寒くないですか?

思えば、今年に入ってから嫌に寒かった。
寒さは未だ続いております。

なぜか建物内では冷房が掛かってるが、寒い中さらにキンキンに冷やしてどうするつもりなのやら

さーみーーー(‘ ‘*);;;

 

梅雨明けですかね。

雨降った時はそれはそれは寒かったものです。
蝉の声がまだ聞こえてきません。

 

なんでこんなに寒いのでしょうか?


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尊敬される人

尊敬できる人。
周りにそんな人はいるだろうか。

考えてみた・・・

 
何人か居る。何人か。

数えるほどに。

 

どういうトコに尊敬の念を抱くのだろうと考えた時。

例えば、その芸術性であったり
例えば、その人間性であったり
例えば、その生き方であったり

するのだろうかなぁ。

 
一番尊敬するのは自分。とか言ったけど
あれは、ある一面でそうであって、全てがそういう訳じゃない。

むしろ大部分において、他の人のほーが優れてるからですねぇ〜。。。

自分は、そういうのを他から掻い摘んできて、
選り好みのパーツパーツで組み立てられたようなもので。

 

あと、好き嫌い分かれるから、
自分に興味ない部分は目に映らないだろう。。。

 

視野も好き好きになるのはひつぜんなんだろーなー。

 

 

そんな自分が、他の人から見てソンケーに値するものかね?
と、問いかけてみる。

よーわからん(‘ ‘*)

  

ただ尊敬されるというのは、すこしは嬉しいことですね。

尊敬される自分でありたいというのも(どんな人から?)
自分を律する上で原動力になるのかもしれません。


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尊敬する人

人として尊敬できる。
そんな人はマワリニイルだろうか。

 
考えてみた。

まず、自分。そう自分だ。
私は素晴らしい。これだけのモノを作り上げたのだから。
そしてこれからも迷走し続けるだろう。

私は私を尊敬する。

 

そして、そんな私を支えてくれた人。
素晴らしい。私の価値を見出したのだから。
問答無用で賞賛に値する。すばらしい(。◕ ∀ ◕。)ノ

 

まぁ、そういうのは兎も角として。

私に関わってない人は、私自身は尊敬も仕様がないのだが
たぶんいろんな場所に、尊敬できる部分をもつ人たちは多く居るんだろう。
私が知らないだけで。

 
知らなきゃ、すげーって思いようがないもんね。

すげー(。◕ ∀ ◕。)ノ

 

そー考えると、やっぱ自分が一番偉大だな(‘ ‘*)

どーでもいい話だが。

 

はぁ。。。。。精進しよ。


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人と人との出会い

其処に居たのは、ありのままの自分だった。

「ボクはここにいるよ!」

 
と、本当の自分が求めていた。

 
別に周りに合わせようと思わないでしょ? どーでもいいし(‘ ‘*)
特に人に好かれようとも思わないでしょ? どーでもいいし(‘ ‘*)

ただ、自分の感じるままに、うごいて、息して、関わって

 

そだな、うちの場合は、
こうして本音を記事を書き残したり、好きな音楽や物語を書いたりするのがそう。

自分の手で形作った、作品には、
自分自身が描きたい、成し遂げたい想いがある。
有りの侭の自分の投影なのだと思う。

 

それを、世界中の人に観てもらうんだ・・・
本当の自分はここにいる。自分の求めてる場所はここにあるって。

 

すると、その世界に住む一部の人から共感をもらって、コンタクトを頂いたり、いいねを押していただいたり、
志を同じくする人、自分を理解してくれる人と、ご縁が出来たりする。

これがホントの出会いなんだって、気づいた(‘ ‘*)

この時ありのままの自分の存在が、認められているのに気づくのだ。

 

 

出会い、特に男女関係になると
そういうの忘れてしまいがちなのかな?

