人は一人では生きていけない
という人が居た。
実に、現代社会で錯覚させられてることの一つである。
なぜ誤った考えであるに関わらず、そう言われてるのか?
そう思い込ませると、より経済が回るからだ。
(電気が自給できません、水道は国に依存です、ガスは業者だよりです、生活必需品、家具家電はお店やメーカーさんだより…)
ほら一人で生きていけません!!!!
って、現代社会のシステムがそのように作った。
依存させれば、その分だけ仕組みを作ったトップに金が流れる。景気〜〜〜
まぁ経済まわっても一般市民にはあまり良いことないっす。
経済社会は、仕組みを作ったトップが潤うためのもの。
そこに準ずる一般市民は、割りと良いように搾り取られます。物欲の奴隷として。
そして、教育でさも美しい言葉で子どもたちに教える。
「人は一人では生きていけません、皆は助けあって生きていきましょう。集団の場を乱すような行動は謹んで、一人は皆のために、正しく生きよと」
おっしゃってー。
だから現代人の多くは、社会の輪(仲間の輪)からはずれることを極端に恐れるようになってた。
でも、こんなん茶番。
実際は、人は一人で生きていくだけの能力が最初から備わってる。
一般常識まるっと無視して、自分独自の生き方を自由に描き出すことができる。
あらゆる社会の無駄が省かれ、自らのスマートで自由な、十全な暮らしぶりが遺憾なく発揮されるわけだ。
先日、土地を購入し、小さな小屋で新しい生活がスタートした。
もう家賃とはおさらばだ。自給自足に十分な広さの土地も確保。
水はとても綺麗な井戸水。
電気もゆくゆくは自給するであろう。
そして、この生活設備をベースに
⇒ http://goldenflower.jp/homemaking/0-emergency.html
炊飯器2台で
酵素玄米とお味噌汁が常備。
ポットでお湯も沸く。
一汁一菜がいつでも食せる便利っぷり。
菜園が未だ手つかずで、最低限の暮らしが保証されるのだから
数年後、数十年後はさらに豊かな実りを産むぞ。
まぁ現時点いくらで生活可能かの??
今の時点で月に数万で生活可能じゃな。
突き詰めるほど0に近づけられる。
買うんじゃなくて、自分で創る。
そこには創造の喜びがある。
自分のために、あらゆる無駄を省き、望む形のまま、思い通りに
創造することができる!
大切な人への贈り物だって
自分で丹精込めて作った作物や工芸品の方が
はるかに気持ちが伝わる。
創造。創造の始まりじゃ。
ちっちゃく生きればやりたい放題
言葉の響きは悪いかぇ?
大きく生きれば中身がスカスカ
真よのぉ(‘ ‘*)
ちっちゃく生きる時
その場に居るのは、自分自身だ。
自分自身しか居ない。自分自身だけがある。
この場に与えられた土地も、木も、草も、実も、降り注ぐ水も。
皆、私自身にあるがためのもの。
私はこの土地に属する。
私は与えられた区画、土地自身だ。
だから私は、土地。
土地を支配することで、私自身を支配する。
何物も、私を脅かすものはない。
私が土地と共にあるかぎり。
永遠に生きつづけることができる。
その土地を放棄してみよ。
その土地は、既に自分自身ではなくなり
自分自身の在るがための地盤を見失い
彷徨いびととなるのだ。
あ。去勢を張りたがる人が居るな。
あの人たちは何も分かってない。
自分自身に何もないというのを。分かっていない。
土地がないのに、なぜそんなに威勢がいいんだ?
半身を失ったことさえ気づいてないのか?
小さく生きよ。
与えられたこの土地で。
まずは小さく、思う存分に生きてみよ。
お前の人生は、そっからだろ?
与えられた土地に眠る無限の力を引き出してみせよ。
アナスタシア第4巻、34ページより
「だから言っているじゃない。ガスは食べ物を消化する際に体の中でできるの」
。。。
この1文、とんでもない可能性を秘めてるよな。
(オナラに火がつくのは、実験データにも残ってるようだ)
で、つまり。
人の腸内の中で、食べ物が昇華されるプロセスを「瓶」に再現できれば
天然のガスは、自給できるというわけだ。すごいよな(‘ ‘*)
手元の発酵瓶をちらっと目にやる(。0 _ 0。)ノ
⇒ 米のとぎ汁乳酸菌
発酵ガスが、すごいんだよな。コレ。(冬場より夏場はもっと凄いよ)
新鮮な玄米量を多くすればするほど、黒糖と天然塩を入れて数日。
もう、蓋を開けた瞬間に中身が飛び出るほどだ!!!
火は着くんかな?このガス。
火着いたら、火力エネルギーも自給できるというわけだね。
いやー、火は着くんかな〜〜〜????
