内臓ケアの呼吸法

内臓は、自分の意志で動かすことは難しいです。
やや身体の調子が思わしくない時、内臓に疲れがたまってる場合が考えられます。

お腹が締め付けられるような感じだったり(o _ o。)
ちょと便秘気味だったり、脇腹が痛かったり、
肩が凝ってたり、腰が痛かったり。

そんなとき、内臓を意図的に動かしてあげることで
症状が改善される場合もある。

 

具体的には呼吸法。唯一、自分で動かせる器官です。
普段は吸って吐いて。その繰り返し。
吸う息と吐く息が浅い場合、呼吸器が満足に働けてない。

だから、体全体が中だるみしてしまい、疲れや老廃物が滞って不調を招く。
しかし呼吸によって体内の内圧を変化させると、それにつられて内蔵が動く。

その慢性化した部分を目覚めさせるかのように
普段使わないところいっぱいいっぱいまで、ゆっくりと呼吸することで。
様々な不調の改善効果が見られます。

 
まず古い息を吐ききる。そして、

吸って、ゆっくり。吸って。吸って。おもいっきり限界まで。
そして息を止める。

こんなに息が据えたんだ…ここまで動かせたんだ、
と、血液が全身に循環していくのを観て実感できる。
ああ、こんなにも疲れが貯まってたんだなと。

血液が巡り出したら、ゆっくり吐く。ゆっくりと吐ききる。
ここまでが基本動作です。

 

あとは、この基本に様々なアレンジを加えます。
具体的には、吸うときに腹式と胸式の2パターンをやる。
吐く時は、その逆。腹式で吸ったら胸式で吐く。胸式で吸ったら腹式で吐く。など。

 
・息を吸いながらお腹をおもいっきり引っ込める
→その状態をキープする
→さらにお腹をおもいっきり引っ込めながら息を吐ききる。

 
・息を吸いながらお腹をおもいっきり膨らませる
→その状態をキープする
→お腹を保ったまま、息だけを吐ききる。

 
こんな感じ。

もっとアレンジする。

肩で息を吸う。肩まで膨らませる。
肩のコリが溶けていくイメージをする。
ゆっくりと吐く。

色々。

呼吸に合わせて、普段やらない身体の動きを加えると
さらに脳のスイッチを加速させ、身体機能の向上も可能。

なんだかヨガ、みたいになってきましたね。

 

自分の意識次第で、さまざまな効果が見込める。
大切なことは、方法に正解がないことを知る。
何の知識も要らない。

好き放題動かしてイイ。
おもいっきり限界まで動かしてイイ。

自分で、自分に合った呼吸法・身体の使い方を発見できるのです。


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善悪の知識の実

別名「アダムの林檎」

聖書では、善悪の知識の実を食べることによって楽園から追放されたとあります。
なぜ、善悪の識別を得ることが追放につながったのでしょう。

 

私は自分の体験談で、このように思うことがありました。

私にとってサプリは悪。必要ないもの。

 
けれども、ある特定のグループにおいては

サプリは救いであり、必要あるものでした。

 
過去の記事 ⇒ サプリメントの必要性は?

 
 
物事は二面性を持っていて、視点の違いによってその両方になりえます。
もとより、自然界や宇宙は善悪の識別を持ち合わせてません。
ただ因果応報がそこにあるだけです。

善悪とは、視点を固定化したときの一方的な判断基準でしかありません。

 
他に例を挙げてみます。

盗みは悪だ

善悪の識別を持った段階で、そのような風習を人社会にはびこらせます。
確かに盗みはよくない。これによって、盗みを働いた悪人は罰せられても仕方ない!
という世論が出来上がります。そして悪人を捕まえて裁くことを善と考えるようになります。

これが、善悪の知恵の実がもたらす結果であったと推測できる。

 
しかしこういった絶対的な判断基準は、その者がなぜ盗みを働いたか?
なぜ盗みを働かざるをえなかったか?というトコまでは、見えなくします。

もっと具体的な例を挙げれば
 

楽園を追放された後の農耕時代、とある家族が住んでいた。
一人の子供が悪事を犯した。親が、その子に裁きを下した。
 
その罰した内容が
 
「家族と故郷からの永遠の追放(家なし宿なし文なし)と
 農耕技術の剥奪(畑から食べ物を育てられない)」
 
この2つだとします。
その子供は、この先どうやって生きていけばいいのか。
故郷からの追放、お金もない、全く知らない未開の地、食べられるものが何もない。
そして自分で食べ物を育てることも出来ない。
 
