固定観念からの脱却

あらゆる固定観念は、自然界...楽園にとって邪魔でしかない。

例えば、私たちが生きてくためには、お米が主食で野菜も食べ、たまに魚や肉も食べることが常識にある。 それらが絶対必要だと思い込まされている。

が、、、、
 

古代を遡れば?

日本における農の文化は、何万年という人間の歴史の中で見た場合、ほんの2000年あまりのものでしか無い。そして今、農という在り方そのものに対し、存続の危機が訪れている。所詮、その程度のものだ。


米が主食 ....とか、そもそも古代に稲作の概念なんて無い。。矛盾。

有史よりはるか以前は、もっと。もっと。住み良い環境が遺されてたはずなんだ。 それが、いつからか稲作や農の文化に置き換わった。


なんで稲作という概念が生まれてきたのだろうか。 食べ物の備蓄ができるようになったからだったか。。

私たちは、玄米の恩恵やそこから作れる玄米乳酸菌の素晴らしさを知っている。 が、従来の田んぼという在り方を見た時、絶妙に気(木)の削がれる設計に通じてしまうのだ。

田んぼ面倒くさいね

あれ、正直なとこ、意味不明なんだ。

なんで地表を水で浸す必要があるんだ? 地中の虫たち窒息するじゃんか。
「あぜ」とかなんだ? あれ決壊したらシステム終了のお知らせか何か。



もちろん、稲作の恩恵は身にしみて感じている。
7m*7mくらいの土地で、家族1年分の米+麦がとれる設計図を見せてもらった。
あの範囲で、主食という形で、家庭1つが生き長らえるだけの食べ物を生み出せるのも分かった。

が、田んぼよ。お前は自然界において異質なんだよ。
なんでやねん。往ねよ、お前の寝床はそうじゃないだろう。
せいぜい、沼地に浸るや? そなたの稲よ。


麦だの米だの。
その周りが畦地だの?

樹たちはどこに根付く余地のあるのか?
   

元凶の田んぼ

自然農の田んぼですら、動物たちや鳥達の邪魔が激しい。モグラも絶えず畦に穴開けるし。もはや決壊。 もしかしたら土地は、現代農の一番の弊害こそ田んぼにあると感じてるかもしれない。

稲作の固定観念が、より美しい楽園の姿を奪った。あれがために地盤が平坦に削られ、一面同じ光景が広がる。 単一の生命しか辞さない。自然の想いを在り方を、地下山奥に追いやってるんだ。


水田が邪魔。人間でさえ心の何処かで、あのシステム(田んぼ整備)を面倒だと感じることからも分かる。 俺は面倒事が好かん。土地を削り、水を引き、あぜを作り、その調整に一苦労するだけならいざ知らず。 逐一動物が荒らせば収穫も地盤も台なし。という、非常に危うい中に、あれはあるだろ?


田んぼとは、その程度のものだ。
あんなの大掛かりに作るもんじゃない。脆すぎる。せいぜいお遊びだ。申し訳程度で十分。 根本から違う。もっと良い簡単な方法は、すぐ目の前にあるはずなんだ。

常識を疑う目線が、真実を見定める

そもそも人間の主食は米か?







ちがう。


古代永年から続いてきた主食の殆どは木の実だ。
なぜか歴史がすり替えられた。何千年もの記憶を宿せる木の実の味を忘れ、私たちはただ一年分しか栄養を持さない稲によって、古代の記憶を剥奪されてしまった。

樹の声が聞こえなくなった。
稲に支配された。

米を主食とする内に、代々何千年と受け継がれてきた古代の記憶が薄れ、1年という稲の尺度でしか、1年の収穫高でしか、短絡的な視点でしかモノを見れなくなった。

それが農の始まりであり、人々を古代の叡智から遠ざけた元凶だと悟ろう。


我は問う。

自ら音を発するは
然なる想いの聞こえぬ様よ


まずは理解に努めるや

農は、自ら開梱する。
だが自然界では、環境を理解することが先決。
方向性から全く違う。

土地の声を聞く


自然界において、愚かなまま動くことは死を意味する。
私たちの浅知恵は、例えるなら幼子も同然。か、それ以下。
だからこそどうすべきか? 








簡単だ。

未だ何も知らない赤ちゃんの自ら学ぶ姿勢に、それを倣うことが出来るんだ。原初の記憶は、幼い生命に微かな片鱗を宿しているのだから。

赤ちゃんに学ぶ


まずは、自分に任された土壌を理解することに全命を懸けると、ここに宣言する。


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