今まで、家賃が高いのは土地が高いからだと思ってました。
現に、それは間違いではないのでしょうが、原因の核心はここにあった。
⇒ http://goldenflower.jp/blog/2663
それは、マンションやビルを建設する際の、設備費に相当する部分。
考えれば、昔の家の立て方より、かなり大掛かりな工事だ。
電気を通す配線をいくつにも巡らせる。電源プラグあっちこっち。
電磁波の問題しかりだが、それ以上に設備にかかるお金が半端ない!
電柱から線を引っ張り、変圧器やブレーカーを設置。
上下水道をつなぐのも大変。
水道管繋いで、蛇口を捻れば水が出るように。
そして排水口から下水道に繋がるように。
さらに今では、超高層ビル、マンション。とにかく規模が大きい。
それだけ地盤をしっかりと補強しなければならない。下地づくりの段階でも金額半端ない。
ただ、住むスペースを確保するというだけで!
たった寝る場所を確保するというだけで!
ものすごい数の仕事量が、間にいくつもいくつもいくつも。
おい!!!!ちょとまて! それ必要ないだろ?
みたいなものも、問答無用で工事に組み込まれる。まぁTVとかネット回線とか使わんのに勝手にとか。
(せこいのは:配線ぐるぐるわざと長く使いすぎ〜、余計にコスト上乗せとか)
で、ものすごい建設費用が、最初にかかります。
さぁ、所有者が賃貸で元を取るには?
家賃釣り上げるしかねー(。0 _ 0。)ノ
はい、ここで便利な都会暮らしの代償がみえてくる。
「住むスペース確保=それだけで相当の負債」という図式が成り立ちます。
都会のマンション暮らしは月に50,000〜100,000円くらいの出費。
やや極端な例だけど、テント暮らしと比べてみてくださいよ…
テント暮らし ⇒ 年間の土地代5,000円 として比較するまでもない。
都会暮らしは ⇒ 年間600,000〜1,200,000円 もの余計な出費を強いられるのです。
これ、どういうことかというと。
それだけ、お金を稼ぐために働かなければ!ということです。
文明の利器が揃った都会のマンション暮らし。
そこに住むだけで、特に何も設備を使わなくても、
年間マイナス600,000〜1,200,000円相当の負債なんだ。
時給1000円のフリーターにしてみれば。
その為に年間600〜1200時間分も、やりたくない仕事に身を捧げなければならない。
しかも1日に給料をもらえる限度って、せいぜい8時間ほどでしょ?
そこから換算すると、都会に住むだけで…
1年の内に75〜150日間は丸々働かないと、負債を帳消しできないのですよ。
どうですかね。これ。
ただ「住む」というだけでです!
これに食費や日用品、その他の生活費、しかも税金や年金、保険料までを含めたら
完全に負債を無くすには、ほぼ年中働いてないとどうしようもなくなる。
立派な社畜の出来上がり(。0 _ 0。)ノ というわけですね。
しかも近代社会においてお金稼ぐって、大部分がこういうことにも繋がるわけで・・・
⇒ http://goldenflower.jp/blog/1950
⇒ http://goldenflower.jp/blog/2519
気づいてみたら、恐ろしいことです。
「人は、働かねば生きていけない現状を自ら招いている」
⇒ アナスタシア第4巻 ~ ページより
こちらの本に書かれてあること、読んでる時は心意的な問題かな? と思ってたのが。
気づいてみればまぁ、実際に目に見える形で説明がつくではないですか!!
