参考 ⇒ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1173416036
放射能とは、「放射線」を出すという性質の強さを現したもの。
問題と成るのは、そこから出てくる「放射線」の影響
「放射線」を浴びると、その強さにもよるが
人体を構成する細胞の分子から「電子、陽子、中性子」などがはじき出され、
はじき出された不安定な粒子の衝突が細胞から細胞へ、ドミノ倒し的に連鎖していって、
人体のDNAが傷つけられるといった具合。
放射線が及ぼす「電離作用」の玉突き事故だそうで(o _ o。)
でもでも、ある程度までは「人体の自己修復プログラム」が働いて、傷ついた細胞は元通りに成る。
以上が、上記ベストアンサーのまとめになります。っと。
まぁ、例えるなら「ジェンガ」みたいなイメージですかね。
最初は積み木、放射線でだんだん中が抜けてって不安定に成る。
で、ちょっとの刺激でがらがらがったーん(。0 _ 0。)ノ
とならないよう、積み木が崩れないうちに空洞を順番に埋めて、元通りにするのが自己修復プログラム。
「免疫力」とも呼べるのでしょうかね。
では、次回。
その「免疫力」について詳しく見ていこうと思います。
人は誰でも、自分の信じてきた道を歩んでる。
そんな選択の結果が、今にある。
良いも悪いも。
現実を受け止めること。
自分の選択を、素直に受け止めることよ。
現状は苦しい。
信じてきた道が、誤りであった。と認めるのは、とてもとても辛い作業だ。
これまでの自分が、情けなくなってしまうからだ。めちゃくちゃに哀しい。プライドが許せない。
だけど、人は自分が思う最善の道を歩んでいようとも
もっと大きな視野で見た場合、さらに素晴らしい答えが見えない所に存在しているもの。
自らの最善を疑う…が、さらに飛躍的な生き方に乗っかれる方法と成るだろう。
自分の行いに、より大きな視野で省みることができるか。
その上で、さらなる改善点を正せるか?
自分の考え方や物事の見方を変えられるのか?
プライドは捨て去ってこそ、自らの価値を高められる(。0 _ 0。)ノ
間違えを認める勇気を…
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- 人間関係, 日常のこと
- 2015年12月26日
先日、こんなことを言われた。
「変えていくにも段階が必要。正解の根拠はどこ? 突拍子もないこと言われても不安になるだけ」だと。
やっぱり「樹」の問題だね(o _ o。)
一人一人が自立して生きられる場。
お庭に樹があり、実がなって、ハーブが生え、食べ物が自給され。。。
その中で自由に生きていける場。一人一人に、そんな場所。
思い描く未来には、うっすらとだけど。
安心して好きなことをして生きていける場所が仄かに思い浮かばれる。
ここまで持っていくのに、色々クリアにしないといけないことがある。
ベースを詰めれば
「一人一人、生きてることの自覚を持つ」
「自分の行動、生き方は、簡単に変えられることを知る」
「あらゆる悩みは、自分の選択で解決できるものと知る」
「あらゆる障害を乗り越える力が、自分自身に備わっていることを知る」
「だからこそ【他】の存在も、そのままで素晴らしい力を宿してると知る」
…(o _ o。)
知る。
この一手。
物事の成り立ち、存在理由、自分の、そして他者の行動原理。これらを知る。
たったこの一手で、目の前に在る全てのものが信じられる世界に変わるだろう。
「他」に何を求めるでもない。
ひたすら「自己」の感覚を研ぎ澄ますことが出来れば…
ああ、、、
どれだけ、現状を打破する力が見出だせてくるだろうか。。。
なぜって?
一人一人が、自分の力を認識し始めることで。
大多数が、責務という呪縛から解放されるからだ。
お世話の必要な人は、厳密には居ない。
一人一人、生きることに対する完全性を宿している。病の自浄作用も。現状の打破も。
自分自身の生きぬく能力を、そのままで備わってることを知るためだ…
また、文章に時系列バラバラになってしまった、
思いつきで書くとこうなるね(‘ ‘*)
まぁ、責任を果たすという意味では。
家族や友人、会社に対するそれよりも
まずは自分に対する責任と自覚を強く持つこと。
これに尽きるかな。
自分の生き方に責任を持てるようになるから、周りとの本当の信頼が生まれる。
その場で潜在能力が遺憾なく発揮できるようになって、自ずから周りの力になってゆくのだろう。
他の何よりも、まずは自分の生き様をしっかり貫くこと!