ほらほら誰か、一緒に実験しましょ。
自然がないと生きられない。
これは、全生命における大前提の考え方になる。
食べ物は自然在るところじゃないと成らないから。
それを踏まえて、田舎だ。自然だ。樹だ何だ(。◕ ∀ ◕。)ノ
と言っていました。
でも、気が付きました。
都会の中にも、自然が入り込んでることに。
自分たちで、その自然を植木鉢に見立ててお世話できるということに。
植木鉢の中で、自分たちの出来る範囲で、一粒に凝縮された種が開花するように。
ほんの限られた一区切りに、永遠の生を再現できること。何となく察しました。
もし、その限られた一区切りで、今までにないほど清純な箱庭を築き上げられたら
少しずつ、以前のようなお庭の広さが戻ってくる頃には、
もしかしたら過去に比類ない、もっと革新的で、素晴らしい故郷を創りあげられるかもしれない。
アナスタシアさん第4巻、創造の瞬間について語られました。
あの頃の創造主と同じような気持ちを感じながら、小さな自分たちの出来る範囲で。
自分たちの世界に根づいた、すべての存在に慈しみと愛情を込めて、その一つひとつ永遠の形を保ってほしいがための、相反する真逆の存在を見出し、お互いで均衡のバランスを取り合って、この小さな世界で永遠の循環を…蒼い発酵瓶を創りあげる。
いま眼の前にある。
2015/ 8/12 12:25
⇒ 玄米乳酸菌
その瓶が、今度は植木鉢に成る。
その中で、永遠に生きつづける。子どもたち。
子どもたちの世界は広がって、やがてベランダになり、小さな箱庭になる。
私たちはその頃、生きてるかな?
生きてる。想いは子どもたちに伝えられる。
一粒一粒に。種に。こんばんは。今は未だお休みの時間だね。
ただ、永遠の生に執着しています。
私にとって生きるって、一粒の想いが在り続けること。
この一粒の想いが、私たちの作品…が、形を変えて永遠に存続していきたいために
私たちの未来のあらゆる生命へ、楽園の記憶を。。
とんだとんだ(。◕ ∀ ◕。)ノ
話がとんだ。
発酵瓶の芸術は、少しずつ再現されていくのです。
次は、植木鉢の芸術です。瓶1本につき鉢1つです(。◕ ∀ ◕。)ノ
子供の頃、どんぐりは食べられるものだってどこかで聞いたことが在りました。
木の実を食べれるんだったら、周りにどんぐりの木たくさん生えたら良いなぁなんて。食べるものに困らないねって。
他にも「くるみ」だったり、「松の実」だったり、木苺だったり。
そういうのが自生して、皆が食べられるようになったら良いなぁって思っていました。
「木の実」その栄養価は、一年草の現代野菜や穀物の比ではない。
長期間の発酵によって、大豆が味噌となり、栄養価が段違いに増すように。
玄米と小豆とを炊き合わせ、3日3晩保温熟成させることで、栄養価が高まるように。
長年経て成長した大樹のエネルギーが、限りなく一粒に凝縮され、次世代の樹となるように…
実となり、種子として地面に落ちる…
木の実に秘められるのは、未来に生い茂る大きな樹のエネルギーそのもの。
私たちがそんな木の実を食べるということは、樹の未来を食べるということ。
野菜や穀物の未来とは、スケールが全く異なってくるんだ。
木の実を常食することで、おそらく今までにないほどの栄養価を得ることができるだろう。
っと、、、
前置きが長くなってしまいました(。0 _ 0。)ノ
冬至を超え、年度の新しくなった翌日
どんぐり名人さんのお話し会というのがありまして
たまたま行きつけのカフェで知り合ったお客さんを通して、急遽参加することになったのです。
「どんぐりは食べられる」…ことについて。
こんな体験記事を見せていただきました。
⇒ http://dazabura.exblog.jp/25059793/
記事の後半にありますね。
どんぐりには種類もあって(17種とかきいた)
中でも「マテバシィ」というものは癖がなく、甘みがあって美味しいそうです。
どんぐりの食べ方ですが、採ってすぐは殻を割るのが大変。
もち新鮮なのを食べるのも美味しいと思います!
一方、もう一つ考え方としては、採ったどんぐりはそのまま寝かせること(o _ o。)
寝かせて数ヶ月〜1年くらいで、自然乾燥で自然とヒビが入ってくる。食べるの楽です。
此の話を皆にすると、あ〜そうかも〜♪ って大合切(。◕ ∀ ◕。)ノ
どんぐり約半年寝かせ【ひるず亭にて】
種子の部分が自然と外れてきたら、ご飯を炊くように米や豆と炊きあわせて食べたり
少しローストして食べたり、もしくは生食もできるのかな?
夢が広がりますね.。.:*・゜
とにかく「木の実」に秘められた力を見直すことは
今後の生活のあり方を大きく変える革新的な発見のように思います。
どんぐりの種、少しずつ芽を出すのですよ(。◕ ∀ ◕。)ノ