コンプレックスの塊のようなもの

人を見て、あこがれの気持ちを抱くとき

 
 
「自分なんて」

そんなふうに感じる時があったことを、思い出しました。

目の前に輝いてる人がいる。

その人にくらべて、私は。私は。

なんて不釣り合いなんだろう。。。

 
 

そんなふうに思ってしまう時があったことを、思い出しました。

自分が、自分をゆるせないとき。

なぜ許せないかは、それは自分を認めてないからなのですが

そんなとき、宇宙が与えてくれる幸せを拒否することがあります。

受け取れない、私にそんな資格ない。私にはもったいない。

 

受取拒否。

私なんて、自分なんて。

そんな人、いる?

 

私は、思い出しましたよ。

過去、そうであったことを。

与えてくれる素晴らしい贈り物を恐れて、

自分から逃げてきたのですよ。

 

いったん逃げてきて、

自分で納得行く形で、ここまで来て。

 

とても苦労しました。

なぜしなくてもいい苦労したのか。

それは、あのとき受け取ることを認めなかったから。

結局、それはその人自身の選択。

始めから自分を許していれば、受け取ることを許していれば。

ですよ。

 

。。。

差し出されたものは、受け取ることを許されてる。

受取拒否したら、悲しむ人いる。

しなくてもいい苦労。

其処に気付くまでの苦労。

 

変わるのは難しいことじゃない。

そこに気付いたら、自分はもっと楽に変われる

もっと理想の自分になれる。自由になれる。


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