土地の想念が私たちの親
土地には、先祖代々の生命たちの痕跡が埋まっている。
落ち葉や昔々の生き物たち、先祖のお骨が埋まっている。
土地が自分自身の一部になるとき。
土地の想念全てが、「私」の親となり友となりうる。
「私」が、先代たちの魂を引き継ぐからだ。
親から子に遺産が相続される。
だが、様々な理由で相続できない、或いは相続がなされない。
というのは、哀しいことかもだけれど、血の繋がった親と子の関係であれ、縁の大部分は薄れてしまうんだ。
代わりにその子が別の土地とつながりを持つ時、その場所が、真の繋がりのある親として迎えてくれる。
お嫁に行くって、このような感じだよね。。
お婿に行くのも、このような感じだよね。。
私たちの根付く土地が、親。
土地が子に、日々の糧を実らせて養ってくれるのだから。
よく考えたら自然なことなのです。
子どもが居なくなった親は哀しいのです。
だから迎え入れたい。出来れば、血の繋がった子に帰ってきて欲しい。
けれども願い叶わぬのなら、「私」がその想いを引き継ぐのです。
先代たちの想いと、何よりも自分自身の為に。
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