トマトを食べる。
そこに、育ってきた土地の記憶を感じるんだ・・・
自分が、種からずっと見守ってきたトマトなら、そのことがよく分かる。
この味は、トマトをずっと支え続けた大地の存在が、すっとイメージを駆け巡らせる。
それは、確かに生きていたという記憶。
そして、次世代に繋げる記憶。
私は、トマトの生きたい!という想いを汲み取り
次世代の種を次の年に残す。そうして、生命は受け継がれていく。
私は、そんなトマトを体の一部として受け入れ、共に、永遠の人生を歩んでいくのだ。
果物の糖度ってあるね。自然な在来種はいいと思うんだけど。
あれ、人工的に品種改良されたのって、本当に残念なんだよなぁ。。。
甘いのは虫が寄ってくる、甘いから食べられる。
果実が甘くなるのはなぜ?
それは自分を土に還して欲しいから。そうなる。
「死んで土になりたい」の思い。
それが、味では甘さ…
それは独特の甘さ、熟れたような
これを種の段階で人工的に甘みを強くするとか、その種に対して強制的に死ね…と言ってるようなものではなかろうか。。。
私たちはそれを美味しいと言って食べていた。
死ねと言って、食べ物を食べて、だが、食べたものは自分に返ってくるんだ。
こういった部分に気づく人は気づくんだろうか…(‘ ‘*)
品種改良?
だけじゃなくて、さ。
もう、現代の食べ物の基盤自体が、ガタガタじゃん?
そんな中で生きる私たちの、常識とか現代技術とかってさ。
いい加減、宛にならないものだよね。ね? ね?
あの甘さは、危険信号なんだ。
確かに口に入れた瞬間の甘みは強いが、不自然な味が苦しみのように泣き叫ぶ。
自らを闇に葬るように、一瞬で消えていってしまう。何も残らない。
この味に奥深さなんてない、浅はかで粗雑。何も分かってない。
これを美味しいという人は、おそらく何かに毒されている。
本物の味を、知ってるか?
自分で育てた作物を食べてみるといいよ。
自然の土には敵うまい(。0 _ 0。)ノ
常識とは、変わるもの。変化するもの。
現在正しかったことが、数年後には笑い話になる。
情報化社会になり、変化のスピードは加速していった。
常識とは、今現在、それが正しくとも
その考えが絶対的に正しいわけではない。
むしろ常識とは、変わるもの。変化するもの。
一般的な人の生活スタイルが、時代によって移り変わるに連れて
それは、常に常に新しいものへと変化していく。
「今までの常識を疑え」
わかってるはずだ。
自分が時間に置いて行かれてることに。
気づいてるはずだ。
周りはどんどん変化していってることに。
今までの常識、普通という感覚を、疑いもしなくなった瞬間から、
その本人は、これからの人生の意義を見失い、過去の人となる。死に向かっていく。
ある意味、その常識が通用する間は、
通用する範囲において賢く生きることが出来るんだが。。。
時が経つにつれて、その考えが、どんどん自由を縛る足かせになっていく。
心しておくんだ。
「普通の価値観」というものは、常に変わっていくものだということ。
「今までの普通」に固執しては、この先、生き残るのが難しいと。
なぜ今、皆と同じように、普通に生きていながら、
あなたは、そんなに苦しんでいるというのか?
もう、答えは出ているんだ。
そして、今を改善することなんて簡単なんだ。
「考え方を変える」
考え方を変えるというのは、言い換えればこういう事。
今までの常識は、この先通用しない。
新しい生き方にチャレンジする時なんだ…と。
多くの常識が、自分のあるべき人生を歩む上で足かせ。
邪魔なものでしか無い…
と、筆者は思ってる(o _ o。)
常識、一般的な考え。
そんなもの、自分にとって良いか悪いかなんて当てになりやしない。
多くの人は、そう、社会という枠組みの中でしか生きていけないと思い込んでる、或いは思い込まされてるので、常識の中で生きるのが「普通」になってしまってたようだ。
だが、その枠組みの中で生きること自体、気づかないうちに死に向かっているのと同じこと
だと、筆者は感じてるのだけどな…
根拠?
