人は、何処から生まれましたか?
人が生きていけるのは、誰のおかげですか?
こういうことを問いかけて、わりと返ってくる言葉。
「お母さん」
「家族」
「給料くれる会社」
「私を必要としてくれる人」
其の踏み込みは未だ浅い。
もっと視点を広く、過去をさかのぼってみれば。
その起点は海にあり、自然にあり、地球、太陽系、宇宙にある。
その昔は、人や肉親から必要とされずとも生きていけた。
宇宙や、地球が必要としてくれるのを、直に感じて生きていた。
だから、安心して此処に存在していられた。
人の役には、一見立ってないように見えても、
地球の声を聞いて、その意に沿って素直に生きていくことは。
宇宙の財産になっていく。
宇宙が望むことだから、地球や宇宙が必要として、直感的に促してくれる。
そして私自身は、そのように素直に生きていたい。
実際は、お金を稼がなくても、仕事しなくても生きていける。
なぜなら木があり、水があり、土があり、食べ物が実るから。
太陽の光は誰に対しても平等に降り注ぎ、誰でもそのエネルギーを有効活用できる。
自然の恩恵は無限で、自然との繋がりをもっともっと意識することで、
他人の強制する価値に依存しなくても、生きていけるようになる。
それが自然との繋がり。
信頼すればするほど、自分に素直になればなるほど
調度よいタイミングで、その時必要なモノを分け与えてくださる。
宇宙や、自然の木、石、動物たちは、お母さんみたいな、守り神のような存在。
というような感覚で、
私の生き方のベースは、自然との繋がりを意識することです。
人からの価値とか評価とか、最終的にどうでも良いです。
だって自然との繋がりを取り戻せば、そんなの無くても生きていけるから。
むしろ自然との繋がりを皆が取り戻せば、その貢献は人々にも直に伝わるから。
自然との繋がりが薄い世でも、最終的に人々に貢献はする。ただしタイムラグがある。
タイムラグがあるから、詐欺とか、其の取り分をだまし取ったりも出来たわけで…
そう。近代の仕組みは、自然と人との繋がりが絶たれたところから始まった。
そもそも、水にお金を出すとか、わざわざ自然の作物にお金を払うとか。
お魚捕るのにお金払うとか、バカバカしくて考えられなかったと思います。
それを、人と自然とで境界で隔てて。
自然の食べ物を管理し、海の資源を管理し始めたトコから、
どっか狂い始めたと思う。
土地にお金払うとか、普通に意味分かんないけど、
それで成り立ってしまったんだと思う。
今、自然との繋がりは、現段階で充分ではなく。
人と人との繋がり。その風潮がベースの世の中で、私たちは生きても居る。
人と人との繋がり、人に必要とされる存在となり、お金を稼ぐことが
この人間社会で最低限生きていくのに必要なこと。
私がこの世界で生きる上で、割とどうでも良かった教え。
ただ、そう。人も、宇宙や自然の一部であることに気づきます。
同じです。必要なときに、必要なことを教えてくださるから。
そして知り合った様々な方が、色々な方向から私を支援してくださいます。
その恩恵は自然を意識するよりも、分かりやすく目に映る。
だから耄碌した今の状態でも、必要とされる喜びを感じやすい。
自然との繋がり、人との繋がり。
今この状態で、ここで生きてる以上、両者のバランスが大切で、
それぞれの視点を見ることで、もっと良い行動の選択が出来るんだな。
と学ぶことが出来ました。
しかし人目線しかなく、自然との繋がりを忘れてしまった人たちは
自分の住む地上を荒らしてまでも、目先の利益に走ってしまいました・・・
それ燃やしたらあんた達も死ぬじゃん…(‘ ‘*)みたいな;;;
国という集合体は、今燃えたがっています。
人と人の繋がりですら危うく見える世の中。
スマホが流行り、画面越しのコミュニケーションが蔓延し
相手の顔と顔が見えない、人と人の繋がりすら、絶たれようとしている。
そうなると、繋がりを忘れてしまった人たちはますます孤独になり。
自分のことしか考えられなくなる。誰からも見放される。
一人では生きていけません。この路線はゲームオーバーに一直線です。
見えないから、好き勝手に生きていいわけじゃない。
相手をきちんと見ようとすることが大事。
一人ひとり、その繋がりを思い出すことが、今できることです。
自然に対しても、人に対しても。見えない存在に対しても。
視野が大きくなるほど、見えづらくなりますが。
見ようとすることが、見る第一歩です。
続き ⇒ 自然と人との繋がり【料理人目線】
一方が大きく欠いているからといって
そちらばかりに注力するのではなく、
もう一方も、気にかけておく方がいい。
シーソーのバランスをとる時、どうしてた?
