ビジョンと、行動の優先順位

ビジョンを描く時、物事を為す順番というのが在る。
正しい順番で段階を踏んでいくから、自然な流れで実現に近づける。

新しい未来を描くとする。
それは今ここで、何もない白紙の状態から成せられるものじゃない。
過去の、従来の形から、パズルのように、周りの色々な影響や懸念を理解しながら解き進める必要が在る。

自分の主張を無理やり押し通そうとするのは、
知恵の輪が解けないからと癇癪を起こす子供に似ているかもしれない。
自分の主張だけでは、どうしようもないものはどうしようもないと、気づかされる。

 
ここで必要になってくるのが「よく視る」こと
周りの状況や、考え方というのを理解すること。
その為に「場」になじむ…その「場」の一般を装って、周囲に溶けこむことも大切だと教わる。
そうすれば、此の場にどのようなアプローチが適切なのか、少しずつ視えてくるようになる。

外から来た人、例えば私がね。
いきなり都会に「木」を持ち込もうとしても、
木が都会の土に馴染まなければ意味が無いんだ。
下地を作るには、まずハーブから。そして花、野菜、低木、果樹。そして大樹…
その場においての正しい順番、正しい段階というものを、想定しなければならない。

 
 

それから「根拠」についても挙げる必要がある。
いくら「樹が必要だ庭が必要だ、これから皆が生き延びるのに必要なんだ」と声を張り上げたところで当人たちには「根拠」が見えない。重要性に気づかない。
あと実現、限り無く不可能なんでスルーされる。

この根拠というのが自分の「言葉」で説明しようとしてもどうにも根拠として伝わらず
当人たちの「言葉」に置き換えようとすれば途端に上手く話せなくなる。

だからこう言った。
「体感」することで分かる…と。
「体感」こそが確信になる。と。

それで伝わるなら、これほど簡単なことはないよね(‘ ‘*)
が、あまりに常識とかけ離れすぎてる場合「体感」することでどうなってしまうか気が気でなく、変化に対する抵抗のほうが先に生ずる。

 

「その場」の人にも納得させられる根拠を、自分の中に築く必要が出てくるわけだ。
科学的な論文?統計?個人の体験談?…必要な限りかな…
これも、その場の一般的な考えに触れることで、どういった情報ソースが適切か、よく分かるようになるのだろう。

それら全てすっ飛ばして「完成形」のばかり口にするから
周りからは「夢見がち」「不思議ちゃん?」って思われるのだろう(‘ ‘*)
或いは、突拍子もなさすぎて笑い話(。◕ ∀ ◕。)ノになるのだろう。

キャラが立ってるね(‘ ‘*)

さて。。。
うちが口ばかりで、結局何も出来ていないのは、ここんとこが原因なのか。

 

物事を為す順番、優先順位
それに纏わる根拠。

「理想」を見据えつつも、段階を踏んで
「目先」から追っていく必要がある。と学んだメモ(o _ o。)

姉妹サイトにこんなブログ記事も書きました
リトルノアに学ぶ、物事の順序

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