言葉でなら、いくらだって説明できるんだ…
が、とある社長より、こんな言葉を聞かされた。
「意見するなら、きちんとした根拠を提示してからだよ? それが人としての礼儀だよ」
つまり、目に見える形で判断材料を用意すればいいのでしょうか(‘ ‘*)?
と聞いたら…
「ああ、そうだね。それなら納得するだろうね」
なるほど、と思いました。
しかも、他人の作った理論とかデータとかでなく、
自分で実際にやった結果を見せたほうが早い。と感じた。
今までのように、不特定多数に向けて色々書いても、殆ど無意味だったよね…(‘ ‘*)
自分が親でさえ納得させられないのは、向こうが聞く耳を持たないからじゃない
こちらの伝え方に問題があるからだと、本気で気づいた。
多くの情報を見聞きし、自分の中で確立した理論の中では、現在の常識の多くが誤りだと確信できるレベル。少なくとも、自分自身が想うように生活していく上で、それらを非常に邪魔に感じている。
現在の常識に対しても、意見したいことなんて山ほどあるが
農のやり方とかな…その殆どが、個人レベルの範囲では、反論が難しいんだ。
結局、今まで可笑しいと感じた常識に対して、お互いに平行線で放置だった。
自分一人なら、別にほっといていい話だった。
だが、今回のケースでは、そういうわけにも行かない…
納得してもらうには、自分が出来る範囲で、実際にやったものを見せるしかない。
理論も何もかもすっとばして、色で、匂いで、味で、食感で、感覚の違いで、実際に感じ取ってもらえば済む。。。
目に見える形で、それらがもたらす弊害を実証?
さて・・・(o _ o。)
知ってる。
人は、自分に視える範囲の情報しか頭に入れないこと。
アホみたいに非常識で、ありえない現実を仄めかすような情報が、なぜか自分の視える範囲に入ってくる。
生きていたい。生き続けたい。
何があっても、生きて見届けたい。
だから、たぶん最悪を想定した情報が、入ってきてる。
備えるようにと、暗にメッセージをくれている気がする。
そんな傍らで、一方でこのまま、変わらない楽しい日々を過ごしたい人たちがいる。刻々と迫るタイムリミットに気づかないふりしながら、死の壇上を昇っていることに、気づかないふりしながら。
知ってる。
報道機関や権威者は、「俺の人生は栄光の限りを尽くした」と思ったまま人生を終えたいことを。
だから、気づかないふりして、オリンピックのお祭り騒ぎ。
知ってる。
世の中の多くの人が、そういった報道機関の常識に躍らされること。報道機関のお陰で、彼らの作り上げた世の中の常識こそが、普通という価値観こそが、死に向かっていってること。に、未だ気づかない人たちが大半というのも。
知ってる。
ネットは、全世界と繋がっているようで居て、実は必要とする以上に情報が入ってこないということ。
だって、自分の見る場所はいつも決まっている、それが自分の世界だから。
こんなのが、自分に必要な情報だというのか?
http://grnba.com/iiyama/index.html#ss07232
知ってる。
たとえ放射能がキても、どうにかする術は知ってる。
最悪、自分自身は守れる術を心得ている。
しかし、他人はどうだ。
親族や家族は?友人は?
自分に無くてはならない人にとっては?
たとえ、その人の常識や意志、現状を無視してでも、強引に押し通すべきか??
或いは、その人の意志を尊重して、尊厳在る死を、餞の言葉とするのか。
嫌だ。強引にでも推し進めたい。
本当は何でも願いを叶えてあげたかった。
でも、生き残る方を優先したい。
馬鹿みたいなことばかり口にしてるけど…
信じるだろうか?
それとも、こんなこと口にする自体、馬鹿げているのか。
あまり焦らせないで欲しい。
正しい手順を踏めなくなる。
何もかもぶっ飛んでしまう。
ぶっ飛んでいいのか?
土地ほしい。
土地必要。
木、植える。
根っこ伸ばす
地下水組み上げる。
その蒸気で森を包む
その中では年取らない。死なない。
知ってる知ってる。
知らない?知らない?