身土不二は食べ物だけじゃない。仕事もだ。

身土不二。

その時、その場所、その瞬間において
目の前のものが、あなたを形作る一部である。

音の視点で捉えるとこんな感じですね。

呼吸法と身体のリズム

 
陰陽が響きが音のリズムとなって、現実を作り出す。
こういった考え方を巡らせていると、陰陽にまつわる言葉を思い出します。

陰陽バランス
身土不二

 

 

人間が生きるために必要なやりとりも、ネットワークも。
離れていたら、繋がらない。
目の前にあるからこそ、確立した意識のもとでそこに関わることが出来る。

 

海外の食べ物が、日本に普通に入ってきてるけど。
海外で丹精込めて食べ物を作った人たちの心は、私たちに伝わるか?
また、食べ物を与えてくれた私たちの感謝の想いは、海外の生産者に伝わるか?

 
ほとんどの場合において、それは厳しいだろう。

 

感謝が消えた時、人は繋がりを見失います。
其処にあるのは、ただの契約。ただの取引。

相手の顔を見えないのは、心まで遠くはなれてしまったがため。

あなたが居なくても生きていけるよ。
だから必要ないよって、心は言っているのです。

 

身土不二から枠を外れると
其処に込められた想いというのは、届きづらくなります。
だから、手厳しいですね。不正防止とか、安全管理の徹底だけでも神経使う。

 

食べ物だけじゃないです。
仕事方面でもです。

なんかインターネットが蔓延して、全国相手に商売できるようになりました。
が、片田舎の家から東京や大阪都心部の人たち相手にするのって
妙な温度差があるのですよね。

なんか相手のこと見えづらいというか、人と関わってる実感が無い。
あと、人と人の繋がりというのが希薄になって、心許せる付き合いというのもない。
事務的な応対で、日々終わってしまうことがある。

 

この状態だと、なんとなくお金稼いで終わり。って感覚に陥りがちです。
まぁ、実際に面と向かって話をしてみれば違うのですけど。

どんなにお世話になった人でも、やはり目の前の取引先のほうが融通効きますから。
離れていたらお互いに意思疎通がしづらく、不安になるというものです。

 

これは、自分の意識を向けるところが身近ではなく
「意識を遠くに向けさせられている」ことで起こる弊害。

遠くのトラブルには、どうあっても責任持てなくなるじゃないですか。
何か問題が起こった時、直ぐにはどうしようもない。
応対には移動とか宿泊とか多大なエネルギーを費やす。

お金や時間がないからといっても、問題が起こったら対処せねばとかいう状況。

 
どうしろと?
どうしようもないことで、私は悩まなくてはいけないのか?

 

此処にインターネットの可能性と、デメリットの両方が見て取れます。
私はもう、何ごとも自分の責任を持てる範囲でしか関わりたくありません。

会社を立ち上げるとは、まさにそれを破った諸悪の根源でした。
何度も書くけど、ほんとコレはありえない。

 
自分のエネルギーが2つに引き裂かれ、目の前の物事から目をそらされ続ける。
こうやって、人は大切なものを見失っていくのだろう。と今になって思います。

 

自分の意志で生きる時、このような心配事は必要なくなる。
自分の意志が及ぶ範囲で、関わるすべての物事が自分自身の範疇として
それなら、余計な心配はいらないし、周りの全てに信頼を寄せることが出来る。

いつも目の前のことに全力投球できる。

 

身土不二の生き方、仕事編でした(。◕ ∀ ◕。)ノ

まぁ、あれです。
自分に責任持てないことは、やらんでええ。
関わる必要もない。
 

目の前の仕事に集中するのですよ。

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