かわいいかわいい植木鉢(‘ ‘*)
この子を見てると、なんとなく発酵瓶の世界だなって思い立ちました。
植木鉢の世界は、まるで区切られた瓶の中の世界。
乳酸菌の発酵は、元種に水とミネラルを加える事で成長が進んでいきます。
⇒ 米のとぎ汁乳酸菌の作り方
これ。気がつけば、植木鉢の中も一緒だ。
土というミネラル、そして水。
その中に種を潜めることで、適切な環境において、種が細胞分裂しはじめる。
元種の菌が増えていくように種の細胞は成長し、植物として姿を現す。
発酵環境は、土のミネラルバランスや温度、水量、日当たり、そして種子の組み合わせによって変わってくる。種子にとって環境を調和の取れた形にすることで、作物はムラなく成長していけるのだろう。乳酸菌の適切な発酵環境を、植木鉢の世界に応用していけるとな(‘ ‘*)
左に柿の種・右にどんぐり
とりま、家庭で出た生ごみを乳酸発酵かけて、数ヶ月間寝かせた土に混ぜ込んで
ここに、とある伝手で頂くことの出来たどんぐりの種子を植えました。
あと、お庭に成った柿の種も.。.:*・゜
今日は2015年の冬至。
芽が出るかな〜?(根が出るかな〜?)
芽が出るといいな〜♪(根が出るといいな〜?)
前回の記事に引き続き
今まではどうだったのか…
これ、個人の体験談です。
強引に、自分の主張を推し通した時のこと。
結果は、確かに想定通りのものを得られた。
病が良くなった。或いは治せた。
一時的に安定した生活が出来るようになった。
好きな研究?に没頭できるようになった等。
その反動で、一旦孤立した。
一旦孤立して、気の合う仲間が新しく出来た。
もちろん、自分を押し通した結果であるから
それまで気を使って周りと合わせていたのをほぼ辞めたわけだから。
まぁ、関わりあう人たちが自ずと変わったんですよね。
で、気の合う人たちと知り合いの環を広げつつ。
小さな世界から一歩踏み出て、自分の好きなことに没頭する人生を歩みだした…っと(‘ ‘*)
まぁ言うても未だマイナー路線ですな、現状では世間の風潮と一歩距離を置いた関係。
それでも、自分の好きなように生きれるのだったら、それでいいと思っていた。
そうして他者との関わりを必要以上に避けるようになりつつも。
でも否応なしに全国民に関わってくるアレ。
いつしか、それらに対し少なからず否定の見解を添えるようになってしまった。
労働の在り方とか。
税金・保険のこととか。
教育のあり方とか、
医療問題とか
国とかいろいろ
まぁ、2年前くらいの過去記事に書いたようなの。邪魔やわ〜っって感情。
こういうの、上手く関わっていかんとアカンのやろうけど。
適切な順序をすっ飛ばして主張を押し通そうとすると
確かに望みの結果は早くに得られるが、比べて基盤が脆いな。
強引さは、どうしても「それ以外」に対して「否定」の感情が入ってしまうから。
否定の感情は、否定で帰ってくる。もしくは双方に余計なストレスがかかる。
マズってるようだ。
過去、ついてきてくれた人が居たのはスゴイ事だったのだな。無理させたなぁ。。
今回、他人に無理させた反動。やったことが返ってきてるようにも思うなぁ。
「そこにあるものは、あなたには必要なくても私にとっては必要なモノ。私にとって必要なモノまであなたは否定するの?」
物事は、段階的に考える必要があると教わります。
最後に水をかぶると肌キレイになるし暖かく感じる!なんて
普段お湯しか使わない場合は、抵抗あるからね。お湯は必要だよね。
お湯をかけて、水は段階的に、足先から、ひざ、こし、背中、そして頭、胸。
負担なく実行するにしても、順番が在る。
より広い視野をもって、段階を踏まえて、少しずつアプローチしてくのが望ましいんだろうな。
一気に田舎行くのも手だったんだが。
確かに、今までの繋がりを殆ど疎遠にしてしまうのは。
絶妙に微妙ともとれるよな。なんとも言えない。
まぁ故郷を愛する気持ちが強いってのもいいものだなぁ。
そういう気持ちを知ってから、生まれ親しんだ都会で
どうやって、理想の未来を叶えていくか。考えていく決心がついた。
この道は生きてる間に、夢を全部実現することは厳しい気がする。
それでも、生まれ親しんだ場所なら、志半ばにして骨を埋める覚悟はできる。
いずれも生業を通して、故郷の人たちと関わりあう中で、私たちの望みを形にしていきたい。
共感してくれた誰かが引き継いでくれる。
- コメントする
- 人間関係, 日常のこと
- 2015年12月20日
思いつきで動いてはよく失敗する人の注意点。
もちろん、思いつきで動いて上手く行ってる(?)って思う人はそれでいいと思うが
まぁ、うちもそう思ってたんだけどね。だいたい周りは振り回されるわけだから、ちょっとメモをば。
思いつきで動く、感情のままにうごく。
これは、意義のある人生を送る秘訣でも在る。
だから基本スタンスはコレでいい。
しかし、実は落とし穴があるということに気づいた。
「物事の順序」に関してだ。
前記事参照 ⇒ ビジョンと行動の優先順位
「思いつき」というのは行動に適切な「時系列」がバラバラな事がある。
思いついた事柄を為すための、段階というものを考慮に入れなければならない。
思いつくままに動く、感情のままにいきなり動くのは、
この適切な順序を誤りやすいため、一旦立ち止まる必要が出てくる。
例えば、心の中に何か成し遂げたい想いが浮かんだとする。