一方をあげようとすると、重たくて持ち上がらないか
一気に跳ね上がってけがをするでしょう。
だから、もう一方も気にかける。
全く立場の反対な分野のことも、きちんと把握しておく。
そうすれば、上手く行きやすいことに気付く。
それはちょうど、右翼と左翼のように。
あれは対立してるようで、実は全体をコントロールしてるの。
(追記…)
本質100%の完璧を目指してたけど、余興も大事ね。
無理しない、でも盤石を毎日一歩ずつ積み重ねる。
それで日々、少しずつ形になっていく。
完璧は、それ以上動きようがない。発展がない。
だから、目先の気分を楽しむのも大切なんだと、書いてて思った。
あまりに動かないで悠長にしてると、ほら。
どこか傾いた時バランスとれないから…
最新記事更新しました
⇒ http://goldenflower.jp/beauty/0-realnature.html
口角を上げると運気が上がる。
今まで、自分は常に微笑みを浮かべることだと思ってました。
実際、ちょと違ったみたい。
鏡を見ると、口が横に広がっている。
上げてるつもりで広げてただけでした。
少し練習してみた。
無表情をベースにするとやりやすかった。
そこから、あひるさんに少し近づけるだけ。
上唇の真ん中を、ほんのささやかに下に突き出す。
それで、口角が上がる。
あ、同時に鼻が少し高くなる(‘ ‘*)
しかも鼻の穴が小さく見える…小鼻にみえる…
今まで、あげようあげようとばかりでしたが
なるほど、このささやかさは、反対側を下げるだったのか。。。
と、ちょっとした発見でした。
(個人差はあると思います。私はこの方法がやりやすかった
お陰で、今日はとても良いことがありました*:・’゚☆
宇宙とそれを導いてくれた存在たちに感謝です(‘ ‘*).。.:*・゜
節分の話その2。豆まきについて。
その1はこちら ⇒ 節分の話【鬼は内、福も内】
豆をまくのはなぜですか?
古代においては、鬼は追い出すものではなかった。
鬼を追い出すために、豆を撒くのではない。
今年の抱負を豆に託し、望みの芽が出ることを祈願するために。
豆を蒔いたのだ、と伝え聞きます。これは、普通に考えれば分かることです。
2月3日は、立春。
古代では、今日から暦上の春。
今年一番の種を蒔く日が今日なのですから。
蒔くでしょう?種(豆)を。
今年も、多くの実りを結びますようにと、願をかけて。
今年も、実り多き一年となりますようにと、自らの人生も一部託して。
現代の節分は、いいですか?
よくよく考えると、おかし〜〜〜んですよ。
なぜ炒り豆ですか? 芽が出ないじゃないですか!
資源の無駄じゃないですか、食べ物の無駄じゃないですか!
芽が出るのを縁起が悪いって何ですか?
だれかそんなこと言い出したんですか?
鬼を追い出すために豆?それは豆?