ほんと、とんでもない。
都会の文明暮らし。それで生活が楽になったかと言えば、全然そうじゃない。
その為に、要らない仕事のストレスを抱え、自由な時間が減り、家族を見守る時間が減り、パートナーとの仲が決別され、離婚が増え、残された子供は孤独になる。
文明がもたらした歪み。
そう、最後には何も残らない。
…別に文明の利器が悪いわけではないと思うのです。
便利?な生活したい人は、仕事の代償を了承して使えばいいだけだし。
だけど、何も知らない子どもたちに、こういう文明的な暮らし方のみを常識と思わせて
知らず知らずに社畜になるのを矯正していた、それこそがマズイ!ということに気づくんだ。
先代のホームレスの方たちは、そういった世間から外れ
したたかに、住む場所を自分たちで作って生きていた、一部お手本のような方たちだったんですね。
その方たちのお陰で、坂口恭平さんの「モバイルハウスのつくりかた」が本になり
住まいのモデルから自分で創りあげるという、本来の形が思い出されつつある
色んな人が手にとって少しずつ実践に移せるようになってきている
https://www.youtube.com/watch?v=DfYoqjbk9V8
嫌な仕事をする必要がない生き方。
自分の好きなことをして人生を送る方法。
住まいの設計から、自分たちに合うよう自ら創造していく方法。
一切のムダがない!
アーティスト魂が揺さぶられる。
かなり楽しみな次世代の生活モデルが見えてきますね。
(原点回帰ともいうんだろうか?)
緩やかな変化を望む。急な変化は望まない。
そんなふうに怒られてしまった(o _ o。)
500年スパンで物事を考えるなら
どうしてここ10〜20年で結果を出そうと焦る必要があるのかね?
って。
考えてもみる。
急にお前の云う「理想の生き方」を完全に実現しようとしてみろ。
周りの人間社会との折り合いはどうなるのかね?って・・・
急な変化が起こって、世の中の経済が一斉に崩壊した時、
都会に残された人々はどうなるのかね?って・・・
お前一人で生きてるわけじゃない。
お前の家族や、パートナーの考えがあり、お相手のご家族のこと、さらに子供の将来のことなど。
色んな関わりを通して、人は生き続けることが出来る。
そこに関わる人達は、世の中の常識で生きてる人たちも居て
お前が親世代の常識を否定するのは勝手だが、
それは両親の生き方をすべて否定してるようなもの。自分の存在を否定するにも繋がる。
お前は周りの存在と関わりあって初めてお前自身である。
よもや、お前自身の育った生い立ちごと否定するというのか?
それに家族を巻き込んでお前だけが理想の生活を実現できれば、家族の考えや立場などどうなってもいいと?
そんな考えでは、お前は猛反発を受けるだろう。そして親族から戒めを受けるだろう。
お前は周りの人々との関わりを断ち切って、一人で生きるのかね?
誰の目にも触れずに、孤独を歩むのもよし。
しかし、それでは先がない。何もない。
お前のできる範囲で、思うとおり生きたらいいのだ。
お前が出来なかったことは、子どもたちに任せればいいじゃないか。
500年スパンでモノを見るのだったら、ゆるやかな変化で十分だ。
誰の考えを否定する必要もないし、お前はお前でいればいい。
ここの記事の内容は、昭和世代の常識からは逸脱してるとは思う
平成の世の一般的な考えとも、微妙にかけ離れている、
視点が違いすぎて意味が分からん人も居るかも
もしも自分だけの視点を絶対視していたら、理解してもらうことは本当に難しいと思う。
そりゃそうだ・・・ 世の中の常識、というか自分の人生の常識。
今までそのように生きてきた。それが正しいと信じて生きてきた。
彼らの生き方なのだ。団塊世代の方たちは特に50年以上も、人生の大半をそうやって生きてきた。
それが、自分の半分にも満たない年齢の若造から
「自分の常識から、随分とまぁかけ離れた考え、将来設計」を聞かされてみよ。
所詮、地に足のつかない若造の言葉だな。聞くに足らない、何と夢物語なことか…
だから若造には、儂ら大人な考えをもう一度教えこまねばならぬな。いいか、よく聞けよ?
ふむ。では、50代以上の方が言う一般常識の、
しっかりした人の考えを聞いておこう(o _ o。)
「世の中そんなに甘くないぞ? いいか?
