お医者さんから学ぶこと

⇒ 医療費高すぎ・・・(o _ o。)

 
このことから学びます。
こりゃ、病院に行くのがもったいない。。。と。

 
お医者さんは、基本忙しくしたくないです。
富生まれないし。それに、みんな病院行きたくないと思う。
国民総生産的に、医者が手を下す部分は0が望ましい。

以前、私の周りの一部では
ワクチン問題とかガンの問題とかところどころピックアップして、
医療業界に対する不満をぶつけてるような風潮もありました。
いや、実際はそうじゃなかったかもしれませんが

 
「ワクチンは打つな!害でしかない、陰謀だ」
「がん検診はガン患者を増やすためにあるのだ」
「ピンクリボン運動は罠だ、苦しみしかもたらさない」
「抗生物質は飲んだらいけない、危険だ」
「医者が患者を殺してる〜」とか本もあったような…

 
あたかも医療施設側の陰謀みたいに受け取ってしまってたものでした。
でも、実は。そういう表向きの部分は始めから問題ではなかった…と

今になって考え直します。

 

これまでの世の中は、医療制度に甘えすぎていたのです。
病院に行けば直してくれる。医者に見てもらえば大丈夫。
そんな甘えが、多くの人の自己管理をずさんなものにさせたのです。

どれだけの人が、自分の身体のことに無関心ですか!?
 

それどころか崖に向かって走っても、空中でキャッチしてくれるよとか云って。
みんなどんどん爆走しちゃえ〜♪で、スリル満点ひゃっほう〜♪
きっと医療業界に掛かる負担半端無かったのですよ。

 
でももう、お金がありません。
そんなところに使うお金がないです。
無駄なところに使うお金が一切ないです。

貧富の差が極端になる今からのご時世
病気になったら死に直結するくらい、絶望的な状況になりそうですよ。

病院とか、お金がなくて無理です。
国の制度も、借金まみれでだんだん審査が厳しくなってくると思います。
もう保険適応とか控除とか通そうとする気力のほうが虚しくなってくる。

 
こんな状況に陥ったら、選択肢はただひとつですよ。
自分で健康維持が大前提、それをするのが当たり前の時代になってきます。
 
今までがバカ過ぎたのです。
 
 

お医者さん、最初は「命を救うため」に頑張って医学部受験して
多くの大変な勉強を積み重ねて、現場の経験も積んで、やっとの思いで今の立場を築いた。
そのお医者さんが、患者さんをベルトコンベヤー式の部品としか見なくなった原因って何処にあるんでしょうね。

 
看護婦さんも、介護士さんも、なぜか不足してるじゃないですか。
こんなにたくさんの病院があるの、患者さんの数は一向に減る気配がない。
みんな大変な思いをして働いているのを私は見てきました。でも追いつかないんです。

どうしてなんでしょうね。

 
こういうの何とかしようと気づくきっかけとして、コンテンツを書いてもいた。

論点は、日常生活を取り巻く食品添加物とか化学製品とかが原因だと思ってました。
で、そういった業界に対して「此処がマズイ」と否定的な意見も若干入りました。

実際どうでしょう…

 
どうも、少しずれてたみたいなんですね。

バリバリ現代的でケチな食生活送ってても、元気な人は元気だし。
逆に、どんなに自然にこだわったオーガニックな食生活でも、病気っぽい人はすぐ病気になってた。

両者の違いは置かれてる境遇のせい? 意識の違い。

「自分で何とか出来るか?」
「何かあっても人任せか?」

 
ここがポイントだと思えてきた。

自分の選択に責任を持てる人は、選んだ道がどんな選択でもその人にとって望んだ結果をもたらすのだと思う。
何の問題も発生しない。
 
逆に人に流されたり、薬に依存したり、人生の選択を他人任せにしてしまうのでは、
以前の私の会社のように見当違いの方向に流され、大きな負債を残してしまうのだろう。と。


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サーチュイン遺伝子

サーチュイン遺伝子(別名:長寿遺伝子)

これも、本来自然に備わってる人間の機能なのだと思う。
曰く、腹6分目くらいに抑えることで、老化のスピードが著しく抑制されるのだとか。
長生きするメカニズムを、空腹の状態が呼び覚ますようです。

空腹??

 
いえ、そうじゃないか、も。

人が生きていく本来の状態が、今で言う「腹6分目」なのかもしれない。

 
食べないことで、
人は目の前にあるものをもっと活かそうとするだろう。
生きるために。身近なモノにもっと入念に目を向ける。

それこそ、霧や霞ですら栄養として取り込めるような、
そんな精神状態にまで鍛えるのかもしれない。

 

もっと、自然の恩恵に耳を傾けて
光を、その恩恵を与えてくれる優しさと思いを汲み取って
受け取ったものを100%それ以上に活かすことができれば

大きな存在も嬉しいだろうと思う。
はやくに、本来の生き方に立ち返って欲しい。
そう願ってると思う。

今は、目先の様々な楽しみ事が、そういった目線を阻む。
目の前に代替え品がたくさんあって、そちらのほうが食べやすいから。
そっちに流れる。食べやすいから、たくさん食べる。

