ちっちゃく生きればやりたい放題
言葉の響きは悪いかぇ?
大きく生きれば中身がスカスカ
真よのぉ(‘ ‘*)
ちっちゃく生きる時
その場に居るのは、自分自身だ。
自分自身しか居ない。自分自身だけがある。
この場に与えられた土地も、木も、草も、実も、降り注ぐ水も。
皆、私自身にあるがためのもの。
私はこの土地に属する。
私は与えられた区画、土地自身だ。
だから私は、土地。
土地を支配することで、私自身を支配する。
何物も、私を脅かすものはない。
私が土地と共にあるかぎり。
永遠に生きつづけることができる。
その土地を放棄してみよ。
その土地は、既に自分自身ではなくなり
自分自身の在るがための地盤を見失い
彷徨いびととなるのだ。
あ。去勢を張りたがる人が居るな。
あの人たちは何も分かってない。
自分自身に何もないというのを。分かっていない。
土地がないのに、なぜそんなに威勢がいいんだ?
半身を失ったことさえ気づいてないのか?
小さく生きよ。
与えられたこの土地で。
まずは小さく、思う存分に生きてみよ。
お前の人生は、そっからだろ?
与えられた土地に眠る無限の力を引き出してみせよ。
ひとつ前の記事は、マスターの言葉から感じ取った内容をメモしたものです。
あくまでもマスターの視点から見たもの。
マスターは「商売は儲けないと成り立たない」という前提で視ている。
正しい。
しかし…
過度に儲けなくてもやっていける「店」に仕立てあげたら、その限りではなくなる。
最初から「土地」があり、簡単な「小屋」があり。周りに「菜園」がある。
その菜園で摂れる食材までで、お客さんの数を最初から絞り込む。
私たちは、その土地で暮らす。儲けなくても、その土地で自給自足できるくらいの基盤を整える。
その上で、応対するお客さんは何人か程度にしとく。
もともと、商売とは自分たちが生きてくために始めるものなのだ。
今の常識で生きるにはお金がいる。だからマスターは「儲けなければ」と言う。
今の社会では、正しい。
…が、その社会の仕組みから部分的にでも一時的にでも離れれば。
1人分が生きる程度のエネルギー全てを自給する、くらい実践できれば。
もはや、そこにお金の縛りは無くなるわけだ。
余剰範囲で、いくらでも好きなことをやっていけるだろう。
そしてそこに惹きつけるものがあれば、極わずかでも賛同してもらえる人が居るなら
集まったその人達を中心に、新たな学びを共有できるようになるだろう。
俺は構築レベルを高めることに多くの感性を使うぞ。それが周り全体への学びにもなるからな。あと媚を得る必要もなくなる。ちょーぜつ楽。
表面的な周囲への配慮はあまり気が進まんのよ。よって誰かに任せよう(。0 _ 0。)ノ
喜びやサプライズは、周囲がもたらす。俺は何もせん。
まぁ、最初はマスターの言うとおり、
儲けなければ基盤を整える資金すらままならないわけだが…
やれやれ(o _ o。)
一応私も一人でやってきた身ですよ。
商売の基本は、それなりに心得てる。
マスターの言い分は現状99%正しい。
なので、今の仕事においてそのとおりに実践してみよう。
少し過去を振り返ってみるとする。
マスターは仰った。
お前が「これ」って言うものを持ってて
お前にしかないものが人を惹きつけるなら、やっていけるかもしれん。
まぁ最初はいい。
だが、そこから続けていくのは大変だぞ?
いつも言ってるだろ? 気遣いだ。もっと周りを見ろ。
相手が求めてる以上のもの、サプライズでもちょっとしたことでも、喜んでもらえるように気配りできんとな。ちょっとしたことで、お客さんはまた来てくれるようになるからな。
するなら自分が好きなこと、やりたいこと。
じゃないと一生は続かん。仕事も人生。楽しまないと損だろ?
だがそこに、周りに合わせると視点も必要だ。
この立地、この場所に、見込み客が果たして何人いるか?
そこでやっていけるのか? お前にはその視点が足らんな。
結論:お前に未だ店は早い(‘ ‘*) 焦らんでいい。
(o _ o。)
水道が止まる。
あの雪で、一時的に水道が止まった。
あれは予兆だと感じた。
もし水道が使えなくなれば
都会の生活はどうなっていくのだろう。
電気が使えなくなれば?
ガスが使えなくなれば??
そして、車が使えなくあれば?
ライフラインが止まる夢を見た。
都会は暮らしやすいなんて幻想だ。
物流が止まれば、そこには何もない。
ならば田舎に住めばいいのか?
そーでもない。
田舎は車がないとダメだそうだ。
車…車も、ガソリンが配給されなければ使えなくなる。
田舎の一角だけで、生きていく覚悟など出来るのか??
都会の人も田舎の人も
みんな、自活はできるんだろうか?
なんて脆い。
なんて脆い。
恐ろしい夢を見続けている。
私は、あの時決断できなかった。
ここで決断したら、全てが終わりだと思った。
生きていくための基盤がなければ
どんなに目先が楽しくとも、空虚な最期がちらついてしまう。
もう見え始めている。
その前に、何とかしなくては。。。
頭の中に、どうすればいいのか答えは出ている。
覚悟を決めて、1つずつクリアしていくのみ。
空き家というものは、なぜ空き家になっているのだろう。
主を失った家は、役目を失い朽ち果てるのみか…
かの人は言った。
「あの樹は怖い・・・」
なぜだろう?
と視ていたら、何となく感じるものがあった。
あの庭に放置された木々たちは、悲しんでいた。
人の世話の入らず、放置された植物たち
縦横無尽に、秩序を失って、これまで主のために尽くしてきた意味を失って
悲しみながら、その切なる声を張り上げて…
張り巡らされた蔓は、石壁の鉄線を覆い、建造物を朽ちさせる。
その命を、自ら燃やすように…
「あの樹は怖い」
かの人の視点で見た感覚。
今を、目の前のことを視れば。
あそこは、人を寄せ付けたくない悲しみの声がある。
普通は、立ち入ろうと思わない。
けども、目先の光景など如何ようにも変わる。
彼らの行く先、可能性を幻視さえすれば。
あの場所は…
あの空き家の主は、かつて居た。
その時の名残が、お庭の景観に残っている。
そこから、感じ取る。今どうして欲しいのか?
残された子どもたちのことが気がかりか?
帰ってこない子どもたちのことが気がかりか?
子どもたちの役に立てない、自らの現状を嘆いているのか?
あの樹よ、草よ、打ち捨てられた幹たちよ。
あなた方の声に耳を傾ける。
今何を望む、私に何かできることはあるか?