今まではどうだったのか

前回の記事に引き続き
今まではどうだったのか…

これ、個人の体験談です。

 
強引に、自分の主張を推し通した時のこと。
結果は、確かに想定通りのものを得られた。

病が良くなった。或いは治せた。
一時的に安定した生活が出来るようになった。
好きな研究?に没頭できるようになった等。

 
その反動で、一旦孤立した。

 
一旦孤立して、気の合う仲間が新しく出来た。

 

もちろん、自分を押し通した結果であるから
それまで気を使って周りと合わせていたのをほぼ辞めたわけだから。
まぁ、関わりあう人たちが自ずと変わったんですよね。

 
で、気の合う人たちと知り合いの環を広げつつ。
小さな世界から一歩踏み出て、自分の好きなことに没頭する人生を歩みだした…っと(‘ ‘*)

 

まぁ言うても未だマイナー路線ですな、現状では世間の風潮と一歩距離を置いた関係。
それでも、自分の好きなように生きれるのだったら、それでいいと思っていた。

 
 

そうして他者との関わりを必要以上に避けるようになりつつも。
でも否応なしに全国民に関わってくるアレ。
いつしか、それらに対し少なからず否定の見解を添えるようになってしまった。

労働の在り方とか。
税金・保険のこととか。
教育のあり方とか、
医療問題とか
国とかいろいろ

まぁ、2年前くらいの過去記事に書いたようなの。邪魔やわ〜っって感情。

 

こういうの、上手く関わっていかんとアカンのやろうけど。
適切な順序をすっ飛ばして主張を押し通そうとすると
確かに望みの結果は早くに得られるが、比べて基盤が脆いな。
強引さは、どうしても「それ以外」に対して「否定」の感情が入ってしまうから。
否定の感情は、否定で帰ってくる。もしくは双方に余計なストレスがかかる。

マズってるようだ。

 

過去、ついてきてくれた人が居たのはスゴイ事だったのだな。無理させたなぁ。。
今回、他人に無理させた反動。やったことが返ってきてるようにも思うなぁ。

 
「そこにあるものは、あなたには必要なくても私にとっては必要なモノ。私にとって必要なモノまであなたは否定するの?」

物事は、段階的に考える必要があると教わります。

 
最後に水をかぶると肌キレイになるし暖かく感じる!なんて
普段お湯しか使わない場合は、抵抗あるからね。お湯は必要だよね。
お湯をかけて、水は段階的に、足先から、ひざ、こし、背中、そして頭、胸。
負担なく実行するにしても、順番が在る。

 

 

より広い視野をもって、段階を踏まえて、少しずつアプローチしてくのが望ましいんだろうな。

一気に田舎行くのも手だったんだが。
確かに、今までの繋がりを殆ど疎遠にしてしまうのは。
絶妙に微妙ともとれるよな。なんとも言えない。

 
まぁ故郷を愛する気持ちが強いってのもいいものだなぁ。
そういう気持ちを知ってから、生まれ親しんだ都会で
どうやって、理想の未来を叶えていくか。考えていく決心がついた。

 
この道は生きてる間に、夢を全部実現することは厳しい気がする。
それでも、生まれ親しんだ場所なら、志半ばにして骨を埋める覚悟はできる。
いずれも生業を通して、故郷の人たちと関わりあう中で、私たちの望みを形にしていきたい。

 
共感してくれた誰かが引き継いでくれる。


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思いつきで動く前に

思いつきで動いてはよく失敗する人の注意点。

もちろん、思いつきで動いて上手く行ってる(?)って思う人はそれでいいと思うが
まぁ、うちもそう思ってたんだけどね。だいたい周りは振り回されるわけだから、ちょっとメモをば。

 

思いつきで動く、感情のままにうごく。
これは、意義のある人生を送る秘訣でも在る。
だから基本スタンスはコレでいい。

しかし、実は落とし穴があるということに気づいた。
「物事の順序」に関してだ。

前記事参照 ⇒ ビジョンと行動の優先順位

 

「思いつき」というのは行動に適切な「時系列」がバラバラな事がある。
思いついた事柄を為すための、段階というものを考慮に入れなければならない。
思いつくままに動く、感情のままにいきなり動くのは、
この適切な順序を誤りやすいため、一旦立ち止まる必要が出てくる。

 

