棲む家は自分で築くもの

家の設計は、外野任せにするものじゃ無いんだ。
そうすると、他人の設計したとおりに暮らさねばならなくなるから。

以前、マンションのことを書いたけれど
都会の生活にかかる代償

 
この例は、未だマシな方かもしれない。
少なくとも、数ある物件の中から多少は選択することができるから。

 

一戸建てを1から建てる時が問題。

絶対に心しておく事がある。
「棲む家は、自分たちで築くもの」だということを。
 

自分たちの手で、部屋数とか間取りとか設計するんだ。
自分たちの暮らしたい日々の生活をイメージしながら…
暮らしやすいように、好きなように設計していくって当然のこと。

生活基盤の家は、自分たちで創りあげるもの。
 

設計なんて簡単かんたん。
難しいことは何一つ要らない。

例えば、うちの場合は6畳間が一つあればイイ。
(残りの区画は、広大な庭でw)

イメージモデルとしてはこういうの。
自らの手で生活の場を築く

 
もちろん、これだと彼女から壮大なツッコミを入れられるのでw
住まいの設計は、彼女(と未来の子どもたち)の要望通りやってくと(笑)

うむ、たぶんすんなり作れる。
ライフラインも簡単に確保できる。
 

うちには、広大な庭があれば十分(‘ ‘*)
(ここは自然任せ、楽だし)

 
 
で、家を実際に建てるのも自分たちでが望ましい(ある程度、助けも借りるけど)。
殆どを自分たちの創れる範囲でやれば、何かあったときも直ぐに対応できるから。
大掛かりな下水道工事や配線工事とか、定期メンテとか、本当は必要ないんだ。
 

大掛かりな工事を必要とするような家が今は乱立してるが、実に異常なこと。
これ、自分たちでは暮らしを自由にコントロール出来ない!という手厳しい思い込みを生み出しかねない。

その結果、建築費用は食うわ修繕できん箇所が出てくるわ、維持費は掛かるわ…老朽化は進むわ…
そんな負債を、さも当然のことのように受け入れねばならぬわ…いい事一つもない。
特に、将来的に子どもが家を引き継ぐ時に、
設計の作り変えが出来ない!という部分が致命的なんだ。 
 
 
子どもたちの自由が効かない家に、未来はない…家出せざるを得ないんだ。
その分たくさんの新しい家が必要になるが、これまた設計が固定されちゃうと、その後のつぶしが利かなくなる。まるで墓石だ。
どんどん土地がオンボロ建造物に埋め尽くされ、空き家だらけになる。というダメダメな流れが視える。

今、家が空き家だらけになってるのは…
一般的な家の概念が、子どもたちの引き継げない(寧ろ負債的な)創りになってることの現れ。

 

そうじゃない。
 
両親の想いを込めて創った家があり、
その後、子どもたちが自由に創り変えられる設計こそが、本当の家。

そのためにも、棲む家は自分たちで築き上げるのが一番なんだ。

 

やってみれば簡単なことだよ〜ん(‘ ‘*)


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魂は「想い」で出来ている

魂は「想い」で出来ている

 
大人も子どもも男も女も。
動物も虫も植物も木も石も。

全てに魂に想いがある。
全ての魂が平等で、全ての存在価値は等しい。

何物も支配できない、矯正できない。
自分の想いは、自分だけが自由にできる。
内から湧き上がる想いのままに…

それが生の喜び!

 
想いのままに自由に生きるということ。
深層意識まで見れば、それは「皆」の幸せの形にも繋がっている。
だからこそ、自身の想いを大切にするんだ。
 
それぞれの想いが現実を成そうとして、魂たちが響きあい、集い、助け合う姿が見れる。
自由なキャンパスの中で、自らの現実は創られる。

⇒ 人間の魂を拡張した捉え方

 
 

さて現代社会、「魂の自由」を束縛する色んな規則や教育や常識が、社会秩序?を盾に蔓延りまくってるけど。

そろそろ気づくべきだよ。

 
どうしてそれで、自らの魂が苦しんでるのか。
自分で「足かせ」を生み出してるからじゃないか!

とね。
 
 
全部幻影。
一人芝居にしかならない。

 
自らの嘆き悲しみは、自分だけのものじゃないよ。
社会がもたらす苦しみを、本当は全て投げ捨ててしまいたいのに
家族や大切な人を想って、正しく(?)生きようと無理してる。
そんなとこから生まれている!!

社会の苦しみを肩代わりさせられてる!!!
 

止めてくれ! 肩代わりなんてする必要ない!
自分が苦しい思いをすれば丸く収まる!なんて考えが一番まずい。

その自己犠牲の精神が、子どもたちに教育という形で受け継がれ、子どもたちをさらに苦しめていた。負債どんどん膨れ上がってる。我慢もバカらしくなるくらいにね。

 

いい加減、自由になりなよ… 全部思い込みだ。
社会が云う常識や正しさが自由を束縛してるなら、それらが全部思い込みだ。
そんなものは存在しない! ぶち壊しにして構わない!!
 
