引寄せの法則の疑問点

せっかくだし、思ったことはメモしておきます。
引寄せの法則で不思議に思ったのが、

「欲しい」

と願ったものが来ないということ。

なぜ?

 

とある解説書には「欲しい」≒「今手元にないことを認識している」から、現実にやってこない。とか何とか書いてましたが、一見どうにもしっくり来なかったのですよ。

お金欲しい、土地欲しい。

 
確か、以前の記事でそういうこと書いてました。
今金銭面でどうかというと、最悪な時より問題はなくなったが
望みを叶えるほどではないのですよねぇ。

 

「欲しい」と安直に願うばかりではダメなのかもしれない。

もう一歩踏み込んでみました。
それが手に入ったらどうするのか。

 
お金が手に入ったら、土地を買う。
土地が手に入ったら、植物を育てる。

自給自足したい。

自給自足できたらどうなるのか、何があっても最低限生き延びれる。
自分の力で生き続けたい。。。

つまり、全部。自立のためなんですねぇ。
土地神さんの力を借りて、植物育てて、食べ物分けてもらう。

 
「植物を育てて、食べ物を分けてもらう。それで生きる」

 
が最終目標だとすると、今出来る事はお金を稼ぐこと?
から、なんとなく観点がずれてくるのですね。

此処に書いた ⇒ 植木鉢は優しい揺りかご

 
植木鉢のお話。

実は、現時点では植木鉢で育てるのが一番うまくいったのでした。
いきなり土地を耕すのではなく、植木鉢から。
マンションのベランダで、プランターで育てるのが第1歩なんだなぁって(‘ ‘*)

 

たぶん「欲しい」の感情は
今手元にあるもので願いを実現できることを見逃しているということ。
引寄せの法則で仰ってるのも、そういうことなのでしょう。

植木鉢から学んだことは大きかったです。

 

欲しい、は、本当に必要な状況でやってくるとも書かれてある。
微妙にやる気がでないのは、もっと簡単でシンプルな方法を見逃してるからだ。

本当にそれが必要なとき、歯車が合わさったみたいに
どうにかして手元に引き寄せたいと心から願うのだと感じる。
その時の原動力は凄まじいものだと、過去の体験談を思い返してみた。

 
欲。
 
深い欲。

 

何かが渦巻き始める。


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引寄せの法則から学ぶ

なんか、数ヶ月前くらいから他のことどーでも良くなりだして
自分本位で生きてりゃいいかな?ってなりかけてた。

人のために動いて何になるのだ??
そんな感覚。

 

しかし、これは言葉の綾でした。

 
 
引寄せの法則から学んだ「外に見えるモノが自分自身の内面を表してる」とすれば
他がどーでもいい=自分がどーでもいいになりかけてるのだと。

 
自分は大切。
だからこそ、自分に関わる他のものも大切。

 
自分本意に生きることは確かに大事で。
その為に、どういう環境を築いていくか。

どんな場所に行っても、誰かがいます。何かが居ます。
その存在たちと心地よい信頼を結ぶのに、思いやりの気持ちを忘れてはならないのだと気づく。

 

どうやら他のものがどーでもよくなるほど、自分がどーでもよくなっていたらしい。
(人間の嫌な部分だけ目について、何もかも嫌になってたみたい)

この世は理不尽だろうか?
自分の視点が理不尽だっただけか。

 

そーゆーのが、知らない内に外観にも現れていたのだと思います。
気づかせてくれたのは、そんな時にも変わらず接してくれた人たちでした。

 

ありがとう(‘ ‘*)


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引き寄せの法則について考えてみる

人は見たい部分を見るようにできてると言われてます。
現実に見えてる部分は、自分の在り方の投影なのだとか。

見たいものを見る。

 

というのは、心のベクトルが心地いい、楽しい、喜びに向いてる時。
心地いいだったり、楽しいだったり、喜びに満ちた現実が目に映るようになる。

 
反対に、心のベクトルが、嫌だ、苦しい、足りない、持ってない。に向いてる時。
外の世界の嫌な部分、苦い部分、どうしようもない部分しか目に映らなくなってしまう。

 

