土や植物たちの声を聞く

食べ物を育むことには、様々なやり方がある。
自分の築きたい楽園のイメージだって最初にあるだろう。
だが、多くの場合一筋縄ではいかない。

その土壌の中には、既に様々な生物たちが蔓延っていて
絶妙なバランスを保ってそれぞれが棲み着いているから。


彼らの声を無視して、ただ自分の生きたいように塗り替えてもしっぺ返しが来る。
土地は力を貸さず、人を見放す。=死。

だからこそ私たち人が楽園で生きるには、土壌の生き物たちをまず理解することからだ。

土を知る第一歩

なぜ、そこに居るのか?
ダンゴムシ。アリ、ムカデ、もぐら、ナメクジ。
雑草はなぜ生えるか。虫が来るのはなぜか。
それぞれが、土地の総意志として、彼らを棲まわせているに過ぎないが。

この子達の存在は、土地の想いの現れ。

人が何か間違えた行動をとるとき、土地はおぞましい虫や作物を荒らす動物を呼んで、人の間違えを訴える。害獣という定義は自然にない、土地が分かりやすい意志を発するは、動物や虫たちを通して。愚かな人の内は、受け入れる他ない。

きちんと観る時、もっと前の段階、植物たちの異変に気づくことで、傷の浅い内に修正することを覚える。

土地は、常にこんな意志を発してる

土地の想いはシンプル、最終的には1つに集約する。

「たくさんの種の生命を、此処に宿したい」


その為に、雑草や虫、微生物たちが、棲みよい土壌を作るために逐一動きまわってる。しばしば動物たちが誘い込まれ、何らかの種が運ばれて新しい植物が生える。少しずつ少しずつ、土地全体が多くの種に富んだ土壌に成長していく。

自然に任せれば何十年何百年規模にはなるが、たくさんの生命が宿る土地というのは、それだけで住み良い、人間にとっても居心地よい空間になる。 だからこそ、土地の意志を聞く=人間の真の望みも見えやすくする。という図式。

原初の園の記憶は、潜在意識の奥深くから片鱗を見せている。
人間の本質がそれを理解するから。人間は土地の想いを助けることが出来る。

人間は、無闇に動くもんじゃない

さて例えばこの広大な土地、一面田んぼにするの?

そしたら、そしたら、土地さん、がっくりくるよ。その土地は稲以外の存在を許されんのかと。 何も知らない、未熟な人間が、自分の考えこそが全てだ!と、土地をが~ってやっちゃったら。 大変大変、土地の想いが、台なしね。虫たち、雑草たち、木たち、微生物たちが、存在を否定されて、土地の力が急激に落ちる。

するとすると人間は、誰もいない虫たちの代わりにあくせく働きながら、
全然生産性のない理想(?)を維持しようと躍起にならねばならぬ。
これこそ、無駄の一言に尽きる。

もともと人間は、働かなくていいように出来てる。
どんなに熟練した技術も、誰かに習った手法も、殆どが徒労に終わってしまう。

最初は、聞く

まず土地に聞く。全ては土地が教える。それで多くを理解する。

この土地は、どういう状態か?
中にいる様々な生き物たちを視て、彼らを愛おしむことから始まるのだろう。
我が子を愛するように、或いは両親、ご先祖を敬愛するように。


自分たちを活かしてくれる地盤を、どう心地よい空間に作り替えていくか。
そのイメージの手助けを、愛する土地の生き物たちが行ってくれる。
少しずつ地盤が、植物や生き物たち、人間たちの心地よいように作り変えられていく。

土の生き物たちを考えれば、この子たち一人ひとりの立場を察すれば、どうすれば動きやすく成るかをイメージできれば。より無駄なく、理想的な土壌に近づけられるだろう。


時に、子供たちの目線が、純粋な理解を早めてくれることもある。

子供の自ら学ぶ意志に倣う

自分が本当に目指したいモノは?

目指したい理想の風景。イメージモデルは、原初の記憶が呼び覚ます。
水をあげながら、かつてみた理想の風景の記憶を、土から学ぶ。して、自らの土に伝わる。
例えば自分の場合は、屋久島の森、白神山地、シベリアに根づく樹たち、他の自然農園たちの一部がそうかな。

広葉樹の森林地帯が広がる。木の実が主食。
合間に様々な針葉樹、低木、果樹、野草、花。雑草たち。

落ち葉、その年の太陽の記録が地表に積み重なり、次の年の新たな地盤となった。


自分の思い描く理想形は、外の自然界を見聞きしてより綿密になっていった。
そして思い描く理想型を自らに形作る時、内の生き物たちを視て、その想いの本筋を理解しながら軌道を修正していった。


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