信用

他者に対して信頼の気持ちを寄せるとき。
それは確かな繋がりを持ってる証ではなかろうか。

 
信用、=その人の性質を知り尽くしている。
こう動くことを知っていて、適材適所に用い、其れに合わせて自分も動く。

もはや期待など、不確定な要素なんてありやしない。
確信だ。余計な心配がない。自分の為すべきことに集中できる。

  

そう。きっとこれこそが確かなモノ。
その人の性質を知り尽くした上で、自分自身の為に活用していく。

 

思い返せば、信頼を寄せてる人から期待されたことなど一度も無かった。
いつも想定の範囲内で動いていたみたいだ。
 
されど自分の思いどおりに動けて、居心地がいい。

 

長所も短所も、、、使いよう。


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期待は裏切ってコそのもの

「期待してるよ」

親や上司、先輩が言いました。
そこに込められた願望とは何だろう。

 
考えた。

自分に対して、こうあって欲しいという願望を言ってきてる。
期待される内容、そこに自分の意志は関係しない。

もしも盲目に、他人のための人生を生きるならば、
自分の意志に反して、期待に応えねば…と思うのだろうか。

 
 
例えば、親の期待を一心に受けている子供は多いと思う。
この子たちは、その子自身の人生を生きていない。
他人の期待の為に生きてしまってる。という大問題。

それ故、無理にストレスを抱え込む。
他人の思惑に動かされる、奴隷としての生き方を記憶してしまう。
没個性、そして道を踏み外した時のダメージはでかい。けっこう深刻だ。

そもそも期待されて、よかった事例ってあっただろうか?
例えば万に一つ、周囲が自分を評価してくれたとして。

大多数の目線「すごいね。次も期待してるよ?」

 

で、期待に反したら「〜だと思ってたのに!」
勝手に幻滅してくる…
 

しかも自分を偽って期待に応え続けた期間の長いほど
周囲のそれに反した際の自滅具合が、無駄にデカイ。

期待した方は勝手に気が狂って怒り狂ってどんがらがっしゃ~ん(。0 _ 0。)ノ

 

(o _ o。)

目を覚ませば。他人の夢を生きても何も面白くないのに気づく。
周囲に何を期待されようが関係ないよ、

よっぽど、自分自身の夢や欲望を叶えようとする方が面白いし建設的。

 

他人の夢は、他人のモノ。
他人の願望も、それ。

こちらが無理に叶えるものでもない。
 

気分次第でいい。
それに期待とは裏切ってこそのもの。
よもや、最初から存在しないようなもの。

 

期待が消失してこそ、お互いに本当の人生が開ける。

自らの夢や欲望に忠実になることだ(。0 _ 0。)ノ


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期待しない

期待とは、自分の願望を他人に委ねてるようなもの。
そんな不確定なことに意識を費やしてどうするのか。

期待するだけ無駄が多い。

そう、自分でやったほうが早い。

 

 
他人には他人の生き方があり、自分にはない独自の視点がある。
故に、こうあって欲しい。。。と
自分の視点から物事を押し付けるのは微妙だ…


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共感できない世界に触れること

共感できない世界に触れること。
今まで一切触れてこなかった世界。新しい出会い。
他者と出会うとき、まず視点の違い、目指してるところの違いを感じる。

初めての彼らのお話は、今までの自分の目線では満足に理解できない。
もし理解しようと思えば、彼らの目線に立って言葉を解釈する必要がある。

 

彼らは、物事をどのように捉えているのだろう。
その言葉で、どんな意図を伝えようとしているのだろう。

共感できない世界に触れるとき
もし理解したいと思えば、彼らの目線に近づくことを試みる。
そう思えば、新しい世界を存分に味わうことが出来る。

自分の視野を広げるチャンスにもなる。

 

もし興味のない世界だったら?

拒絶するなら話は簡単だ。
無視すればイイ。関わらなければイイ。

間違っても、そこに議論の余地など無い。

 
その分、もっと心躍るような世界の扉に意識を向ける。


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運はどこで決まるのだろう

こんな話がある。

運の良い人と付き合うと
自分にも運の巡り合わせが良くなる。

と。。。

逆に運の悪い人と付き合うと
自分の運勢もやや落ち込む…と

 
相対的に見た時。
運の良さというものは、グループ内の良い人から悪い人に流れて
グループトータルで見たら、運の総量が変わらないように思える。

 

もしもお金でたとえるなら。

お金持ちの人と付き合うことで
自分のお金の運は上昇する。

逆にお金持ちの人にとっては
お金の運を少し使う代わりに
何か別の運をその相手から頂いてたり
するのだろうか。。。

 

あらゆる運は、どこで決まってるか?
それは、その人が何を目指して行動してるかで決まってると思う。

見てる場所、意志の問題。
運は、その一点から運ばれてくる結果だと思っている。

 

同じグループ内でその人と一緒に過ごす時
少なからず、意思は同じ方向性を向くのだ。
それによって、運という結果も混ざり合い、
お互いが平均値に近づくようになるのではないか。

 
このとき本当に、運の総量は変わらないのだろうか?

同じ場所、同じ空間、同じ時間を過ごす。
グループ内、空気が混ざり合う。

本当に…?

もし、一人だけ違うことをしてたら?

 
 
運はどこで決まるのだろう。その場を観察する

あの人がこんなことを考えながら生きているから
今、あの人の姿がこのように現れているということを

観察する。

 
色々な悩み事やささいな出来事が、ある時
その空間内に集まってるのが見える。

「私ってどうしてこうなんだろう?」

そんなふうに呟いてる人がいる。 
。。。。(‘ ‘*)

 
同じグループ内の人が悩んでたら、単に励まし合うしか無いよね。
みんな同じ方向性向いてるから、たぶん問題点って見えない。

運は、その人が何を意識し、何を思って生きてるか。
その結果が現れていること。外から見るとよく分かる。

たぶん、自分自身のことも外から見れば…

 
こんな詩を思い出した


私は人並み以上にモノが見えます
どこを見るべきか、知ってますから

集団の外から、どこを見るべきか伝えるだけで。
グループ内の運は増えるよね。伝えた人は感謝されて終わり。
すると全体の運の総量は増えてるような気もする。


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