それが、引寄せの法則の大まかなトコだと考えてみた。

他を変えようとするんじゃないよ、というのは。
他はどうにもならないもので、他を変えようとするとき、それは他の嫌な部分を見ようとしているからそうなってしまうのだと。言ってる気がしました。

 

逆に自分を変えるというのは、外の現実を有りのままに受け止め、そこから自分の心のベクトルを変えることで、目の前の現実に見えるものがガラッと変わる。とも感じました。

 

現実を見て、自分の心のあり方を問う。
そこに改善点が見つかるかもしれない。

 

 
 

どうしようもないと感じるとき、すっごく囚われてる感覚が押し寄せるが
確かに終ってみると、そんなものどーでもいいのだと(‘ ‘*) 我に返る時がくる。


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現状を可視化すると変われそうですね

Facebookで投稿されてたゴミのお話。

http://temita.jp/picture/3599/

 

可視化。わかりやすい(‘ ‘*)

自分の場合はどうだろう?と見なおしてみる。
いらん書類、どっかの広告紙、そんなんずさーーって捨てるばかり。
可視化すると、生活の改めるところ見つけやすい感じです。

 
・ゴミが出るモノは買わない

 
コレに尽きますね。
それで十分やっていけると思います。

 
 
上のリンク先は演出兼ねてたり編集のフィルターが入ってたりするので。他人のことはノータッチで。
 

人のオーラ見える人って、こういうのも見えそうですよね〜。
姿かっこう佇まいみて、その人の生き方が産みだしたモノとか、うっすらと…。

自分から出るモノは、全部自分の体の一部。

自分から出たものが、環境にどのような影響を及ぼすか。
そこまで意識する必要があることを学ぶ。

 
全ては、自分自身のために。


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地震・雷・火事・オヤジ

この世で最も恐れるものの代表。

むかしむかし、もっともっと小さかった頃。
世の中は怖いものだらけであると思っていた。

 

まず戦争。そんな時代に死ぬのは嫌だ。
次に地震、あんな突然にたくさんの人が死ぬなんて。
病気・ガン。誰がいつなるか分からない。怖い。

オヤジは知らんが…
 

怖いものが世の中にはたくさんあった。
いつ何があるか分からない。だから用心するに越したことはない…

と。

 

でも、どーだろう。

それらの危険は突然やってくるものと思ってたのに。
実は、自分たちで引き起こしてるものでしかなかったのだ。と。

後から知った時。どーだろう。

 

戦争は、昔は無かった。
地震は、昔は被害が少なかった。
病気は、昔は存在しなかった。

 
だれが危険を作り出していたのだろうと… 今になって思います。

 
用心するに越したことはない。この言葉が、一歩間違えるとズレる感じ。
物事の起こる仕組みさえ紐解けば、予めそれを回避することができる。

 
それを知ろうともせず検診とか保険とか、
自分から危険にぶち当たりに行ってるようなものなのだろう。
と、当時の感覚とのズレを懐かしく思うのでした。

 

先日、恩師の方にばったり遭遇しました。こんなことを仰った。

「現実は心の投影だからね」

 

自分が見ようとしてるものが、現実に現れてるからね。
悪い部分、欠点にばかり目を向けてると、そういう現実が嫌でも目に映る用になるからね。
逆に、自分にとって素晴らしいところに焦点を宛てていけば、そういった素晴らしいモノに囲まれた人生を送れるからね。

 

 

危険なモノ、恐れは、存在しない。自分で作り出している。ということの裏付けでした。
歴史を紐解いていけば、そんなものはかつて存在しなかったと証明できてしまう。

あとは、自分がどのような生き方を選ぶか。それだけなのでしょう(o _ o。)

 

恐怖で行動を選択するのではなく、探究心で行動を選択していくのですよ♪


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