料理は食材との対話、レシピは参考程度に

レシピは参考程度に…
というのが、よく分かる体験をしました。
 
世の中に出回ってる、同一規格化された業務用の野菜。
工業的に作られた同一企画の調味料、冷凍食品。レトルト食品、缶詰。

これらを使ってレシピ通り料理すると、誰でも同じものが作れます。

 
大衆レストランやチェーン店とかが、こういうの使う理由。
バイトに作り方を教える立場なら分かる、教えるのが楽なのですよ。
これらを使うと同じ味を出せる。

 
で、料理教室。

おそらく、一昔前の大衆向け料理教室は。
こういう既成品を使ったレシピを教えてるとこがあった。
これなら、料理の腕に関係なく同じ味が出せるから。

再現性という意味では、すげーってなってたと思う。

 
チキンブイヨン、コンソメ、うま味調味料。魔法の粉ね。

ようは、商品企画を固定化する!同じ味を出す!
作り手関係なく誰でも出来る。それが店の看板!

経済優先の社会が築き上げたものが、これらの食品群だったわけですね。

 

今、料理を教える際、もしくは教わる立場の方を見てると

「レシピを覚えよう」

 
という姿勢を見せる方が非常に多い気がします。

レシピ通り作るのに気負いすぎるあまり、食材の個性とか。
〜したら、〜なる。の原理を見ようとしてない気がする…

最初だから?
うーん。。。まぁ、最初だからかもしれないけれど。

 

そういう姿勢をいつまでも続けていると、料理が上達しない。
いつまで経っても、レシピにある化学調味料や
出来合いの食品群に頼らざるを得なくなってしまう。

という、一般家庭の光景の一部を見てきた気がしました。

 
それは一昔前の大量生産、没個性の考え方。

 

これからの時代は、
自然の食材、一つ一つの個性、命と向き合うことがテーマ。

料理は、食材との対話ですね。

» いつも応援ありがとうございます(' '*)

※ この記事がお役に立ちましたら、ぜひ皆さんにも広めてください.。.:*・゜

>> この記事をfacebookでシェアする

>> この記事をツイートしてみる


コメントは受け付けていません。