という論。
物語や小説などで、登場人物たちの駆け引きをみると
なるほど、そういうものか!と見えてくる部分もあった。
何かしら思惑があって、人は行動する。
人と人が出会う時、一つの思惑ともう一つの思惑が交錯する。
駆け引き。
想ったことを言う。
こうしたいを言う。
片方はそれを聞く。
片方を聞いて思う。
それは何か?
何のためか?
自分にとって
・賛同できる…
・どうでもいい…関わりたくない…もしくは
・無理…相対する意見の場合はどうだ。
考える間もなく、反応を示すだろう。
正直なとこ、あれやこれや考えて話すのはめんどくさい。
最初に結論有りき。そこに至る道筋は幾分にも有り、強い意志で押し通す。
それくらいの、自己の強さが欲しい。
信念を貫く、何が何でもやり通す意志。
自分のやりたい人生を歩む時、自らに責任が果たせる。
意にそぐわない選択は、人のせいにする要因。
これが、だいたいの理だと判った。
意にそぐわない人生を送ってる人は、誰かに責任を問いただす人は…
無意識にだろうが、自分を捨ててしまってることを自覚しなければならんのではなかろうか。
ほんとうの意味で何とかできるのは、本人しか居ないのに。
方法がわからないのか?
それとも自覚がないのか?
もしかしたらとっくに気づいてたんじゃないか…
やりたいことを、阻むもの。
誰かに対する責任感。そんなもの最初からない。
どんなときも、責任を果たせるのは自分自身に対してだけ。
自分自身のしてきたことが、今結果としてある。
すべての人に、それが当てはまる。
自分のことは自分で何とかするのだ。
自立できない状態での[他人への気遣い]って、実にエネルギーの無駄遣い。
そういうの、わりとズレありまくりで無駄無駄無駄。
集団社会の恐ろしさよ… 私自身の戒めよ。
そのままで受け入れられる人もいるし、
そのままで無理が生じる人もいる。
全員が全員、ありのままで分かり合えるつもりでいた。
そんなことはなかった。
よく人を見なければ。
賛成 or 無理 or どうでもいい
今まで、接する人に対してどうでもいいが多すぎたんだ。
よく見なければ。賛成できる所は賛成。無理な所は無理。はっきり伝えなければ。。。
全体を見て、人を見ず。
人を見て、全体を見ず。
両方の視点を交互に切り替え。
予知能力。
私は未来を予見することができる。
私は、明日の朝はヨーグルトを食べるのだ。
我が家の乳酸菌が頑張って豆乳を固めてくれている。
トーストがこんがりと焼けている。
林檎を乗っける。ヨーグルトに漬ける。食べる。
美味い(‘ ‘*)
お茶。お茶。
寝て、起きて、その後の未来の情景が描かれた。
ほら、私は未来を予見することができる。
私の人生は、こうして私に係る身近なことから築かれていく。
まずは明日の朝ごはんから。
朝ごはんを食べない人は。お昼ごはんから。
お昼ごはんを予見して、今この瞬間に御飯を炊く準備をするのだ(‘ ‘*)
私の未来は、私が築く。
最終的には、私の思う通りに私の未来が動く。
とある業務、特定の人に投げっぱなしで、その部分は全く把握できてなかった。
人に頼むのは楽でいい。
生活を人に頼るのも楽でいい。
お金さえ払えば全部やってくれる。
ただし固定経費発生。
けれど最初は自分でやってみると、そこの大変さがよく分かる。
その分、その事に責任が持てるようになった。お金も節約。
自分自身に関わる物事を把握すればするほど、
生活でも仕事でも精神的に生きやすい感覚を思う。
いつも人に頼むことは、どこかで自分も経験していた方が良いだろう。