その実現には、一見、思い浮かんだことだけに集中すれば良いように思える。
しかし、その過程の奥底にある、様々な要因を正しくクリアにしないかぎり、空振りに終わることが多い。
徒労に終わるばかりか、逆に迷惑を被ることも在る。
つまり思いつきで動く前に、よくよく視る必要が出てくるということ。
これも、段階が在るんだ。
成したい結果を引き出すのに何が必要で、現状にどんな問題があり、どう適切に対処していくか。
思いつきの原動力を、上手く行動に映すための、一旦立ち止まって視る重要性。
ビジョンを描く時、物事を為す順番というのが在る。
正しい順番で段階を踏んでいくから、自然な流れで実現に近づける。
新しい未来を描くとする。
それは今ここで、何もない白紙の状態から成せられるものじゃない。
過去の、従来の形から、パズルのように、周りの色々な影響や懸念を理解しながら解き進める必要が在る。
自分の主張を無理やり押し通そうとするのは、
知恵の輪が解けないからと癇癪を起こす子供に似ているかもしれない。
自分の主張だけでは、どうしようもないものはどうしようもないと、気づかされる。
ここで必要になってくるのが「よく視る」こと
周りの状況や、考え方というのを理解すること。
その為に「場」になじむ…その「場」の一般を装って、周囲に溶けこむことも大切だと教わる。
そうすれば、此の場にどのようなアプローチが適切なのか、少しずつ視えてくるようになる。
外から来た人、例えば私がね。
いきなり都会に「木」を持ち込もうとしても、
木が都会の土に馴染まなければ意味が無いんだ。
下地を作るには、まずハーブから。そして花、野菜、低木、果樹。そして大樹…
その場においての正しい順番、正しい段階というものを、想定しなければならない。
それから「根拠」についても挙げる必要がある。
いくら「樹が必要だ庭が必要だ、これから皆が生き延びるのに必要なんだ」と声を張り上げたところで当人たちには「根拠」が見えない。重要性に気づかない。
あと実現、限り無く不可能なんでスルーされる。
この根拠というのが自分の「言葉」で説明しようとしてもどうにも根拠として伝わらず
当人たちの「言葉」に置き換えようとすれば途端に上手く話せなくなる。
だからこう言った。
「体感」することで分かる…と。
「体感」こそが確信になる。と。
…
それで伝わるなら、これほど簡単なことはないよね(‘ ‘*)
が、あまりに常識とかけ離れすぎてる場合「体感」することでどうなってしまうか気が気でなく、変化に対する抵抗のほうが先に生ずる。
「その場」の人にも納得させられる根拠を、自分の中に築く必要が出てくるわけだ。
科学的な論文?統計?個人の体験談?…必要な限りかな…
これも、その場の一般的な考えに触れることで、どういった情報ソースが適切か、よく分かるようになるのだろう。
それら全てすっ飛ばして「完成形」のばかり口にするから
周りからは「夢見がち」「不思議ちゃん?」って思われるのだろう(‘ ‘*)
或いは、突拍子もなさすぎて笑い話(。◕ ∀ ◕。)ノになるのだろう。
キャラが立ってるね(‘ ‘*)
さて。。。
うちが口ばかりで、結局何も出来ていないのは、ここんとこが原因なのか。
物事を為す順番、優先順位
それに纏わる根拠。
「理想」を見据えつつも、段階を踏んで
「目先」から追っていく必要がある。と学んだメモ(o _ o。)
姉妹サイトにこんなブログ記事も書きました
⇒ リトルノアに学ぶ、物事の順序
- コメントする
- 人間関係, 日常のこと
- 2015年12月19日
「生業」とはよく言ったものか。
その実「生きるためにすること」であるな(‘ ‘*)
私たちのスタンダードでは「自給自足」が常。
必要なモノを自分たちで作り上げていく。
それが「生業」の一部である。
好きなことを仕事にする。
これってすごく簡単なことだと気づいた。
自分たちの手で、自分たちに必要なモノを作り上げていく。
過程って、とてもとても楽しいものだから(。0 _ 0。)ノ
自然と好きなことを生業とするようになる。
突き詰めていけるんだ。どこまでも。
どこまでも突き詰めて、気がついたら、中々のモノに仕上がっている。
さて、突き詰めるには時間もお金も要る。趣味で始めるはまぁそこだ。
その過程に「生業」として小さな商売を絡めることが出来れば。
まずは小さな時間、小さなお金を元種に、少しずつ実績を積み重ねて行けるのではなかろうか。
お家、兄弟、姉妹、両親、友達、恩師、近所の人たち、知り合い。
まずは小さなところから、小さな成果を出し合って。
1回1回、試作するうちに改良を重ねていって…
「どう? まだまだ?」
次はこうするか(。◕ ∀ ◕。)ノ
こういう手があったか(。0 _ 0。)ノ
気づいたら、何か一つの作品が出来上がる。
何処にもないから、自分たちの手で作った。
それは元々、自分にとって必要なモノだった。
自分にとって必要と感じたことは、他の人にも必要である場合が多い。
そして、そのモノは他にない、自らのオリジナルで提供できるのだ。
⇒「つまり売れる」
すごくないか?(‘ ‘*)
これが生業とする第一歩だ。
突き詰めていくほどに、確信に変わる。
小さな生業とすることで、さらに次のステップに昇華させるとしよう。
- コメントする
- 働くということ
- 2015年12月15日