無駄とは?
余計な力。行き場を失った力。目的を見失った力。
余計な知識でもある。行き場を失った知識。目的を見失った知識。
無・駄(。0 _ 0。)ノ!
こんな逸話があります。
宇宙空間では通常、ボールペンが使えない。
でも、どうしても宇宙船の中でボールペンを使いたい。
どうすればいいだろう?
ある乗組員たちは、開発費1000万$を通じて、無重力でも使えるボールペンを研究した。
一方で、別の国の乗組員たちは普通の鉛筆を使った。。。
この場合、目的は「字を書くこと」。宇宙船の中で、だ。
別にボールペンを使う必要なんて無い。鉛筆で十分だったのだ。
けれども、本来の目的を見誤ったが為に、前者は無駄なお金と時間を浪費してしまった。
現代のお勉強とか科学技術とか、こういった例のケースが、かなりかなりかなり多いと思うんです。
無駄だらけ。やや、人の作った文明社会というものですね。
発明品が生活基盤の当たり前になると、その根本の役割を見失う。応用が効かなくなる
しかも研究の用途が、「俺スゲー!」技術路線に走る時
本来の目的を見失うばかりか。システムだけがさらに複雑に、もう面倒くさいだけになる。
ほとんどの学問が、そうであるように。
権威にのっとって難しく話す。俺スゲー学問。さもそれがスゴイことのように難しく話す。
素晴らしく面倒くさい。ネットに蔓延する情報もほとんどね。
このサイトも含めてです。
読む人にとってはある意味、無駄が多い。
(著者と読者と、人生の方向性、きっと違う部分ある、
ネットのどんな情報も、読者視点ではない。著者の世界観が中心。
だから話半分くらいがちょうどいい。自分の経験こそが信頼に値するもの)
では冒頭に戻る。
人生において、ボールペンを使うことは必須なのか?
その意味を、根本から考えなおしてみる問いかけでした。
何に対して?
「自らの生活の在り方」に関して。
便利な道具の落とし穴
便利です! わぁすごい!何もかも自動化!!
そんなスゴイ機械があります。家事が楽になるぜ〜(。0 _ 0。)ノ
- 車
- 掃除機
- ルンバ
- 洗濯機
- 食器洗浄機
- 風呂焚き
- ガスコンロ
- 水洗トイレ
これらって、家事が楽になる税?
便利な道具の落とし穴、
ほら、機械を動かすためのコストを見落としてますね。
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住む場所がない。
生きる場所がない。
なぜか最初から奪われてる。
状態で生まれる。
都会っ子。
生きる場所、住む場所、子供にとって自分の体の一部。
なのに、それらを思う存分に動かせない。
賃貸のマンション、アパート。
マイホームであっても、色々な制約がある。
土はどこ、植物はどこ? 虫たちは? 動物たちは?
壁が行く手を阻む。らくがき、少しでも汚すと怒られた。
人様の物になんてことするんだい!って。どうしてそれが許されないんだろう?
不思議に思った。なぜか怒られる、好きなように動いてただけなのに、
よくわからないけど、自分は悪いことしたんだって想ってしまう。
分からないから一つひとつの行動に自信が持てなくなる、さらに自分の行動が制限されることを無意識に感じる。ストレス。
赤ちゃんは、自分の身体と外の境界線がないから。
参考 ⇒ 自分という存在を拡張した捉え方
子供のころ、十分に生きる場所、身体を動かせる場所が、住む場所が、最初から与えられてなかったように思えていた。
この延長線上に、馬鹿高い金額を払わないと家を持てないとか
毎月の家賃を払わないと住む場所がないとか。ルールとか制約とか
よく分からない現実を目の当たりにする。
自分の家に住んでるとはいえない。その場所は、自分の体の一部とはいえない。
どうして手を使い続けるのに、毎月維持費がいるの? 誰に払うの?
しかも自由に動かせる腕を、決められたとおりにしか動かしたらいけませんとか! 制限付き!!!!
ただ生きるのに、誰にお金を払って誰のルールに従う必要があるの?って。
気がつけばまるで、無意識に奪われてるということ。
田舎はまだ大丈夫なんだ。これが都会に行けば行くほど…
意味不明に高い家賃や土地代が、そこに住む人を、商売する人を、縛り上げる。
だれが盗ってるのか?
土地の値段が高いと誰が得するのか?
土地代が高いと物価が上がる。人件費が上がる。給与も多い。
お金を稼ぐなら、都会だ! そして人が集まる、仕事もある。
しかし、その分、多くにお金がかかるようになる。
すごく不思議だった。
なんにもないのに土地だけ高くて
みんなそこに集まって、集まるから商売できて、お金の周りもよくて。
でも、たくさんの無駄。人の土地、人の土地で人生を捧げる。
地に足がついてない、自分の元には何も残らない。
都会、自分の居場所どこにある?
どうして、最初に自分の居場所を与えられない?
どうして住むのに、そこに居ない人に。
全く関係ない人に、土地代払うことになってる?
さて、自分で何かを始めるときに
「借金」という言葉は元々存在しない。
すでに必要な物は揃ってるんだ。
最初に出来る範囲の
「目の前のやりたい事」から始められる。
まずそこに気づくこと。
小さな範囲で、物事やリソースをどう上手く扱うべきか
少しずつ使い方の感覚が養われていく。
始まりは小さなモノから。
だんだんだん、大きな事を扱えるようになってくる。
自分の好きな様に動くための能力が磨かれていく。
次第に、自分の本当にやりたかった仕事ができてくるんだ。
投資、人にお金を貸すことに近い。
貸した元手で利益が出たら、お零れを頂く。
稼いでくれますように、稼いでくれますように。
期待、期待、期待(‘ ‘*)
お金稼いでね?働き続けてね?って他人に期待してる。
銀行、株、その他の金融業者。
書面の手続きなんて形だけのもの。
「期待」というあやふやな要素を無理やり
「確実な信用」と誤魔化してるに過ぎない。
経済は信用で成り立っていない。
経済は他者への期待で成り立っていた。
(だからボロボロ、ボロボロ)
お金を借りる側
一時的なお金と一緒に、利益を出せ、働き続けろという無言のプレッシャー。
そんな期待を一心に背負うよ。
期待に応えないとね。ほら常に仕事、利益産み出せという強迫観念に縛られるね。
視野が狭まるう。そしてがむしゃらに働くよ。利益も無理やり出すよ。
うりゃーーーー。
うーん。
うーん。
あらら、苦しみばかり増えたね。
自分の本当にやりたいことも出来ず、お金の奴隷に成り下がった。
さて、その先の未来に何が起こるかは、推して知るべし。
おちついておちついて。
他者の期待を背負うということは、その他者に人生を捧げるということ。
無意識に、自分の人生を窮地に晒すなどあってなるものか…。
代償は大きかった。気づいた時が引き返す時。進む道を考え改める時。