例えば、心の中に何か成し遂げたい想いが浮かんだとする。
その実現には、一見、思い浮かんだことだけに集中すれば良いように思える。
しかし、その過程の奥底にある、様々な要因を正しくクリアにしないかぎり、空振りに終わることが多い。
徒労に終わるばかりか、逆に迷惑を被ることも在る。

つまり思いつきで動く前に、よくよく視る必要が出てくるということ。

 

これも、段階が在るんだ。
成したい結果を引き出すのに何が必要で、現状にどんな問題があり、どう適切に対処していくか。

思いつきの原動力を、上手く行動に映すための、一旦立ち止まって視る重要性。


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ビジョンと、行動の優先順位

ビジョンを描く時、物事を為す順番というのが在る。
正しい順番で段階を踏んでいくから、自然な流れで実現に近づける。

新しい未来を描くとする。
それは今ここで、何もない白紙の状態から成せられるものじゃない。
過去の、従来の形から、パズルのように、周りの色々な影響や懸念を理解しながら解き進める必要が在る。

自分の主張を無理やり押し通そうとするのは、
知恵の輪が解けないからと癇癪を起こす子供に似ているかもしれない。
自分の主張だけでは、どうしようもないものはどうしようもないと、気づかされる。

 
ここで必要になってくるのが「よく視る」こと
周りの状況や、考え方というのを理解すること。
その為に「場」になじむ…その「場」の一般を装って、周囲に溶けこむことも大切だと教わる。
そうすれば、此の場にどのようなアプローチが適切なのか、少しずつ視えてくるようになる。

外から来た人、例えば私がね。
いきなり都会に「木」を持ち込もうとしても、
木が都会の土に馴染まなければ意味が無いんだ。
下地を作るには、まずハーブから。そして花、野菜、低木、果樹。そして大樹…
その場においての正しい順番、正しい段階というものを、想定しなければならない。

 
 

それから「根拠」についても挙げる必要がある。
いくら「樹が必要だ庭が必要だ、これから皆が生き延びるのに必要なんだ」と声を張り上げたところで当人たちには「根拠」が見えない。重要性に気づかない。
あと実現、限り無く不可能なんでスルーされる。

この根拠というのが自分の「言葉」で説明しようとしてもどうにも根拠として伝わらず
当人たちの「言葉」に置き換えようとすれば途端に上手く話せなくなる。

だからこう言った。
「体感」することで分かる…と。
「体感」こそが確信になる。と。

それで伝わるなら、これほど簡単なことはないよね(‘ ‘*)
が、あまりに常識とかけ離れすぎてる場合「体感」することでどうなってしまうか気が気でなく、変化に対する抵抗のほうが先に生ずる。

 

「その場」の人にも納得させられる根拠を、自分の中に築く必要が出てくるわけだ。
科学的な論文?統計?個人の体験談?…必要な限りかな…
これも、その場の一般的な考えに触れることで、どういった情報ソースが適切か、よく分かるようになるのだろう。

それら全てすっ飛ばして「完成形」のばかり口にするから
周りからは「夢見がち」「不思議ちゃん?」って思われるのだろう(‘ ‘*)
或いは、突拍子もなさすぎて笑い話(。◕ ∀ ◕。)ノになるのだろう。

キャラが立ってるね(‘ ‘*)

さて。。。
うちが口ばかりで、結局何も出来ていないのは、ここんとこが原因なのか。

 

物事を為す順番、優先順位
それに纏わる根拠。

「理想」を見据えつつも、段階を踏んで
「目先」から追っていく必要がある。と学んだメモ(o _ o。)

姉妹サイトにこんなブログ記事も書きました
リトルノアに学ぶ、物事の順序


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人が壊れるとき

人が壊れるとき。

それは、自分を歪めてまで頑張ったことが報われない時。
 

とあるマザーは、世界のために平和のために家族のために「〜しなさい」と仕切りに説いていたが、それ、自分の本心からやりたいことでない限り、心を歪めてまで、責務を全うせねばならんよな。がんばって、心に多大な負担を強いねばならぬな。おいおい・・・

自分が無理しても、周りが本心から喜んでくれるならいいよ。
報われる頑張りというのは、心を代償にしてまでやった甲斐があったというもの。
自分の人生の努力が無駄にならずにすんだ、ということ。

でも実際は、してもらって当たり前、それをやって当たり前。
そんな風潮あるよね。勉強ってそうだったし、仕事だってそうだし、家事も…介護も…看護も…

自分を歪めてまで、頑張って、勉強して、働いて、でも報われん…
私はこんなに頑張ってるのに?!未だ足りないの?

