにいるし、1から自分でセッティングするし。
周りの子たちに迷惑かけないし。
例えるなら、インターネットから遮断したPCに向かって
とりあえず色々やってる感じでしょうか。
絵を書いたり、文字を打ち込んだり、音楽作ったり。
これは、インターネットつないでなくてできる。
全部、自分の才覚で作ることが出来る。
植木鉢の場合、その子と1対1の対話ができる。
そういう良さが合ったのだと、学ぶことが出来ました。
今までやってなかったからなぁ。。。
こういった機会をくれた友人に感謝です(o _ o。)
今になって、初めて気がつくことが出来た。
実際にやってみないその良さには気づけないのです…
植木鉢。現代の人には欠かせない。
植物さんと交流できる二人だけの(?)世界(。0 _ 0。)ノ
植木鉢に植えた子たちは、めちゃくちゃ元気です…
お腹ばかり空く。
何も食べ物生み出せないのに。
食べるダケのもの育ててもないのに。
お腹ばかり空く。
私が今までやってきたことは…
想像上の出来事で、終わってしまうかのようです。
土に触れて、交流してみたら、
実りを生み出すまでの過程が、すごい大変です。
これを知らずして、自生するのを待つだけで出来るとか甘いこと言って。
これですー(。◕ ∀ ◕。)ノ
シャレになってないです(o _ o。)
生きてたら、生きてたら、土地が。
でも、無い物ねだりじゃなくて。
今あるもので何とかする姿勢がだいじだとも教わった。
あの時、何をやってたのだったか。
どうせ引っ越しするからと、植物には触れなかった。
仕事が忙しいからと、植物には触れなかった。
土地が確保できたら始めようと、鉢植えを考えもしなかった。
あの時蒔いた種は、土の中で眠っている。
今、何をやってるのだろう。
仕事が忙しいとかほざいてるのだろうか。
仕事って何だ。それは何を生み出すんだ?
今やってることが何になるというのだ?
人向けの仕事か。でもそれだけで食えるのか?
悪いとこばかりに目が行く。
死んでる。
自分のことだけしてればいいのに
いつの間にか他人のお世話になって
けいたいが大規模になって、みんながみんなに依存して
依存しあってるから、お互いに何がどうなって生きてイケてるのか分からなくなって
yいまここ
ここで繋がりが絶たれたらさぁ大変。
必要な食べ物を、自分で生み出すことが出来ない
=死
聖書ではココで略奪の道具が生まれた。
私は、いま。生きてるけど。
生きていけない場所に居ます(o _ o。)
せいぜい足掻くしかないようです。
たぶん、簡単な事なのだろう。
抜け出すの。もっと目の前に注意を払って。
大掛かりに考えるのではなく。もっと些細なことに目を向けて。
小さなことからコツコツと。
どこまでも愚かです。
これは懺悔か何かでしょうか。
許しこうても無駄なのに。
何とかするのは自分視界ない。
理論だけじゃ何も生まれない。
米も作れない。乳酸菌もない。黒糖は、塩は?
水が… どこに行くの?
仙人になるしか、生きる道は無いのではないか。。。。
お腹ばかり空く・・・
自然とはかくも。
山の土は豊かで、もうそこには誰かが住んでいて。
私の入る隙は無いのかもしれない。
というより、いきなり植えたのがダメだったのかもしれない。
分からないけど、それを許さなかったのかもしれない。
ただ土の豊かな場所であれば、この子は実ってくれるだろうと思っていた。
。。。
見落としていたのかも。
その豊かさは、山のもので、勝手に邪魔していいものじゃないって。
人の手がほとんど入らない場所だから。
いきなりは、周りも混乱するしか無い。
(o _ o。)
一方で、鉢植えは、元気に育ってる気はする。
畑をやる時、先人の人たちはどうしていたかと思い返してみた。
荒れ地から開墾した。
と、たぶん、いろいろな文献を思い返してみて、思った。
豊かな場所から持ってくるんじゃなくて。
荒れた土でも今在るもので、何とかしようとしてた。
1から作るんだ。土から。
たくさん見落としてるのがわかった。
ううう
冷静さを欠く。
どうすればいいかわからないです(o _ o。)
ごめんね。。
どうしてでしょう(o _ o。)
葉っぱが乾燥してる?
下の葉っぱから、枯れていってる。
水が欲しいのでしょうか…
水だろうか。。
山の土は、適度に湿ってる。
なのになぜ?
土の中、根っこ。色々な植物のがたくさん入り混じって。
その中に、少しだけおじゃまさせていただいた。
イエローラズベリーさんは、大丈夫なのだろうか。
わからない。わからない(o _ o。)
水だろうか。。。
それとも、山に必要ないと言われてしまってるのだろうか。
わからない、どうすればいいんでしょう…
葉っぱが、先っぽから元気をなくしていく。
根。
苗から植え替えたその子は。
もしかしたら、根が必要なのだろうか。
環境が、今までの場所とは違いすぎるとか。
そいや、やせ地でも育つって教えてもらったけれど。
ココは、やせ地ではない。けっこう色んなのが秘しめいてる。
イエローラズベリーの居場所は、ココじゃないのか?
。。。
もしかしたら、きちんと鉢植えで育てるべきだったかもしれない。
分からない。。。どうしよう。。。
山の土に触れて、気づいたこと。
その場所は、その状態で完成してるということ。
自然は、絶妙なバランスの上で、現状を維持してるんだ。
というのをココ数日で目の当たりにしました。
自然農の在り方を、取り違えていたみたい。
「種(苗)を植える」
この時点で種(苗)は、山にとって不自然な余所者。
土の中には、すでに様々な植物たちが根を張り、生き物が居て
落ち葉があって、豊かな土となって地中に根付いている。
そこに余所者が入る余地はあるのか。どうなる?
まず、普通に蒔くだけだと場所がない。
こんなふうに言っていた。
「まわりの雑草のほうが強いからね」って
数日前、友人から大切な苗を分けてもらい
山にそっと植えてきた。
その時、この子は見知らぬ土地にぽつんととり残されてしまう。
特に最初の方は、不安だらけでしょうがない。
見てあげないと。見てあげないと。
しっかり根付くまで見てあげないと。
て思った(‘ ‘*)
そして、山の土にもきちんと挨拶せねばなるまいとも思った。
この場所を少し使わせてください。
他所から来た子だけども、仲良くしてあげてください。
いつも見に来ますから、どうかよろしくお願いします。
自然の農業は、放任主義ではないんだと気づきました。
植えたならば、それによって影響する全てに対しての責任がある。
この子に対して、大きくなってほしい想いと。
山の友達と仲良くして欲しい想いと。
私と山をつないで欲しいという想いと。
豊かな実りをもたらしてほしいという想い。
それをしっかり伝えるために、じっと見守って。
時には手をかけてあげることが必要なのだと分かりました。
全部自分でやる。
その意志は、自分にも他者にもあるのですね。
だから土地ほしい。その土地の好きにさせたい。
誰にもしばられない、自由に見守れる土地ほしい。
緑いっぱい。実りもいっぱい。
土地欲しい。
それに山の土を勝手に良いようにされるのはもうたくさん。
灰色の墓標はもう要らないのです。
土地、緑いっぱい、実りいっぱい。