 
苦しみは、あなたの代で終わらせるんだ!!
次の世代に肩代わりなんて、絶対にあってはならない。

 
 
俺が ⇒「親」死ねって言ったのはそういった理由。
誤ちの中でのうのうと暮らしてる親、ね。魂の声に耳を傾けず。。。
子どもの行動の意味を知ろうともせず、理解せんね。

子どもを自分だけの子だと勘違いしてはならん。子には、多くの魂の想いが凝縮されてる。
一つ一つの行動に、重要な意味が隠される。よく理解しなければならない!

 
どんなに親は良かれと思っても。子どもの魂(想い)を理解せずに割り込めば、
意図ズレまくり、独りよがり、ただの独善。逆にめーわく!!!!
 
まぁ「親」っていうのは「立場」を指して言ってるわけだが。
魂に優劣なんてない。本当は親も子も、生命として対等な関係なんだが。
正しくあろうなんて思わなくてイイ。本音と本音で語り合うことに意味がある。

 
 
だが、何を勘違いしたのか、教育だのしつけだの…
過去さんざん支配的な体制をとってくれたものだね?
魂の自由をわざわざ束縛とか。苦しみしかもたらさん。死に勝る大罪だな。
まぁ、親から子へ代々受け継がれる呪いみたいなもんだから
大人たちだって加害者も被害者も同様なんだが…

 
最初は、小さな負債だったんだよ。取るに足らない…ね。
ほんの限られた地域での、些細な決まり事だったんだよ。
 
その親がこの世を去り、ルールだけが残った。
子の代に、もはや意味を為さない先代のルールだけが、残った…

 

米は、鍋やかまどでも炊けるんだ。
親の代で炊飯器でしか炊けないと思い込まされて、
子どもが、米炊きの根本の部分を見失っている。

それに近いことが「教育」でも起こってるんだ。

 
もはや、人生で何の意味もない公式や法則を、延々と覚えこまされてるようなもんだ。
自分の人生で何が大切か、考える時間すら与えずにな。あの教育な、時間の無駄やな。莫大なエネルギーロスやな。

 

 

「大人の言うことは、疑いを持って聞き流せよ」

 
これは、俺の人生の教訓だ。
俺の本心から、子どもたちに言い聞かせる教訓だ。
人生とは自ら体験することでしか学べないものだろう?
 
 
この言葉を聞いた子どもたちは、もはや自分に嘘をつく必要がなくなるな。
勉強せんでええ、親の言うこと聞かんでええ、それよりも身を持って自由を体感することの素晴らしさよ! あるがままに、自分の思いのままに生きることの素晴らしさを体感するだろう。
もちろん、因果応報の厳しさもな(笑)とばっちりは自分で受けてくれ。

子どもの過ごし方は、その子自身に任せといていいんだよ。自分で勝手に学ぶから。
子どもたちが自由を満喫出来る環境づくりを、俺らはやればいいだけだ。

簡単だな(‘ ‘*)

 
もう一つ、マスターと出会って、また別の教訓も得た。

「話を聴ける大人、の助言は信頼できる」
 

 

俺はな、働きたくないんだ。
働かないで生きていける世界を知っているからな。
子どもの夢物語だと思ったら大間違いなのだよ。
 
まぁ一つ前にも言ったが、食い物が傍にあれば全て良しさ。
 
 
 
 
大人たちよ、無駄な動きはしてくれるな!
お前らが狂わせる。


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生きてくために

生きてくために、働けというのか?
働かねば生きられませんとかいうのか??

それ、違うよな?(‘ ‘*)

 

食えるものがありゃ良いんだよ。
目の前に食えるものがあればいいんだ。

何でそんな簡単なことが分からないんだ???

 
子どもに勉強しろって何だよ。
学校行けとか就職しろとか何だよ。
朝起きて働きまくれとか何だよ。
家事とか洗濯しとけって何だよ。
子育てとかしつけって何だよ。

言うこと聞け!って、その子の想いは無視かよ。

 

どれもこれも論点ずれてばっかり!!!
全部食えん、全くもってどーでもいいことじゃねーか。
逆に仕事増やしてどーすんだ(‘ ‘*)?

 
 
目の前に食べ物がありゃいいんだろ?
道路削って木を植えなよ。
稲の周りに豆とか芋とか麦とか植えなよ。
種とかてきと〜にばら撒いてみなよ。

それでいーじゃねーか。

 

何でそんな簡単なことが分からないんだ!?

自然に任せるのが一番なんだ。
皆、何でそんな簡単なことが分からないんだ!?

 

 

もう時間ないぞ?
放射能溢れ出てるぞ?

クソどーでもいいことに囚われちゃ、死ぬぞ?

 
なりふり構わず生きるんだよ!
今の病状が、改善のヒントになってるじゃないか!!!

自分の感覚に従ってくれ!
たのむから、強く自分の想いのままを貫いてくれ!
生きるとは、想いの強さが全てなんだ。

 
「生」という魂の叫びなんだ


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自分の草地をお世話するの

どんなに遠くを見ても、自分にはどうしようもないことが多い。
まぁ、一見何の関係もない第三者だからこそできる事もあるんだけど…
でも、遠く離れた場所へ行く手間と、労力とお金が勿体無い。

 
僕の大切な人は、目の前のただ一人だ。
遠くの人や、過去の人じゃないんだ。

 
よもや見えない糸で繋がってるかもしれないけれど
共通点は多いし、いつの時代も同じようなことで悩んでる気もするけど..

