日本の地形は、世界の縮図になっている。
地図をみたとき、確かにそのようになっていた。
大きな世界は、小さな世界。
小さな世界の延長に、それと同じ大きな世界。
というものの現れなのだと思う。
人は、大きな世界に影響を受けつつも、
自らの小さな世界を形作ることで、大きな世界に影響をあたえることが出来る。
日本地図と世界地図を照らし合わせる時、それを知ることが出来る。
まずは、自分の生活の場を形作る。
自分だけの生活の場を形作る。それ以外はなくても生きていけるような…
最初に食べ物が生まれる土地。
自分の足を支える地盤、寝る場所。
場が、最初にある。
水は、雨が降る。小さな川も出来る。
だが、世界は。ビルだ。都会が中心。
自分の生活の場に嫌でも入り込んでくる、便利な器具が
冷蔵庫、洗濯機、エアコン、ガスレンジ、ヒーター、
お家の中に入ってくるよ。都会の象徴が。。
そう、冷静に見つめてみると、世界の縮図が
自分の家のインテリアで見ることができるようになる。
この場、自分の形作った家のインテリア、どんな世界の存在に影響を受けているのか。
自分にとっての対応する世界地図が、家の中に現われる。
カップ焼きそばを食べるかい?
カップ焼きそばを常備してるなら、話は簡単だ。
キミの世界にカップ焼きそばがあるんだ。
それは、◎清かもしれないしUFOかもしれない。
キミの世界地図に、その会社の名が組み込まれる。
もしも、カップ焼きそばの会社が何らかの操作を入れ込んだ時。
キミがそれを食べるうちは、知らずに影響を受けてしまうということ。
世界地図。
キミの部屋は、キミにとっての宇宙の縮図。
この状態を、意識したら、自分がどの世界に影響を受けているか最初に認識できる。
認識したら、今まで知らず知らずに影響をうけるだけだったそれも
逆に、こちらがわから働きかけることが出来る。
気に入らなければ、自分の部屋から存在を消すことが出来るんだ。
見る。自分の部屋を見る時。
それは世界がすべて凝縮された姿を、見ることになる。
認識した?
そしたら「世界を変える」なんて、簡単だ。
部屋を模様替えすればいいだけだ。
イラないものを捨て、世界から不要なものを消し去る
どんどん捨て去る時、世界の経済観念から不要なものが全て取り除かれる。
要らない会社はどんどん潰れる。消え去る。
ついにはお部屋の境界線までもが消え去り、
画一化された愚かな世界の、境界線そのものすら消失してしまう未来も…
足場に残るものは、自然の営み。
その地盤があって、初めて自分独自の世界観を築き上げることが出来るんだ。
仮初の家でも。
まずは自分たちの住まい。
全てを自分たちでデザインする。
モノを置くときも。それは何のために、何のために。
場の広さがキャパシティ。
それに見合う形で。小さくてイイ。
なるだけ、切り取られたそのお家内だけで、
外の世界がなくても、なるだけ生きられる環境を。
ベランダに植物を、水場は綺麗に、循環する意識で
雨水を貯めるところ。それから各種小物、風水アイテム。
モノ一つ一つに意識をいれる。
キミの役目はコレ。だからそのように役に立ってね?・・・って
そして普段の生活で、フル活用してく。
まわるまわる、風水の場。
それは何のために、何のために?
その場に生きるものは、小さな世界の全てを知る
「かえりたい、かえりたい」
家にいるのに、家族がいるのに
なぜ? そんなことを思うんだろう。
帰りたい。って
自分を包み込んでくれる場が。自分のありのままを受け止めてくれる場が…
植物の根付く、地盤が、木が、食べ物が実る作物が、
寝る時に身体を温めてくれる藁が、枯れ草が、
好きな様に落書きできる、石ころが、土のキャンパスが
地に足をつける、字の通り。
自分を受け止めてくれる場が、自分の体の一部として。
本当に心から休まる、いつでも還れる場所は?
住む場所がない。
生きる場所がない。
なぜか最初から奪われてる。
状態で生まれる。
都会っ子。
生きる場所、住む場所、子供にとって自分の体の一部。
なのに、それらを思う存分に動かせない。
賃貸のマンション、アパート。
マイホームであっても、色々な制約がある。
土はどこ、植物はどこ? 虫たちは? 動物たちは?
壁が行く手を阻む。らくがき、少しでも汚すと怒られた。
人様の物になんてことするんだい!って。どうしてそれが許されないんだろう?
不思議に思った。なぜか怒られる、好きなように動いてただけなのに、
よくわからないけど、自分は悪いことしたんだって想ってしまう。
分からないから一つひとつの行動に自信が持てなくなる、さらに自分の行動が制限されることを無意識に感じる。ストレス。
赤ちゃんは、自分の身体と外の境界線がないから。
参考 ⇒ 自分という存在を拡張した捉え方
子供のころ、十分に生きる場所、身体を動かせる場所が、住む場所が、最初から与えられてなかったように思えていた。
この延長線上に、馬鹿高い金額を払わないと家を持てないとか
毎月の家賃を払わないと住む場所がないとか。ルールとか制約とか
よく分からない現実を目の当たりにする。
自分の家に住んでるとはいえない。その場所は、自分の体の一部とはいえない。
どうして手を使い続けるのに、毎月維持費がいるの? 誰に払うの?
しかも自由に動かせる腕を、決められたとおりにしか動かしたらいけませんとか! 制限付き!!!!
ただ生きるのに、誰にお金を払って誰のルールに従う必要があるの?って。
気がつけばまるで、無意識に奪われてるということ。
田舎はまだ大丈夫なんだ。これが都会に行けば行くほど…
意味不明に高い家賃や土地代が、そこに住む人を、商売する人を、縛り上げる。
だれが盗ってるのか?
土地の値段が高いと誰が得するのか?
土地代が高いと物価が上がる。人件費が上がる。給与も多い。
お金を稼ぐなら、都会だ! そして人が集まる、仕事もある。
しかし、その分、多くにお金がかかるようになる。
すごく不思議だった。
なんにもないのに土地だけ高くて
みんなそこに集まって、集まるから商売できて、お金の周りもよくて。
でも、たくさんの無駄。人の土地、人の土地で人生を捧げる。
地に足がついてない、自分の元には何も残らない。
都会、自分の居場所どこにある?
どうして、最初に自分の居場所を与えられない?
どうして住むのに、そこに居ない人に。
全く関係ない人に、土地代払うことになってる?