自然農の在り方を取り違えていた
山の土に触れて、気づいたこと。
その場所は、その状態で完成してるということ。
自然は、絶妙なバランスの上で、現状を維持してるんだ。
というのをココ数日で目の当たりにしました。
自然農の在り方を、取り違えていたみたい。
「種(苗)を植える」
この時点で種(苗)は、山にとって不自然な余所者。
土の中には、すでに様々な植物たちが根を張り、生き物が居て
落ち葉があって、豊かな土となって地中に根付いている。
そこに余所者が入る余地はあるのか。どうなる?
まず、普通に蒔くだけだと場所がない。
こんなふうに言っていた。
「まわりの雑草のほうが強いからね」って
数日前、友人から大切な苗を分けてもらい
山にそっと植えてきた。
その時、この子は見知らぬ土地にぽつんととり残されてしまう。
特に最初の方は、不安だらけでしょうがない。
見てあげないと。見てあげないと。
しっかり根付くまで見てあげないと。
て思った(‘ ‘*)
そして、山の土にもきちんと挨拶せねばなるまいとも思った。
この場所を少し使わせてください。
他所から来た子だけども、仲良くしてあげてください。
いつも見に来ますから、どうかよろしくお願いします。
自然の農業は、放任主義ではないんだと気づきました。
植えたならば、それによって影響する全てに対しての責任がある。
この子に対して、大きくなってほしい想いと。
山の友達と仲良くして欲しい想いと。
私と山をつないで欲しいという想いと。
豊かな実りをもたらしてほしいという想い。
それをしっかり伝えるために、じっと見守って。
時には手をかけてあげることが必要なのだと分かりました。
全部自分でやる。
その意志は、自分にも他者にもあるのですね。
だから土地ほしい。その土地の好きにさせたい。
誰にもしばられない、自由に見守れる土地ほしい。
緑いっぱい。実りもいっぱい。
土地欲しい。
それに山の土を勝手に良いようにされるのはもうたくさん。
灰色の墓標はもう要らないのです。
土地、緑いっぱい、実りいっぱい。
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