色んな制約。
外さなきゃ、始まらない。
日々のやるべきこと
今月のやるべきこと
今年のやるべきこと
減らさなきゃ始まらない。
「支払う」ということは、それだけ稼がねばならんということ。
大抵は時給800円の世界。人生の残り時間を削るということ。明日生きるために今日の人生を棒に振る、お金に縛られるとそうなる。
保険、年金、税金、経費。
稼げば稼ぐほど額が増えて、波も激しくなっていく。
自分自身でコントロールが効かなくなる。そうしてやっと稼いだお金も、所詮は他者の商品やサービスにしか替えられない。
自分の人生を犠牲にして、他人のシステムで生きる。日々、違う誰かのルールにそって生きる…どんな気持ちだろう…
毎日が日曜日なのを、良いな。って言う人がいた。全員そうなんだろうなって思った。
早く自分を解放するべきだと思う。
都会は便利なのだろうか?
既に生きる環境が用意されてる。
電気もガスも水道も、色んな設備が充実。楽ちん。
しかし、その分家賃は万額だ。最低でも月五万…
一月ただ寝る場所を確保するにも、活動時間に換算して60時間の命を支払わねばならない。
で、一日に働くのは8時間くらいが限界だから、ひと月に一週間が家賃で消える。
人生残り四分の三。
年金、保険は給料の四分の一持って枯れる。一週間消える。
人生残り四分の二。
これだけで40年死んだ。
さてここから車、年間の保険料、車検。高額すぎて厄介ね。
もちろん水道光熱費、食費…スマホ代
家族や子供も居たら、学費とか医療費とかもとんでもない。
働いた残り時間は、寝て過ごす?
家族サービス???
自分の残り時間どれくらい?死んだかな?
いったい何のために生きてたのか…
月々に支払うものが増えるほど、命は削られていく。家電も次々新しいのが出る。色々買い換えなきゃ。もう勘弁だ。
だから、解放さらる生き方を選んだ。
何もかもが一から、自分で築き上げていく人生にした。
人里離れ、辛うじて電気は通る小屋に、他は何もない。
水道はない、自然の雨水と湧き水。
ガスはない、炊飯器ですべて。
スーパーはない、食べ物は自分で育てる。
風呂はない、水浴びか近くの温泉で。
車はない、移動は自転車で。
ストレスもない、すべてが自分の思うまま。
最初は食べ物も調達しなくちゃならないが、これで、一ヶ月に3万円生活が可能となった。
バイト40時間、賞味5日間働けば25日が休日だ。
その自由な25日間で、自分の生活に関わる全てに取り組み、住み処を充実させることが可能となった。10年後、私はまるで違う世界に居るだろう。
自分で育てた作物は格別だ。
もはや店で買うのがバカらしくなるくらい素晴らしい物ができる。
あれは収穫速食べられるのが◎だ、自分でどう食べるのかを予め予定して育てることで、そのように実ってもらうことができる。格別に美味い。
食べ物は健康の源。
金には替えられない。
この味、自分で生み出す日々の糧、生きる喜びは金には替えられない。
子供の教育も、生きていく知恵を身につけるためであるなら、日々の生活の中に学ぶべきすべてが在る訳で、わざわざ高い学費をかける必要がない。
ほら、子供たちに明日から毎日夏休みだよ!!って伝える。素晴らしい世の中になる!親も楽。先生いらない、社会から余計な仕事減って素晴らしあ。
さぁ、会社もたたもう!
収支計算も社員管理も面倒だろうよ。
平均的な給与月20万として、その内5万が年金保険に消えるとか、いやそれ一ヶ月以上まるまる生活できるやんアホか。
みんな働くの激減させれば、税金や保険関係の仕事が消える。
素晴らしあ、
健康、自給自足の生活してればかなり改善される、ぉあ福祉が減る。素晴らしあ。
人々が余計な仕事しなくなる、ストレス減る、病気減る、ゴミ減る、空気綺麗。
他人の生き方は、文明社会の模範とする生き方は、もはや問題だらけだ。一人ひとりの理想とする生き方にはほとんどそぐわない。ドブに捨ててよろしい。
自分を貫く、周り気にしない。
自分で何もかもをどうにかする限り、誰にも何者にも自らを制限することは叶わない!
私はダメ人間であるから、解放できるのは自分だけ。もう他は知らない。理解も要らない。
これからは先代の土地が私と共に生きてくれる。
最近「湯シャン」をずーっと続けてます。
お湯で髪を洗うこと。
普段は山の空気の綺麗な場所で過ごしてて、
まわりが緑に囲まれて、水も綺麗で。
だからあんまり汚れること無いんですよね…
しかし、たまに都会に仕事で赴くことが有り
そこでは車の排気ガスや煙草の煙など、日常のように浴びます。
飲み会などで居酒屋さんにいくと、けっこう凄い。油物も料理してるからね。
髪がベトついたりするわけです。
普段の感覚で湯シャンだけしてると
「髪の毛、なんか匂うよ?」
が~~~~ん!!
いや、本気で都会暮らしはシャンプー考えるなって思いました。
まわりが汚れてたら、その分だけ入念に洗わないと行けないわけですね。
ということで、自然派シャンプー探してみました。
業界の人に聞いたら、こういうのがあるらしい。
普段は湯シャンだけで済ますけど
出張時など、週一くらいは使ってみた方がいいか。
人は一人では生きていけない
という人が居た。
実に、現代社会で錯覚させられてることの一つである。
なぜ誤った考えであるに関わらず、そう言われてるのか?