ならば、どうするか。
他から奪うしかなくなるのだ。
 
後に彼は、鍛冶師となって鉄の槍などの武器を生み出し
略奪や狩りをして生き永らえた。

 

という一例。

この場合、何が悪なのか?を見るより
悪事を働かざるを得なくなった原因は何処にあるのか?のほうが重要であると思われます。

この時、表面的に善悪の判断基準を持って裁いたがために、
罰されたものはますます悪に手を染め上げなければならなくなった。

 

善悪の判断基準は、視点が固定化されたもの。
周りの状況や、その因果関係を見えなくさせるのでしょう。

人は、最初から悪事を働こうと思って生まれてこない。
必ず何かに必要とされて生まれてくるし、
生を与えられた段階からその役目を果たそうとする。

しかし、その者が思わしくない行動を取る時
どこかでその純粋さが曲げられたのだ。と考えます。

 
善悪の知恵の実は、善い物でも悪い物でもないでしょう。

問題はそれによってもたらされた善悪の基準が、
それを食べた人の視点のみに固定化され、それらに皆が強制させられたこと。

= この時、あらゆる視点を持つ自然や宇宙から人々が分断された

 

自然や宇宙の摂理から遠ざかり
それらとは繋がりを絶たれた人々が決めた
善悪のルールに縛られた社会。

その延長線上に、今。

 

 

もちろん、これは私が見た物事の一面性なので
絶対正解とかありません。

ただ、ここから僅かでも学んだことで

 
批判や反対運動は、それに取って代わる者が交代するだけ。
不毛な行いかもしれない。という考えに変化していきました。
そこに善悪の判断基準が無くなっていないから。

 

原発は目先の経済から見れば善であったし
TPPもホンの目先の経済から見れば善であった。
大多数にとって、ありえない取り組みですけどね。

 
それよりも、私たちが繋がりを取り戻すことができれば。
因果応報を自分たちで感じることが出来たならば、何も問題なくなる。

たぶんこんなふうに、
ただ目の前に存在してるモノたちがどれだけ偉大なのか
その価値に気づくだけで違うと思うのです。

大豆イソフラボンの効果から学ぶ
 
 

誰かの教えや価値基準から、自分の思考を解き放つ。

私たちは、地球上に住んでるから。
私たち一人一人の生き方が地上に何をもたらし、どのように自分に返ってきてるかを感じ取ることができれば
少しずつでも、私たちの望む方向に進んでいけるだろうと思いました。


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サプリメントの必要性は?

このサイトを立ち上げた当初の志については
よくブログで触れるようになった。

誕生の瞬間に、ある種のプログラムが作動を始めたかのようだ。
そのプログラムは、今も私とともにある。

表面的には方向性は変わってるかもしれないけど
根幹のものは、依然として変わらない。

 

物事というのは、創りだされるときに
ある種の役割をもって生まれてくるようだ。
その意図を感じ取り、そのように行動することが
創造主(宇宙や自然)から必要とされる喜びに変わっていくのだろう。

そしてその役割は、物事自ら望んで請け負ってるようだ。
だから苦ではないし、それをやってる時は非常に嬉しい。
魂の底から打ち震える喜びだ。

 
私は、文章を書くのが好きなようだ。
文章に音を混ぜ、物語を奏でるのが好きなようだ。

このサイトは、物語を現実にするために生み出した。
私の理想を叶えるもの。そして自然の意を叶えるものでありたい。
 

 

 
さて本題。

私は当初、サプリメントについては否定的な考えを持っていた。
自然な形ではない、分断されたものとして。
それ故中身の判別がしづらく、取り扱う価値の無いモノとして気にも留めなかった。

たぶん、このサイトを見てくれる人にとって、多くがサプリメントを必要としないと思う。それよりも、活きた食材を自分で料理するほうが何倍にも栄養になる。栄養価も、お金の面も、エネルギーの面も、すべてにおいて勝る。

 

 

けれども、なぜかサプリメントを必要としてる人が居る。
私はその人達に対しても自分たちで料理する方が良いと言い、なぜサプリが必要か?状況を考えることはしなかった。無視した。

そして私の中で、サプリは排除されるべきものとなった。

 