寂しさや、異性に対する依存、とにかく相手が欲しい。
そういったモノに囚われて、本質を見失ってしまいがちなようだ。
 
 
相手に嫌われないようにするには?とか
〜やったら気に入ってもらえる!とか、
それで、相手のご機嫌取りの接し方とかメールとかメッセージとか。
なんて不毛なんだろう…って感じる。

まるで、お人形さんみたい。
自分ではない、何か別のモノに動かされてる感覚。
心を失くしたお人形。それ本心なの?って。

 

この世の中は、残念ながらそういった偽りの常識? 仮初めの関係? 見せかけの幸福を目指すこと?
に囚われて、自分自身が分からなくなってる人が多いようだ。社会の常識に見合った仮面を被って、外と接している。

だから多くの人が、本当に運命といえる出会いを体験できないのだろう。と思った。
誰か一人が偽りの関係を築いた途端、本当に出会うべきもう一人の可能性も潰してしまう。

 

本質を見ようとするに至らず、

「誰でもいいから彼氏彼女がほしい」とか
「誰でもいいからやりたい」とか

 
そんなモノの為に、しなくても良い努力を重ねて外側を着飾って、
本質:本質ではない、男女の付き合いはこうである、こうしたらモテる、みたいな上辺だけの交流を繰り返してるのでしょうか。

そりゃ、周りがそんなんばっかりだったら、偽りの出会いしか起こらないよね…

 

仕事に対してもそう、これしか働き口がない…という状況
生活のために、其処から始めるのはいいが、本質は見失っちゃいけない。

私はこれがやりたい! その想いは、長年の経験を積み重ねることで誰かの役に立つまでに消化できるようになると思う。その時、需要が産まれて、僅かでもお金を稼ぐことが出来るようになる。
このお金は、とっても素晴らしい物。自分の心の底からやりたいと思ったことが、生活の糧にもなるのだから。それが本来あるべき姿なんだろうと思う。

 
自分の人生が、そのまま生きていくことに繋がる。
そして、その中で出会った人というのは、自分が心の底から必要とする、または必要とされる方々で、これこそが本物の人脈と呼べるものではないかと思った。

 

自分は、何がしたいのか。何をして生きていたいのか。
そして生まれ持った人柄はどういったものなのか。何をしてる時が一番幸せか。
それが、自分の本質であると思う。

その通りに生きるとき、真に必要とする人が現れて
その人生を輝かしいものにしてくれるのだろう…

 
色んな意味で無理しなくていいんだね。 
ありのままの自分が一番なんだ。


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植木鉢は優しい揺りかご

アップルミントにお花が咲いた(‘ ‘*)

アップルミント

白い穂。すすきみたい。
ここから種ができるのかな?

ねこじゃらしみたい…

 

となりでは、ワケギだった植木鉢にすすきが実りました。(?

すすき

 

植木鉢の中は、たくさんの植物でいっぱいになった。

みんな伸びたい放題である。すばらしい(‘ ‘*)

 

一方で、裏山に植えた苗たちは

まったく土になじまなかった。芽が出た、成長していった、としても
思うように育ってくれなかった。

きっと、裏山の土はすでに一杯の植物でうめつくされて、新人が入る隙がなかったのだ。
と思った。

 
それと、やっぱり近くがいいものね。
間近でお世話できない以上、どうしようもない。

まるで知らない場所に一人放り出された迷子のよう。
かわいそうなことをしてしまった。
 

都会の土に慣れ親しんだものが
いきなり野生には帰れないのだと悟りました。

蚊、蚊がたくさん。刺してくるし。
ふつう刺さないのでしょ? まず蚊の洗礼うけるね。大変ね。

 

 

やはり、まずは植木鉢からなんだ。
ちいさな揺りかごで、人に守られて。

人は自然を必要とするが、ひっっじょうに情けないことに、なさけないことに。。。
自然の中で人はこのままで生きられないらしいいいです。。

生き方を忘れてしまったようです。
植木鉢に教えてもらわなければなりません(o _ o。)

植木鉢さん、たいへんです。
人が一人こんらんしております。

 

 

育てきれなかった悔みは。

自然は情が無いのかもしれん。
わりと無慈悲に自然のバランス第一、効率主義、人とかに厳しい感じ。
だからこそ根強いのか・・・

 

田舎に移って暮らそうとか、つうじょうの人はけっこうキツイかも。

今は都会の土を、自然に戻したい。そこでくらしたい気がする。

そのための金ほし。


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