ゼロにする暮らし

今の快適さに辿り着くまで。

退職、婚約破棄、家具家電を処分し、なけなしの貯金殆どを土地代に宛てた。誰の宛も無い、一人の環境へ移った。

最低限の仕事道具。
パソコンスマホの鞄を持って、自転車で行き来する毎日。

畑仕事は、鎌と鍬があればいい。

必要経費ほぼゼロの仕事+暮らしである。
これほどの清々しい暮らしを、どうしてもっと早くに気づかなかったのだろう…

過去を振り返りながら考えてみた。

そうか…便利な都会にいると、知らないうちに働かねばならない強迫観念に駆られるか。

都会は、そこに居るだけでお金が掛かるように作られてる。

食費は外食一つで嵩張るし
家賃は桁違いに高い
水道光熱費は半ば強制だろ?
移動にはバス電車
通勤時間に交通費。
おまけに年金保険料
日用品や雑費なんてあげたらキリがない…

ただ一人分の生きる費用だけで、とんでもない金額を要する。
一見便利なのは、それだけ働いて稼がなくてはならないことの証明だ。

文明社会では、何もしなければマイナスの負債ばかりだ。何もしないで穀潰しに見られることヘの恐れや罪悪感が、現代人の心を荒立たせるな。うへぇ、周りの目こえー!

で、もしも将来稼げなくなったら??の不安もあり、仕事や財産、多くの所有物を手放せなくなる。

現代人は、そうやって様々な制約を背負って生きてる感覚。保険とか契約なぁ…

最も悪影響は、稼ぎが無くなることへの不安から発せられる行動や業務。或いは取り決め。大概ロクなことがねーぞ。

最新家電は数年後に粗大ゴミ。買い替え必須かよ…おいおい。
頑張ったお父さん、老いたら介護老人ね。邪魔者扱い仕方なし。そりゃ無理が祟るでしょうに。年金制度は自分らの首締めるだけや。
無用な老人病人を量産する世の中じゃ、働き手いくらあっても足らん。
死に経済を無理クリ回すのカね?

ぁあ、お金ってすげー。
ひと昔前から、どのように経済が発展したか???おさらいだな。あたかもその制度や商品が必要であるかのように見せ、一般人の消費活動を拡大するだけのアレな。

何もない時代は、それで良かったかもしれんがな。

沢山仕事をしなければ生きていけない世の中になったなぁ、よう限界だな。今では生活必需品や保険制度、介護老人病人が多すぎだ。

そんで一人一人に十分な稼ぎのなくちゃ!という観念から、余計な仕事が次々生まれ、お金を数えるだけの人とか、余計な制度を考えるだけの人とか。突っ立ってるだけの人とか。

人々はそういった任務なしでは生きられない弱者になってた…

で、ぼちぼち単純作業はロボットに取られるだろ?もう奴隷は用済みだな。経済の奴隷では、今後話にならんな。

自由人だった記憶は遥か彼方か。ずいぶん昔の話だろうけど。あ、今もあるな。

里に帰る、周りに木がいっぱい。
夏快適、清々しい。何もいらん。

都会は、コンクリート舗装した、真夏の日差しでとんでもない暑さとなっていた。冷房が必須であった…

可笑しな。
素晴らしい発案者は、冷房装置を売るために、都会(人々の住む場所)をコンクリート舗装で塗りつぶしたんだろうか…

という話が冗談に映らなくなる。

マイナスの地場が、無駄を産み出し続ける(病もな)。この発想から、抜け出さねばならない。

何もしなくてもよい!
という世界をひと目見るだけで、よろしい。

自然は、そのままで人々を養ってくれる、そのように接することで。
年々実る果樹、ハーブ、木の実。虫や動物たち。鶏さんの卵、山羊のミルク、雨水(‘ ‘*)

自然に糧の成る地場を、自らに編むことができる。

制約解かれる!時間いくらでも開ける!
なんと解放的な未来が拡がっていくことだろう(‘ ‘*)

お金はな、必需品のリストからご退場だ。ありゃオモチャ枠で十分やな。機械も車も趣味枠でええよ。

単に視点の問題だわ。都会は仕事がないと生きていけない。から一転。
自然という場は、心を交えることでプラスの地場にもマイナスの地場にもなる。

ヒントになったのは自然農(何もしないで実りとなる)という概念だけど、具体的にそんなものは存在しなくて。

農法その他の物の考え方が、種まきと収穫、或いは人生の結果に現れているだけのこと。

ま、どうあれ。自分の世界観からマイナス(生活にかかる代償とか、責務とか)を精算されば問題ないんや。経費限りなくゼロ。仕事も殆ど無くなるのな。残った余力は、それぞれ好きなよ~にな。

全てが上手いこと調和してる。
そこに信頼を預けるだけとか。
物事がよー見えるよ~になった。

自分自身、これからの人生を心から楽しめるのな。

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