そう思い込ませると、より経済が回るからだ。
(電気が自給できません、水道は国に依存です、ガスは業者だよりです、生活必需品、家具家電はお店やメーカーさんだより…)
ほら一人で生きていけません!!!!
って、現代社会のシステムがそのように作った。
依存させれば、その分だけ仕組みを作ったトップに金が流れる。景気〜〜〜
まぁ経済まわっても一般市民にはあまり良いことないっす。
経済社会は、仕組みを作ったトップが潤うためのもの。
そこに準ずる一般市民は、割りと良いように搾り取られます。物欲の奴隷として。
そして、教育でさも美しい言葉で子どもたちに教える。
「人は一人では生きていけません、皆は助けあって生きていきましょう。集団の場を乱すような行動は謹んで、一人は皆のために、正しく生きよと」
おっしゃってー。
だから現代人の多くは、社会の輪(仲間の輪)からはずれることを極端に恐れるようになってた。
でも、こんなん茶番。
実際は、人は一人で生きていくだけの能力が最初から備わってる。
一般常識まるっと無視して、自分独自の生き方を自由に描き出すことができる。
あらゆる社会の無駄が省かれ、自らのスマートで自由な、十全な暮らしぶりが遺憾なく発揮されるわけだ。
先日、土地を購入し、小さな小屋で新しい生活がスタートした。
もう家賃とはおさらばだ。自給自足に十分な広さの土地も確保。
水はとても綺麗な井戸水。
電気もゆくゆくは自給するであろう。
そして、この生活設備をベースに
⇒ http://goldenflower.jp/homemaking/0-emergency.html
炊飯器2台で
酵素玄米とお味噌汁が常備。
ポットでお湯も沸く。
一汁一菜がいつでも食せる便利っぷり。
菜園が未だ手つかずで、最低限の暮らしが保証されるのだから
数年後、数十年後はさらに豊かな実りを産むぞ。
まぁ現時点いくらで生活可能かの??
今の時点で月に数万で生活可能じゃな。
突き詰めるほど0に近づけられる。
買うんじゃなくて、自分で創る。
そこには創造の喜びがある。
自分のために、あらゆる無駄を省き、望む形のまま、思い通りに
創造することができる!
大切な人への贈り物だって
自分で丹精込めて作った作物や工芸品の方が
はるかに気持ちが伝わる。
創造。創造の始まりじゃ。
とある業務、特定の人に投げっぱなしで、その部分は全く把握できてなかった。
人に頼むのは楽でいい。
生活を人に頼るのも楽でいい。
お金さえ払えば全部やってくれる。
ただし固定経費発生。
けれど最初は自分でやってみると、そこの大変さがよく分かる。
その分、その事に責任が持てるようになった。お金も節約。
自分自身に関わる物事を把握すればするほど、
生活でも仕事でも精神的に生きやすい感覚を思う。
いつも人に頼むことは、どこかで自分も経験していた方が良いだろう。
愛、愛するって、そのことを一心に想うことだろうな。
思ってる間、そのことしか頭になくなるよ。
愛、人に対するのも、自分に対するのも。
で、世間の普通は、仕事しなければ生きていけない世の中だ。
そこに、愛すべき人を想う余地は、存続するだろうか?
100%目を向けるなんて、仕事を抜け脱さないかぎり無理に等しい現状だ。
普通一般って、俺には世知辛いよ。
って、案外誰でもそう感じてるのかもしれない。
でも違う生き方、仕事なくして生きていける環境は、すでに色んな場所に存在してる。
何もかも許される生き方はある。何者も自由を約束される生き方がある。
何もかも許される世界を知れば、誰でも愛情を無限に感じとれるものだ。
日常にない、いろんな場所を知ることで、そういった世界も目の当たりにする。
自分も、そんな理想的な環境を実現したい!って想った。ずっと思ってた。何年も、何十年も。
それがなぜ、知ってて自分の目の前に実現できないのか。
実現までの段階を踏めてない、と言われればそれまでだ。
正解のプロセスを歩めてなかったとも言えるが、現状視えてる範囲で足掻くしか無い。
今までのようにあがいて、あがいて。って、殆ど変化がない。何を踏みとどまっているんだ???
今までと違う行動を起こす勇気がなかったのか?
自身を変えられない甘さ、怠惰を、衝突を避けることを!現状維持の辛すぎる努力を!
褒められるべき美徳か何かと勘違いしてたんじゃないのか?
そもそも今までの仕事の在り方に問題があったんじゃないのか?
このブログの存在意義は何だ?
それとも単に、実現まで時間がかかるということなのか。
というか、その片鱗は何処に在る?
これから始まるというのだろうか?
何か進んでは居ると思う。。。
だが、形になる未来が何年先か知れん。
実現の目処が立たずして
俺に人を愛する資格はあるのかと問い、返答は臆さずな今。
世間一般の生活様式を選んでしまえば、自分が生きるだけで精一杯。無理。
稼ぎなんてギリギリだ。色々無理があるのが現実なのだ。。。
八方塞がりだよな。
だがそれも今の選択肢が狭すぎるのが原因だろう。
(後で選択肢を広げた時、今までの視野の狭さを思い知らされた)
段階的に、今の自分たちができる生き方を模索するべきだろうかな。
てか、自分たちの身の丈にあう環境を模索すれば、案外簡単に段階踏めるんかいな?