また、家族あっての自分という位置づけならば。
自分は見えてないところで家族を支える力を秘めている。
そんな事実を知るところからか。
また段階を追っていく必要がありそうだ(o _ o。)
市民にとって、まずは生活を無事に続けていくことが優先。
生活とは自分一人のものではなく、家族や子どもたちを護るためでもあるから。
そして生活と仕事は切っても切り離せない関係であり
仕事在ってこその生活。仕事在ってこその、平穏な毎日。
その上に、家族の安心と子どもたちの未来がある。
今の仕事を辞めたら、たちまち家族の先が見えなくなるのだろう。
だから、どんなに苦しくとも、どんなに危険が迫っていようとも
今やってることを続けなければならない。
現状を維持しなければならない。という行動原理。
わりと、大多数に当てはまってる?
家族に対する責任感といえば聞こえは良いが
ある面で、その者が属してる国や会社が傾いたり、棲んでる所の状況の変化により
家族全員が窮地にさらされると、そのまま身動き取れなくなる危険性を孕んでいる。
大多数のそれは、前提が崩れだすと脆いんだ。
日本国が、本当に素晴らしい国であれば…
政府が、本当に国民のことを想っていれば…
会社が、本当に従業員や顧客のことを想っていたならば…
自分たちの携わってきた食べ物に、もっと感謝の念を抱いていたならば…
盤石な国や政府や会社の内なら、そういう目の前の生活を続けることが大事、という家族の在り方も悪くなかったであろうに…
でも、目前の現実は、脆く悲惨であった。
崩れゆく現実を、受け入れなければならない。
家族や子どもたちの未来を想うからには、
これまでと違う、価値観、物事の優先順位をよくよく考え直す必要がある。
答えはぼんやりと視えてくるだろうか。
子供の頃、どんぐりは食べられるものだってどこかで聞いたことが在りました。
木の実を食べれるんだったら、周りにどんぐりの木たくさん生えたら良いなぁなんて。食べるものに困らないねって。
他にも「くるみ」だったり、「松の実」だったり、木苺だったり。
そういうのが自生して、皆が食べられるようになったら良いなぁって思っていました。
「木の実」その栄養価は、一年草の現代野菜や穀物の比ではない。
長期間の発酵によって、大豆が味噌となり、栄養価が段違いに増すように。
玄米と小豆とを炊き合わせ、3日3晩保温熟成させることで、栄養価が高まるように。
長年経て成長した大樹のエネルギーが、限りなく一粒に凝縮され、次世代の樹となるように…
実となり、種子として地面に落ちる…
木の実に秘められるのは、未来に生い茂る大きな樹のエネルギーそのもの。
私たちがそんな木の実を食べるということは、樹の未来を食べるということ。
野菜や穀物の未来とは、スケールが全く異なってくるんだ。
木の実を常食することで、おそらく今までにないほどの栄養価を得ることができるだろう。
っと、、、
前置きが長くなってしまいました(。0 _ 0。)ノ
冬至を超え、年度の新しくなった翌日
どんぐり名人さんのお話し会というのがありまして
たまたま行きつけのカフェで知り合ったお客さんを通して、急遽参加することになったのです。
「どんぐりは食べられる」…ことについて。
こんな体験記事を見せていただきました。
⇒ http://dazabura.exblog.jp/25059793/
記事の後半にありますね。
どんぐりには種類もあって(17種とかきいた)
中でも「マテバシィ」というものは癖がなく、甘みがあって美味しいそうです。
どんぐりの食べ方ですが、採ってすぐは殻を割るのが大変。
もち新鮮なのを食べるのも美味しいと思います!
一方、もう一つ考え方としては、採ったどんぐりはそのまま寝かせること(o _ o。)
寝かせて数ヶ月〜1年くらいで、自然乾燥で自然とヒビが入ってくる。食べるの楽です。
此の話を皆にすると、あ〜そうかも〜♪ って大合切(。◕ ∀ ◕。)ノ
どんぐり約半年寝かせ【ひるず亭にて】
種子の部分が自然と外れてきたら、ご飯を炊くように米や豆と炊きあわせて食べたり
少しローストして食べたり、もしくは生食もできるのかな?
夢が広がりますね.。.:*・゜
とにかく「木の実」に秘められた力を見直すことは
今後の生活のあり方を大きく変える革新的な発見のように思います。
どんぐりの種、少しずつ芽を出すのですよ(。◕ ∀ ◕。)ノ