 

てさ。。。

 
賽の河原よのぅ(‘ ‘*)
この世は地獄じゃ。

 

 

 

いやいや、頑張りーのはそーじゃないんだよ。
いくら独りよがりに頑張ったって、無駄に終わるなら気づくべきなのだ。
自分が消耗するだけ、何もせん方がマシなのじゃ。

何もせん! それでどうなるか? 双方しっかり確認することが重要だ!

 

すると自分を曲げてまでの心遣い、その責務こそ問題だったかもしれないわけ。
相手に響かない以上、努力の方向性じたいが間違ってる可能性あるのね。

問題の原因は自身にもあり。

 
これ、自分で気づくしか無いぞ。
病む人、気づくまで楽にならんぞ?

 

 

先日、こんなことがあった。
 

私は電子レンジを家で使わない。
理由 ⇒ 電子レンジは害があるの?

 
が、一緒に暮らす予定の恋人が必要だと言う。オーブンレンジがいいな♪
で、うちが買わねばならんとかの流れ…(‘ ‘*)

  
マイクロ波の出るの置きたくなかったんで、なんかすごそうな「グランシェフ」というの買いました。ちょーお高いよ。でもこーするしかないじゃねーか。。。と、当時は考えてた。
相手に相談せず「独断」でだ。独りよがりもいいとこさ(o _ o。)

 
それが、初期不良、交換!に続き、2回めは取り出した途端に全面のガラス扉が割れる始末。修理交換の費用も半端ない。。。。おいおい、。。。。

で、今んトコ、無くてもやってイケてる。まぁ、料理は今の設備でできるしね(‘ ‘*)

 

。。。。

あれ、要るんか????

 
って、ほら。
結局、自分一人暴走して、自分一人被害被っとるわけ。

大枚はたいて、全ては大切な人のことを想って買ったのが
なんか、出鼻をくじかれるはガラスは割れるは、病院に行く羽目になるは、それについてどうしようか相談しようにも別件で塞ぎこまれるは….

苦い思い出しか残ってない。。。
で、今は台所スペースの圧迫に死かなってない。

「邪魔」

 
正直、もう手元に置きたくねーんだよな。。。

 

もし、自分で本心から欲しいと思って、購入したなら。
修理して、置いておいただろうが。。。

相手のために、と自分勝手に奮発して、それで報われん、何にもなってないとかさ。
むしろ、今邪魔にしかなってないとかさ。

お金と時間とエネルギーと愛情のかけちがいで無駄多すぎ。

 

居たたまれない気持ちになりますわな(‘ ‘*)

 

これ、かなり反省した。
うちは、努力の方向性を間違えてたということだ。

最初、初期不良さえ怒らなければ…
2回目、ガラスさえ割れなければ…

過程としては何とも言えるけど、
あれ、自分の意を犠牲にして、それでも報われん印が、あれに付いた以上。。。

返さねばなるまい。
なかったコトにする。
そうすれば、やり直せるからな。

相当のロスは出るが、それでも現状は変えられる!
やりなおす勇気は必要だな。そこが全てだな。
 

がんばりが報われないとは哀しいものだね。
結果を見れば、そのがんばりは無いも同然だったのだ。
もう、がんばった事自体を無かったことにした方がいい。気が楽になる。
がんばって報われなかった結果を返品して、まず何もしないことだと結論。

無理してきた努力〜〜〜、すべてーーー、なかったことにー^^ー

 
そう、頑張りの方向性が、間違っていた。
それを素直に認めて、また1からやり直せばいい。

 
あとの事は話しあおう。
何かしようとする前に、話し合いこそ大切だった。

高い授業料だわ…(‘ ‘*)
 

 

ちな自分の為に本心から好きでやってることは
どんだけつまずこうがどんだけ失敗しようが、全部正常に受け入れられるんだよな。
だから、本心から思うままに動けてたら、なーんも問題ないんだよな。


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本当に正論?

外部にとって正論に映るも。

何が正しくて何が間違ってるか。
判断するのは自分自身。

スタイル、一本筋を貫いとる人にとって。
思うままに生きれてるなら。
何言われようと、今の基準で問題ない。

その今を基準に、
それ取り入れたら素晴らしいか
逆にリソースが無駄になるか

自分の感性で判断すると、取捨選択が明確だったりする。
自分の生き方は、自分で決める。

 

その結果、起こることの全てに責任が持てるようになる。


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