今、私はその考えを改めさせられている。

人の世は、人に必要とされるもの?或いは求められるものをいつも生み出している。そして、それが売れることで、お金が循環している。

私は其処を無視してもいいが、無視したら、私はそれに関わる様々な文明を捨てて生きるしかない。そして今の私にそれは不可能だ。未だ依存している。

少なくとも、今は関わって生きる必要があるらしい。
 
 

だから、よく見ようとした。
サプリの何が必要とされて、どんなメリットがあるのかを。

参考サイト ⇒ サプリメントの選び方ガイド

 

そしたら皮肉にも、サプリメントに含まれる人に理解されやすい言葉。
「成分名」を比較することで、根源の植物たちが持つ偉大な力の片鱗を再認識できた。

過去記事にそのいくつかの例を掲載している。

レスベラトロールの野草「イタドリ」
大豆イソフラボンの効果から学ぶ
米のとぎ汁乳酸菌は虫歯予防や治療にも有効!?

 
人が考案したとされる製品の中に、答えのいくつかを見つけ出すことが出来たとは…
よく分からない自体だけど、私の意識レベルが「有効成分一つ一つに分解されないと、植物それ自体の有用性を理解できない」くらい低いのだと悟った。

 
そしてそれは、私だけじゃないらしい。
現代社会の多くに、そういう見解を植え付けられてると思った。

だから料理すればいいとかありきたりな言葉は、心に響かない、重要性を理解されない場合が多かったのだと悟った。
特に、都会で忙しく働く人に、自分で料理することのメリットより、手軽さや時間効率が優先されてしまう。サプリ?

それよりも、少しでも働く時間を確保してお金を得るために、外食で済ませようとする。そして、食べるとはただお腹を満たすためのものだと思っている。

 

その結果、病気が誘発しやすくなるのだが
それは成分がバラバラになることでバランスを崩しやすくなる、一物全体のバランスが崩れる、といった部分に問題がある。そしてやはり患者の多さから察するに
多くの人はその原因や治療法が自分の内に見いだせるとは思っていないようだ。

かかりつけの医者に見てもらい、その場限りの処置を施してもらうことしか頭にない。
国のこういった側面を、私はかなりヤバイと感じていた。

どうすればいいものだろうか、、。と。

 

そこでだ。
現代人に響く言葉が、横文字だ。

私はサプリメントに触れる内に、それに与えられた役割を見直すことが出来た。
これは必要とされて作られたものだと。

 

私の知り合いの社長さんは、母の病を治すために商品を生み出したというし
また別の方は、世の中の女性を本気で美しくしたいと願って商品を開発した。

その想いが、あるサプリの一点に集約されていた。

私は当時、それに関わらなかった。必要ないものだと思っていたし。
だけど、実際にコレで救われる人は多くいるだろう。

何よりサプリを飲む動機として、少なくとも医者に任せっきりの患者さんよりも自立している。
体の不調を感じた時、それを放置したり、いよいよ悪くなって医者の言われるがままに治療してもらうのではなく、自ら率先して正そうとしている!

そこには確かな決意と自立心があるんだ。

「自分で治したい」「どうすれば治るか?」

周りに植物がなくても、料理ができなくても、根源の知識から絶たれていても、
本人の望みを、その人に分かりやすい形でサプリは助けることが出来る。

 
サプリ自体悪くない。有用な部分があった。

全ては、どういう視点で見るか?
それだけの違いであることに気づいた。

 

もちろん私は此処で取り扱う気はないし
多くの場合、自分で植物を育てたり、料理して食べたほうが効果があることを知っている。

それでも、私はサプリに触れて、植物の持つ偉大さの一部に触れることが出来た。
私にとっても、それは必要なものであったようだ。

これらの情報から

「こういった症状のときはどんな成分を含む植物が有効か?」
「このような目的には、どんな種類の植物たちが助けてくれるか?」

間接的に学ぶことが出来た。


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レスベラトロールの野草「イタドリ」

イタドリ

2年ほど前、初めてその名を知った。
春に採取できる「イタドリ」さん。

塩漬けにして食べたり、生のまま筋をとって囓ったりして食べられる。
仄かな酸味が口の中に広がって、けっこう美味しい(‘ ‘*)

