都会には都会の生き方がある

自然がないと生きられない。
これは、全生命における大前提の考え方になる。

食べ物は自然在るところじゃないと成らないから。

 

それを踏まえて、田舎だ。自然だ。樹だ何だ(。◕ ∀ ◕。)ノ

と言っていました。

 

でも、気が付きました。

都会の中にも、自然が入り込んでることに。

自分たちで、その自然を植木鉢に見立ててお世話できるということに。

 
植木鉢の中で、自分たちの出来る範囲で、一粒に凝縮された種が開花するように。

ほんの限られた一区切りに、永遠の生を再現できること。何となく察しました。

 

もし、その限られた一区切りで、今までにないほど清純な箱庭を築き上げられたら

少しずつ、以前のようなお庭の広さが戻ってくる頃には、

もしかしたら過去に比類ない、もっと革新的で、素晴らしい故郷を創りあげられるかもしれない。

 

アナスタシアさん第4巻、創造の瞬間について語られました。

あの頃の創造主と同じような気持ちを感じながら、小さな自分たちの出来る範囲で。

自分たちの世界に根づいた、すべての存在に慈しみと愛情を込めて、その一つひとつ永遠の形を保ってほしいがための、相反する真逆の存在を見出し、お互いで均衡のバランスを取り合って、この小さな世界で永遠の循環を…蒼い発酵瓶を創りあげる。

いま眼の前にある。

2015/ 8/12 12:25

2015/ 8/12 12:25

玄米乳酸菌
 
 
その瓶が、今度は植木鉢に成る。

その中で、永遠に生きつづける。子どもたち。

子どもたちの世界は広がって、やがてベランダになり、小さな箱庭になる。

 
私たちはその頃、生きてるかな?

 
生きてる。想いは子どもたちに伝えられる。

一粒一粒に。種に。こんばんは。今は未だお休みの時間だね。

 

ただ、永遠の生に執着しています。
私にとって生きるって、一粒の想いが在り続けること。
この一粒の想いが、私たちの作品…が、形を変えて永遠に存続していきたいために

私たちの未来のあらゆる生命へ、楽園の記憶を。。

 

とんだとんだ(。◕ ∀ ◕。)ノ

話がとんだ。

 

発酵瓶の芸術は、少しずつ再現されていくのです。

次は、植木鉢の芸術です。瓶1本につき鉢1つです(。◕ ∀ ◕。)ノ

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