都会には都会の生き方がある
自然がないと生きられない。
これは、全生命における大前提の考え方になる。
食べ物は自然在るところじゃないと成らないから。
それを踏まえて、田舎だ。自然だ。樹だ何だ(。◕ ∀ ◕。)ノ
と言っていました。
でも、気が付きました。
都会の中にも、自然が入り込んでることに。
自分たちで、その自然を植木鉢に見立ててお世話できるということに。
植木鉢の中で、自分たちの出来る範囲で、一粒に凝縮された種が開花するように。
ほんの限られた一区切りに、永遠の生を再現できること。何となく察しました。
もし、その限られた一区切りで、今までにないほど清純な箱庭を築き上げられたら
少しずつ、以前のようなお庭の広さが戻ってくる頃には、
もしかしたら過去に比類ない、もっと革新的で、素晴らしい故郷を創りあげられるかもしれない。
アナスタシアさん第4巻、創造の瞬間について語られました。
あの頃の創造主と同じような気持ちを感じながら、小さな自分たちの出来る範囲で。
自分たちの世界に根づいた、すべての存在に慈しみと愛情を込めて、その一つひとつ永遠の形を保ってほしいがための、相反する真逆の存在を見出し、お互いで均衡のバランスを取り合って、この小さな世界で永遠の循環を…蒼い発酵瓶を創りあげる。
いま眼の前にある。
⇒ 玄米乳酸菌
その瓶が、今度は植木鉢に成る。
その中で、永遠に生きつづける。子どもたち。
子どもたちの世界は広がって、やがてベランダになり、小さな箱庭になる。
私たちはその頃、生きてるかな?
生きてる。想いは子どもたちに伝えられる。
一粒一粒に。種に。こんばんは。今は未だお休みの時間だね。
ただ、永遠の生に執着しています。
私にとって生きるって、一粒の想いが在り続けること。
この一粒の想いが、私たちの作品…が、形を変えて永遠に存続していきたいために
私たちの未来のあらゆる生命へ、楽園の記憶を。。
とんだとんだ(。◕ ∀ ◕。)ノ
話がとんだ。
発酵瓶の芸術は、少しずつ再現されていくのです。
次は、植木鉢の芸術です。瓶1本につき鉢1つです(。◕ ∀ ◕。)ノ
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