1年前、都会に居ても近くに自生していると教えてもらい
やはり、その味は格別なものだった。
私が置き去りにした懐かしい味を、イタドリは思い出させてくれた。

自然の野草には、人の身体を癒してくれるふしぎな力があるという。
私は、当時はよくわからなかった。ただ美味しいとだけ思った。

人が作るお昼ごはんや晩御飯のように、特別何かを感じなかった。
どちらかといえば、おやつ感覚だった。

  

私は、後になって科学的な成分についても少し勉強するようになった。
以前日記にも触れたこの言葉

過去記事 ⇒「サーチュイン遺伝子」
 

別名:長寿遺伝子

この人間に組み込まれたプログラムを目覚めさせるのに
「レスベラトロール」という成分が有効であるらしいことがわかった。
そしてなんと、このイタドリには貴重なレスベラトロールが含まれている。

 

このように書くと、イタドリの持つ偉大な力の、ほんの一部を認識することが出来る。
たぶん、未だまだ部分的なものでしかないが、これだけ素晴らしい植物だということを、今はより気づいている。

私は、人間の多くが横文字でしか反応しないという事実に触れ。
私自身がそうであることを実感した。

偉大な植物の力を、私は未だそのままの形で敬うことを出来ないでいるようだった。
こうして科学的に裏付けのとれたものに対して、私はその力を再認識し、改めてスゴイと言う。

 
このような自分を嘆くだろうか。
それとも、改めてイタドリの神秘に触れられたことに喜びを見出すだろうか。

今頃、山の中で自生してるかもしれない。
また自然に少しだけ分けていただこうかと思った。

 

ただ其処にあるものを愛す。
何の根拠もなく、裏付けもなく、存在の偉大さを信じ、そのように接する。

それだけで無駄なエネルギーは取り払われ、
純粋な形そのものを受け取ることが出来る。

私に足りないのは、自然に対する信頼と、洞察力だ。
一言で言えば、愛だろうか。(o _ o。)

 
私はその不完全さを認識し、目の前の恩恵に気づけなかった自分に自信を持てないでいた。
そして私の疑いは、それ自体が長文を作り、文章を複雑にし、読み応えのある中身の薄いものに置き換わっていく。

でもこの方が、人には伝わるだろうか。

 
「イタドリは長寿遺伝子を目覚めさせる」
「イタドリは自然の中に自生している」
「今の時期採取できる」

3つの内容に触れた。
これだけの文章を用いて。


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他人の用意したプランから降りる

動かされていた、と感じるのは。
自分の選択でありながら、自分の意志で選択しなかった時だ。

他人が勧めてきた、通学、進学、就職、どれもが私には合わなかった。
恐ろしいのは、当時知らず知らず参加させられてたことに、自分で気づく術がなかったことだ。
でも、そうすることを強制されていたように私自身が感じてたから
まるで生きた心地がしなかった。

いったん自分で仕事を始めたとき、自分で全てやるのが私には向いてることに気づいた。
自分に責任をもって生きる。自分の為すことが必要とされ、お金を得られることは喜びだった。
自分で食べ物を選び、料理をするようになって、生き方もかなり改善された。

自分の責任において他者の力も借り、様々なものを自分たちで作ることが出来た。
つかの間、私は自由を得た。

 
その後、私は人に勧められて会社組織にした。
ここで私は、また他人の用意した土俵に乗ってしまった。
自分の責任の持てない範囲を受け持つことになり、失敗した。

仕事に追われ、自分で料理する気力が削がれ、当時は外食も多くなっていた。
結果的に、負債しか残らなかった。

私は無駄を生み出しただけだった。気づくために。
自分で責任を持てない選択(他人の用意したプラン)に乗って、自滅しただけでした。

このとき、助けてくれた人々には感謝しています(o _ o。)

 
 
今回のインターネットに関するツール依存の件は
自前で用意したものじゃない、もともと其処にあったものを無料で使わせて頂いてる。
ある意味、他者の用意したフィールドに参加させてもらっている、
そのことに対する感謝と、それによってもたらされるモノが何か?を

しっかりと見定める必要があると感じて書きました。

インターネット依存(google編)

 

ひとまず自分の直近で起こってることは、未来に備える学びだと感じました。
今現在、起こったこと、そこで感じたこと、考えたこと、深く掘りさげて記録すれば
それを自分の外から眺めることができる。

すると改めて、違う場面で応用が効いてくるかもしれない。
今後の生き方を改める判断材料になりそうです。


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