 

アナスタシア第2巻で、彼女の元に蒼いオーブが現われる場面があった。
地球のエネルギーではないらしい、それが彼女の元に訪れて、色々と助けていたらしい、
別れ際のアナスタシアさんの言葉は、印象的だった

「あなたと一緒にいるのはとても幸せ。あなたはいつもいいことだけをして、助けようとしてくれる。でも、もうこないで。あなたに、ものすごく大きな草地があるって分かったの。行って、あなたは自分の草地のお世話をしないといけない」

 
あなたは遠くの人ではなく、目の前の人に意識を傾けるべきなんだ、と、云われた気がした。実際そうなんだろう…
 
ただ、自分の立場を振り返ってみると。
今の自分は、目の前の最愛の人にできる事は限られるんだ。
出来ることは何でもしてあげたい。そう思っている。

でも、自分が思うようになかなかしてあげられない。
彼女を取り囲む幻影、思い込みが色々と阻んでる。芯の想い関係なく、ね。

遠くの彼は、そんな幻影を見事に取っ払っていた。スゴイよね。
 
 
自分も精一杯やってるつもり、たぶん上手く行ってる方なんだとは思う。
でも、どうして彼女をもっと素敵にしてあげられないのだろう? いつも考えこんでしまう。。悪い癖だね。
そうやって考えこむ僕を見て、目の前のめぐは「私のせいで…」って思い悩んでしまう。うん、ごめんね。

めぐはどこも悪くないんだよ…

 

だから、何でもないようなフリをして、多くを語らず見守ってきた。
このスタンスが一番だった。その方が、彼女をもっと理解できるから。
自分の最善だと思ってたルートは、彼女の内面を知る度にもっといい方法があると気付かされた。

 
寝かせるということは大事なことなんだ。
それによって、最善の一手を突き詰めることができるから。
あれこれ考えて悩む時間が、たった1手に集約される。

 

。。。

 
あれこれ考えて悩む…ね。
そんな時に、過去のめぐ、遠くのめぐを視ようとしたんだろうね。
今、少し違う世界に引っ張られて行ってる気がするよ。

 
僕の、今棲む場所は、此処。
あの場所じゃない、あの時代じゃない。

 
ただ、違う世界の彼女を感じてみて、たくさんの学びがあった。
そして、そんな時代に対して、自分のできる事がたった一手あった。

時空を超越してるね。スゴイね。

 
想いは連鎖するから。目の前に波及するのを知ってるから。
僕は、目の前の最愛を想いながら、そこに一手投じてみるんだ。

 
あの蒼いオーブの気持ちが、少し分かったような分からないような…


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視るって、並大抵じゃないね

ありのままを視ようとする時
自分の存在がその人になってしまう。

彼女の苦しみが、自分自身の苦しみとして押し寄せてくる。

 
人を視るって、並大抵じゃないね。

ありのままを視ようとする時、相手の存在に自分が引っ張られることを痛感した。
アナスタシアさんは「純粋さ」が必要だと言ってた。意図の純粋性って。
逆に、純粋さがないと見えない。ということを描いてた気がする。

その意味、何となくね。

 
それは、自分自身を護るためなんじゃないかな?って思った。
純粋さを持ってでしかありのままが見れないのは、そうでないと相手の存在に飲み込まれてしまうからだ。
相手のありのままを目の当たりにした時、今まで自分がしてきたことが如何なるモノであったか、嫌でも分からされるんだ。

ちょうど、アナスタシア第3巻で、強制的にトランス状態にされた人たちが居たね。
純粋さが欠けた状態で存在の海に放り出された場合の、末路…なんだろうな。

 

本当は、誰にでも視ることができるんだ。
だけども、純粋さが欠けた状態で目にしてしまうと、自分自身が打ち砕かれてしまうくらいの強烈な想いの中に…
自身のこれまでの罪が露わになり…

意識的に、目をそむけるしか無くなってるんだろうね。
結局、それはいつか精算しなければならないというのに…

 

そんな中で、人は生きている。
そんな絶望の苦しみの中に、今の私たちは居る。

アナスタシアさんは、誰よりもこの世界の苦しみを嘆き悲しんでいるように感じる。
視えるってそういうことだから。自分自身が救われるために、彼女は彼に託した。

いや、アナスタシアさんは彼を愛した。
世界中で誰よりも大切な彼を救うために…彼を何としてでも救いたいがために、
あんな突拍子もない夢物語を描いたんじゃないか。

今、何となくそのように感じている。

 

ずっと見つづけてると、自他の区別がなくなってくるんだ。
皆の記憶が、自分のものになるんだ。
同時に、自分の存在が、皆の想いに引っ張られるようになる。

その中でもとりわけ、彼の存在は大きかったに違いない。


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