いやいや遺伝子組み換えの兵器ですよ(。◕ ∀ ◕。)ノ
芽が出ませんように、って。
親切にも現代版の節分に見合った豆を用意してくれてるわけです。
芽が出ない遺伝子組み換え大豆を、蒔いてくださいねって。
どんなに頑張っても
どんなに努力しても
芽が出ることはありませんよ?(。0 _ 0。);;;;
だから、一生養分のままで居てくださいね^^;
福は内に入れさせてあげるから、ほら。幸せ感じてハッピーですね。
よかったね。
めでたしめでたし。
そういうのが、近代版節分の風習ではなかったですか?
世の中を見てたら、まさにその通りの風刺画になってましたもの。
そりゃ、一年の節目となる大切な時期に、そんな願掛けをさせられたら。。
ねぇ。。。
例え知らずにやってたとしても、
それを何も考えずに実行することの愚かさを
今、身を持って体感してるはずです。
豆を蒔く。
生きる基本から、巻き直す必要がある。
しっかり土に蒔くのです。
芽が出ることを祈って、今年一年の望みを、抱負を、目標を
芽が出ることを祈って、生きた豆を土に蒔いてください。
そして、豆と一緒に、自分自身も成長する年としていくのです。
- 2件のコメント
- 旧暦の話
- 節分
- 2014年02月03日
今日は2月3日。節分の日。
旧暦では、1年の始まりを祝う正月のような日取りです。
日本では古くから豆まきという風習があります。
「鬼は内、福は内」
古代から受け継がれた、今年一年の成長と発展を祈る行事です。
みなさんが知ってる言い回しとは違うでしょうか?
なぜ、鬼は外?福は内?
厄災を外に祓おうとするのはなぜ?
現代に伝えられた風習の中には、見えない意図が隠されている。
こちらの過去記事を御覧ください。
⇒ 問題は、さらなる幸福を招く最高のチャンス
病は、なぜ自分にやってくる?
問題は、なぜ自分にふりかかってくる?
鬼は、何のために自分のもとに来てくれる?
その意図も見ようとしないで、ただ目先の悪いものとだけ捉えて
何も考えずに追い出すのが、近代の節分の風習ですよ。
鬼は外といって、薬を撒く。
鬼は外といって、殺虫剤を撒く。
鬼は外といって、防腐剤を添加する。
誰ですか? 鬼を安易に追い出すことを広めたのは?
全ての存在は、全てが自分の映し鏡。
そして、全てにおいて無駄なものなど一つもない。
参考記事 ⇒ 今、目の前で起こってることは
一見、鬼は自分を苦しめているように見える。
しかし、裏返せば。鬼は最小限の苦しみで、其の人に成長の導きを与えているのです。
此処が違う、だからこうではない、こっちがいいよ。って。
まるでコインの裏表。
鬼による導きは、その意図を読み取ることで福となる。
鬼と福は表裏一体。
だから、鬼を外に追いやることは、
自分から福を捨てているのと同じなのです。
そして、鬼という自分の一部分、成長のチャンスを無碍にしているのと同じなのです。
これは「厄年」とか言われてるものにも当てはまります。
鬼、厄、病、ストレスといった様々な問題は、
何も考えずに無視する(祓う)ものではないでしょう。
しっかりとそこに向き合うことで、自分の成長の種を発芽させることが出来るもの。
そして、その先にさらなる深い幸福が訪れる。
ではなぜ、目先の鬼は外?目先の福は内?
現代の、世の中の様子を見てください。
私のブログでも、2014年1月15日辺りの記事ではっきり分かりました。
実体験で導き出した答えが其処にあります。
節分は、今年一年の祈願を意味する。重要な節目です。
鬼を祓うか、しっかりと向き合うか。
どちらを選ぶかは、自分自身で決めることが出来ます。
ただし忘れないで下さい。
目先の厄を払っても、根本的な解決ができないでいると
さらなる厄が、気付いて欲しくてやってきます。もっと強い苦しみとなって…
⇒ 節分の話、続き
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- 2014年02月03日