人間社会で生きてる以上はな?
朝から晩まで頑張って働いて。お金を貯めて
家族を養い、子供を教育し、立派に大学までやって
自分は老後の生活の心配がないようにな、貯金をしっかりしておくんだ。
そこまでして、自分の子どもらに迷惑かけないように生きて一人前だ。分かるな?」
うむ(‘ ‘*)
これはこれで立派な考えだと思うんだ。
しかし致命的な「穴」は避けられない。
今、上の言葉通りに「お金を貯めよう!」
って、その為に仕事を頑張っても無理があるということを。
今、お金の多くはどのように回ってるのか。
この部分を考察すれば、もう残された地盤が一杯いっぱいなのが目に見えるんじゃないかと思うのです。
⇒ 見せかけで動かされる世の中
もし世の中の云う常識のとおりに正しくあろう、と自分を律する時
否応なしに自分の意志を歪めなければならぬ、我慢しなければならぬ、
さらに経済の地盤、自然環境を、さらにさらに食いつぶさねばならぬ。
最後に、自分たちが食いつぶした負債だらけの地盤を、子どもたちに押し付けねばならぬ。
どうあったって、こんな生き方では、未来の子どもたちに迷惑をかけるだけなのだ
原発問題然り
食べ物に関する様々な問題
人間社会のストレス
教育システムの偏り
医療に対する依存心など
そういった細かい項目の改善策はこちらより(。0 _ 0。)ノ
⇒ 便利な道具の落とし穴
⇒ 子どもの教育費
⇒ 自然治癒力を発揮する場
これが、今の人間社会の現状だと。
挙げざるをえない… 「世の中の常識」が作り出した問題点。欠陥。
従来の常識こそが、文字通りの「地に足がついてない」
これを「仕方ない」で済まされるだろうか?
もちろん、今。都会の人間社会に生きてる以上。
急に経済の流れを止める訳にはいかない。お金の流れを持続するのは必要悪なことではある。
だから少しずつ、ダウンシフトしていく。
それでダメージは最小限に抑えつつ。
次の時代にあった生き方、自然と共生する生き方へ
少しずつ少しずつ、移り変わることができるはず。
国の政治は、多くが従来の常識のもとに施行されるだろうから。
とりあえず宛にならないだろう。多数決だし。
だから今の生活基盤を、より生きやすい環境にするならば
個人単位で、生き方を考えなおすところから始めるしかないように思う。
病気が多い世の中になりました。
まぁ、現代の生活様式を省みるに、逆によく100年近くも生きられるなぁ…とも思いますが・・・
老後の心配で、お金貯めてる人居た。
老後になって施設送りを想定したり、病院で入院費。相当かかったり。
を心配する。
こういう話を聞く度に、すごーーーく残念な想いを抱きます。
自分の体のことくらい、自分で何とか出来るのに。って。
自分の場を持つこと。そして土地に、自らの身体を依り代にする。
さすれば、自分の身体が、住んでる土地全体に対応するようになる。
万一病気になるとき、対応する土地の場所へいく、
そこが何となく薄汚れてたり、陰ってたりする。
庭の手入れをする。そこに成る実を食べる。
放置されてあったツルや枯れ草を綺麗にして、太陽の光にあたる。
自分も一緒にあたる。
あ〜、よく寝た(o _ o。)!
