必要とされる存在

本音の対話
 

昨日はお騒がせしました(o _ o。)

思い切って内情をあるがままに話してみましたところ、
おかげで気持ちの整理も少しずつついてきてるように思います。

こういったサイトを運営してると、
ついカッコつけたくなったり。
そういった言い回しが多くなりがちだったのですが。

本音をぶつけることが大切なのだと気が付きました。
だから、必要な気づきをみんなが与えてくださいました。
 

画面越しのやりとりだと、顔が見えない分。。
どのようにも自分を演出することが出来るし
それは相手も同じこと、お互いにわかったつもりになって

実は、心の内側までは真に理解できない。
だから、ネット上で情報を伝えるにしても限界があるし
わかったつもりになって、かえって良くない結果に終わってしまうことも知りました。

 

以前お世話になった先生にアドバイスを頂いたのが

「顔と顔を合わせる大切さ」

 
それから

「自分の持つスキルがどのように社会に役立てるか」

 
それらを考えることだって。

 

実際に顔を合わせての対話。

 
今までは、

ネット上で完結するんだし、人とやりとりするのが面倒…とか
わざわざ企画するのも面倒、コレでいいや….

ばかり思ってたので。
ホント、何も出来てない状態だったのですね。

言い訳だったですね…

 

今後の展開について

思えば、私ができることで
何か世の中に役に立つことはないだろうか…と考えてみたら

 
【美人料理のレシピ】
玄米の炊き方ひとつから直々に「料理教室」をひらいて教えるとなったら
必要としてくれる方は居らっしゃるかな。。。

とか

 
【暮らしのアドバイス】
実際に私も克服したから
アトピーや原因不明の不調で悩んでる子の力になってあげられるかな?

とか

 
【簡単な身体のケア】
肩こりや腰痛で悩んでる方に、症状の解消をお手伝いできるなとか。

これは、私がよく行く飲み屋さんで、
お客さんに簡単なケアをしてあげると、驚きの表情とともに喜んでもらうことが多く。
いつも必要とされてることに喜びを感じたりしてます。

 

そうか、私を必要としてくれる方がいる。
そして必要としてくれる方からお金を頂くことができる。
だから私は今まで生活できるようになってたんだ。。

 
必要とされることが、私に存在を許してくれる。
こんな当たり前なことに、気づけたんです。

助けることは、助けられることと同じ。って。

 

考えてみたらその通りで
実際に会って、その方のお役に立てて、お金を頂けるという体験をしてたら
ホントに自然に感謝の心が湧くというのに、とても嬉しいことなのに
もっと貢献したい…と心から思えるようになるのに。

どうして、気づかなかったのでしょう。

 

ずっと画面越しのお仕事だった。
人の顔が見えなかった。

報酬は、画面越しのクライアントが払ってくれるけど。。。
あまり実感がわかなかった。

 

雇われ時代でも、給料は会社から出て、
他の場所の作られた商品をただ売るだけに感じてたから

 

【誰かが必要としてくれた ⇒ おかげで私はお金を頂いて生活出来てる】

という図式が見えなかったようなのです。

 

なんということでしょう。
人の顔を見なかったばかりに、もし目先の利益を追いかけてしまったら。。。

過去の記事 ⇒ お金が蔓延する社会

 
この悪夢の循環に流されてしまってたということ。なんということでしょう…
人を見ない、画面越しの作業こそ、歪みの原因を担ってたのですね。

 

今回、とても大切な気付きだったように思います。

私を必要としてくれる人が居る。
だから私は生きていけるし、生きられる事自体に有り難みを感じるんだって。

そうやって色々な存在に必要とされて、一財を築けた人は、とても立派な方なのだと。
資産家という肩書に対し、これまでのような偏見を持たずにもなれそうです。
お金をありがたく受けとることが出来るようになれそうです。

 
大切な学びをもたらしてくれたみんなに。
宇宙にありがとう(uu*).。.:*・゜

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