都会のシステムを紐解く

せめて自分たちの生き方が、場に何をもたらしているのか、注意深く考えたい。そこにヒントが見える。

今まで都会の暮らしは、多くのものが大規模な設備に頼っており、自分ひとり気を配ろうとも、どうにもならない部分があった。

例えば水。下水道を通って川へ、海へ。

汚しても専門の誰かが綺麗にするだろ的な甘えが、多くにあった。

でも、いったい誰が綺麗にしてくれるというの?現実は、汚れていくばかりだ。
皆が気にもとめていないから
汚れたものは見えない場所に、蓋をするかのように。

空気も土も。目に見えない。
風に乗って、どこまでも。

人が病んでいったのは、そうしてとうとう文明社会に人間ごみ捨て場が必要になったから。他に捨てる場所がなくなったから。

あらゆる医学や薬のたぐいは、一時的に症状を軽くはするのだけど…そんな次元はとっくに通り越してる。そもそも病の原因は、別のところにある。

根本にあるのは人々の暮らし方。それらの因果応報だ。
誰かのために自分を犠牲にする人が率先して、苦しみの中で彼らの暮らしを支えなければならなくなった。自らを破滅に追い込みながら…

水の汚れを引き受ける人々
空気の汚れを引き受ける人々
自然の痛みを引き受ける人々
社会の歪みを引き受ける人々

そうして実際に人口が減り、支える人々は年々死んでいってる。

まだ幻想を見ているかのようで。
ねぇ、そこに自分たちの未来はあったの?

きっと因果関係に気づけないことが問題。実際に外から見て、温度差を感じないと分からん所は多い。

世界のあり方は一つじゃない。
もっと自分たちのために見識を広めないといけない。

ただ生きることについてのシンプルな問い。
自分にできる選択肢を増やしていくほどに。
その中で自分の好きなようにできて、今はまだ小さな範囲だけど、目の前のことに確信を持てるようになるから。

そうして自分の人生を生きるとき、少しずつ集団の咎から切り離される。背負う義務などない。身体が羽のよう。

場が病んでる時、そこに従属してもどうしようもなかったの。これまでの過ち認めたくなくて、無理やり現状の正当性を貫こうとして…

嘘になる。

全ては結果が物語る。


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やったことは自分たちに還る

因果は巡る

今、家の敷地内に水場があって、そこから井戸水を汲み上げて生活してる。

山に囲まれた場所で、霧や雨が地面に流れて溜まった水場。
とても澄んでて美味しい。

そして生活排水。
不要な水は敷地内に流れて行くわけだが、その水は巡り巡って井戸の水場へと還っていく運命にある。循環してる。

この水が生活と関わり、自分の心身を創り上げることになるわけで。

いかに、この水を汚さないことが重要か!
わかる。

下水を汚さず、上手に還元する工夫をする。トイレは落ち葉と土で発酵させる。洗濯も食器洗いも洗剤は皆無。
重曹とクエン酸で、十分に事足りる。精油を少量使うのもいい。
如何なる化学物質も必要ない。
そもそも山暮らしは周りが自然のものだから、自然の水洗いでも十分。

自分の水場は自分たちで創っている。

他の誰のせいにもできない、だから、真剣に考える。
何が望ましいもので、何が問題をもたらすのかを。


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森の水と空気が助けてくれた

人は、空気と水がないと生きていけない。
山に帰ってきて、空気の美味しさに、水の綺麗さに、身体が癒やされていくのが分かった。

この空気と水が、人間になくてはならないものなんだって。
美味しい、澄んだ粒子が身体に染み込んで、私を元気にしてくれるものなんだ。

都会の空気が当たり前に思ってた時は気付かなかった。健やかに生きていくには、綺麗な空気と水が欠かせないって。私が普通に生きられなかったのは、単純に周りの空気と水が汚れていたのが問題だったのではないかと感じた。

水を綺麗にする方法を考える


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