はい、元通り。
病とは何だろう?ってなる。
もともとあってないようなものだ、って。
病とは、ススみたいな、蜘蛛の巣みたいなもの。発酵と腐敗で云う腐敗の状態。
何かが滞ってる、淀んでる、だから腐食が進んで汚れていってるだけ。
その部分に気づいたら、入念に手入れして、風と、お日さまの光を通して、環境を良くしてあげれば
元通りだ。
しかし、土地の基板が奪われてる今、
人は、自分で病を何とかできるというのを忘れてしまっている。
⇒ お医者さんから学ぶこと
根本の地盤が崩れてる現代の生活様式が、高額な最先端の医療を必要とする。
高額な医療費を自分から払いに行ってるに過ぎない。
最先端の医療は、文明社会に浸かりすぎて、自然の恩恵を忘れてしまった存在。
生命の本来の役割を見失った存在、気枯れして身体の弱くなった富裕層、人々のためだけにある。
自然治癒力の活用法や、生き方における本来の立ち位置「自然の中において」を思い出せたら、
現代医療など、もはや関係のない話になるんだ。
医療・健康面に関して。
お金を稼ぐより、もっと必要になってくるのは
- 自分の身体の本来の機能を思い出すこと。
- 病が存在する意味、本当の原因を知ること
- 「自分で治す」を実行に移せる環境を整えること。
- 地上のあらゆる生命たちと、自分はどのように関わり合ってるか。に、もっと関心をもつこと。
田舎で最低限の暮らしをするのにお金はかからない。
多少はいるだろうが、死ぬほど働かねばならぬほどじゃない。
月5万で回るんじゃないか? 余剰分はレジャーだ。
で、そこで問題にのぼってくるのが子どもの教育費。
子どもの教育、今の義務教育では学校にいかせる必要があるが…
田舎では、学校がない、或いは、ものっすごく通学に時間がかかるという問題がある。
だが、その教育の在り方こそが、本当に必要なのか?というのも考えて直してみる。
自分の今までの人生の場合に限っていえば、学校とか、特に塾とか、必ずしも必要なかったわけだが・・・
親の払ってくれた学費はほとんどが無駄に終わった。
しかして・・・
子どもたちにとって学び場は、自前に用意できるわけで…
それは自分たちの土地に棲むあらゆるもの。
両親たちによって形作られた箱庭、
小さな世界で日々を冒険しながら、そこに訪れる様々な生き物、植物、動物たち。そして地域の方々との交流を通して社会性を学ぶ。
季節の移り変わり、星の巡り、雨の情景。空気と香り、そこに成る食べ物の味、想い出、そして最初の樹の言葉。
それらを通して、多くの自然、星、宇宙の情報を記憶するようになる。
自分で巻いた種を、作物を育て、収穫し、食べる時
その一連の生命の循環を、食べ物を通して全て学ぶことが出来る。
それらの中には、あらゆる学問の根源なるもの全て宿る。
現代科学ではとうてい及ばない、植物の気持ちや、それらが場に与える影響。
自分の作物が生きてきたこれまでの記憶すべてを、自分に宿すことが出来る。
本当に完全な状態で情報を取り込むことが出来たとき、自ら植物の効能をフル活用できるようになる。
よもや、一般教養なんて目じゃないレベルにだ。
学校で勉強せずとも、人は勝手に考えて学んでいくもの。
なぜそうなるのか。答えを、日常の生活の中に見つけることが出来るもの。
このサイト内にあるほとんどの情報は、ベースとして学んだ知識はあったが、ほぼ実生活の経験から得たもので
まだまだ及ばずながら、最低限生活できる知恵ならば、実生活の体験だけでも授かることができると思う。
現代の教育のあり方、そのものは果たしてどうだろう?
何のために? 世の中生きやすくするために?
或いは人間社会にとって都合のよい人材を育成するために?
とか、都会の教育システムって、ある部分で間逆な気がするんだ。
学歴社会がほぼ崩壊してる今、大部分が機能してない気もする。特に中学〜高校と上がるにつれて
(もちろん集団の場である学校は、友達を作ったり、人間関係について学べる、貴重な場でもあるとは思う)
しかし、もっと自分たちの暮らしたいように、自由に人生設計することを学ぶならば
無理に学校に行く必要は無いはずだ。
自分たちで学べる環境は他でも創ることが出来るのだから。
無論、お金かけなくて…だ。
教育費の最低ラインは0が可能。
ここでも余計なお金は、必ずしも必要でなくなる。