故郷の土、周りの大人

最初、田舎に移り住もうかと想ってた。
自分のやりたいことが、故郷の土ではかなり無理があるから。

。。。

広大な土地、樹林、霧、その中でひっそりと暮らす生活。

 
この中でこそ、私のやりたいことが叶う。
大地という地盤があり、樹林が大地を覆う時。
食べ物は自然になって、活きた水は自然に還ってきて。
初めて「何もしなくても生きられる環境」を実現できる。

ようやっと趣味の曲作りや物語の執筆だけに心を入れることが出来る。
大地の記憶を食べ物を通して授かり、過去の記憶をそのまま読み取れるようになる。

この中でこそ、生きた創造性の祈りをイメージに見出だせる…

 

今すぐそれを叶えるには、自由を制限しまくる「故郷」を捨て去らなければならなかった。
親を捨て、これまでの知人友人を捨て、一人こもる。誰も居ないところに。
その中で、ひっそりと樹と語り合いながら、生きる。

独自の視点で。もっともっと、ぶっとんだ思考で。
自分一人だけの楽園を築くことが出来る。

多くの人が、故郷を捨てたいでしょう?

都会に棲んでた人は田舎に憧れ
田舎に棲んでた人は都会に憧れる。
家を飛び出したいと思う。誰も知らない所に行きたいと願う。

その本当の原因は、こういった所にあると考える。

棲む家は自分たちで築くもの

 
 

ただ、故郷を捨てて自分だけの世界を築いても、一体何の意味があるんだろう?
と、考え改めるようになった。繋がりを断ってしまったら、自分一人になったら
自分一人の一生分しか、それが存在できなくなる。
誰の目にも存在しないセカイになってしまう。

孤独では、永遠性がない。
肉体が死を迎えた後、守り手の居ない樹林、また土地が好き勝手にされてしまうじゃないか…
本当に人との繋がりを断ってしまったら、人間社会に私は存在しなくなる。
また人間社会の闇に飲まれ、樹を削られ、死ぬ。自分の生き様が無かったコトにされる。

「人間ども目」

 
そんな視点で、生きなければ、ならなくなる。

 

 
なぜ悪態をつくか? 呪詛を生むか?
いい大人が理解しないからだ。

子どもの訴えを、赤ん坊の嘆きを、動物たちの想いを、植物たちの存在を、微生物たち、菌の存在を、そして大きな大きな樹の恩恵を
あいつら、視ようとしない…のか?

平気で、土を埋め立ててコンクリ詰めするでしょ?
教育、一方的なしつけ、農業、農薬、除草、殺虫剤、畜産、除菌、薬剤投入。
全て似たようなもの、全て「想い」というものを無視している。生命の尊さを一切無視している。魂ある者、意志ある者を黙らせ、まるでモノのように、システムの奴隷として生きよ!と
 

あれは暴力。死に勝る大罪。
殺人と同等に罪深い。

それをする意味、分かってやってるのかな?
大人、人の親、農家さん、土木業者さん。役所。国。政治家。業者。

「やったことは還る」

 
今度はされる側に、なるのだよ。
こんなふうに。

食肉がもたらす惨劇・絶望感

 
 
人間の常識的な生き方が、知らず知らずに苦しみをもたらし続ける。

この世の常識が全てだと思って、社会の都合のいい部分だけ見て、気に入らない部分を無理やり強制しようとしてはならない。
目を背けたくなるような部分にこそ、本当の生き方…真実の姿を明らかにする鍵がある。

節分の話

「常識」と云う名で「大切な想い」を殺し、半強制的に示してきた大人たちの、あれらへの、怒りと、殺意を、凝縮して、
身近な大人へ。殺意を込めて。死ね。
そんな感情を、私たちの存在は、内包していた。
後に、その大人たちは死に絶え、最初からなかったコトにされるんだが…

 

だが、その場に遺された子どもたち。常識に生きるために、苦しみを抑えこむしか許されなかったあの子。
またそういった固定観念に囚われた子どもたちが、大人になってしまったら
悲劇は終わらない…

 

私一人、想いを叶えても意味が無い。
子どもたち。子どもたちを守らないと…

だから、故郷を捨てることは出来ないんだと。

 

 
それに身近な大人は理解する。

賽は投げるものじゃなかった。
私が大人気なかった・・・
もう、無力な赤ん坊じゃないんだ。
ちゃんと言葉で伝えることが出来る。

私は私の生き様を、ただ理解して欲しかっただけ。
子どもも赤ちゃんも動物も植物も土も微生物も菌も、その想いは一緒。 

想いを叶えてあげたなら、この世の真実のひと欠片が、少しずつ見えてくるようになる。

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