それが生み出されるまでのエネルギーを顧みず。
その源が見えなくなると、人は横暴になる。

 
横暴というか、目隠ししたまま崖めがけて突き進んでるような感じだろうか…
見えないからこそ、自分の生命に関わるようなことも平気で出来る様になる。
目先にとらわれて、手軽な享楽に甘んじて、派手に燃えて消えていく人たち。

そうやって一時的なモノに視界を狭まれることを選択していながら、
後になって人生こんなもんだと勝手に諦めてしまうようでは
人生報われない。また同じ過ちを繰り返すというのか。

見えてない、見えてないのは、眠ってるのと同じ。
サーチュイン遺伝子の状況と似ている。

 

おちついて。おちついて。
かつてない障害がやってくるのは。
もっと大きな視点から可能性の扉を開かせようとしているから。


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無料レストラン

そこにはレストランみたいなものがある。
人の作ったモノより、もっと以前から存在してた。

今も私たちの目の前にあるのだと思う。
でも、多くの人達が気づかないまま通り過ぎてるのだと思う。

今は、もっとわかりやすい形で人が作った「レストラン」がたくさんある。
だから、そこに人が流れていく。参拝するにつれてそれが習慣化すると。
少しずつ、以前あった原初の形態を忘れてしまうのだろうか。

 
飲み物はミネラルウォーターを買うのだ。
これも、人が作ったレストランの恩恵だと思う。

惣菜は店で買う。
これも、人が作ったレストランの恩恵だと思う。

ご飯もレトルトを買う。
これも、人が作った…

 

水は、以前はそこにあった。
今も目の前にある。雨水。

惣菜は、目の前にある。
春は、野草が美味しい季節。

ごはんは、山や海にいく
木の実や魚が捕れる。

 

今、目の前にあるもの。
それを、いろいろなモノたちが見えなくする。
お金が使えなくなった時、目の前の自然の恵みを思い出させてくれる。

そんな気がしました(o _ o。)

 

10日前の乳酸菌の記事が、その身近な例です。

少食になって気づいた乳酸菌の真価


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無償の愛は存在しない

数年前余裕があった頃、このサイトを立ち上げた。

動機は、力になりたい人がいた事。
お世話になった人たちに、何かしら貢献したかったこと。
そして周りの人たちが綺麗な人でいっぱいになればいいな。
そんな想いがあって、作りました。

確かに今、何人かの力になれたとは思います…
そして私なりの真心は込めたつもりでしたが、
逆になんだか私自身が思わしくない状況に有ります。

何がいけなかったんだろう…
振り返ってみた時、このような言葉に引っかかりました。

 
「無償の愛」「見返りを求めない愛」

この言葉が、私を今の状況に追いやった。
と言えるかもしれないと考えさせられました…

 
愛って、相手があってのものだと思います。
愛することで、相手の可能性の扉をトントンって呼び覚ますことが出来る。
相手を認めること、存在を認めること、相手の未来を光で照らすこと。

そういうのが、私は愛だと想っています。

 
以前お世話になった仕事関係の人やマスターや先生方は、
そういう意味では確かな愛をもって接してくれていた。

だからこそ私は自分自身で気づきを得ることが出来、
ここまで成長することが出来たのだと思う。

 
そういった教えを受けて、
私自身もこのサイトで出来る限りのことをしてきたつもりでした。

 
そんな中でこの言葉…

「無償の愛。見返りを求めない愛」

 
たぶん当時余裕あった?からこそ、こんなことが言えたのですが
この言葉どおりの実践は、どうやら間違っていたようです。

 
見返りを求める、つまり。。
何かを人にしてあげることで、その人にこうして欲しいとお願いすること。
これが、自分のエネルギーを責任持って「活かすこと」だと思い直しました。

 
私は当時、「助けたい。本人にとってベストな選択を選んで欲しい」
そんなふうに思いながら、サイトを作ってたんですよね…
直に何も要求しない。それから、見返りいらない態度も示してました。
今みたいに、プロフとか名前も出してませんでした。

訪問者さんにとってはどう感じるでしょうか…
目の前の情報に、有り難さなんてありませんよね?
誰が書いたかわからん。信憑性もない

書いた人の想いはどうであれ、伝わりづらい…
私自身、無責任だったんですよ。
 

私が、当時助けたかった人に対してさえ
見返りはいらんとか、好きな道進めば良いとか言い放って。
直に何かを要求したりはしなかったんですよ。

ある意味、見返りを認めてなかったといえるでしょうか。

 
こちらからやれるだけのことをやって、後は知らないとか、
今にして思えば、自分のやったことにどう責任を持つつもりなんだ?
という感じですよね…

ひどすぎますよね…

 
まぁ、案の定。私自身も消耗していきますし…(o _ o。)
時間も、お金も、意志も。

それからたぶん、助けたかった人にとっても
私が見返りを受け取らない姿勢では… 私との関係性に何が残るのか…
してもらうことが当たり前だと思うしかなかったのではないか。

そうなると、相手の自主性、感謝の気持、能力を発揮する機会を奪い
結局、何もしてないのと同じになってたのではないか。。。
むしろ、自分ばかりキツくて、相手にそのつもりがなくても
共に最悪のパターンに引きずり込まれただけではなかったか…

 

。。。

 
それと、こういう体験もしました。
自分が、こういった責任のない親切心を振りまいていると
相手のしてくれたこと、親切な愛情に対して、
 
私自身が何も返さないという選択をしてしまうことに

 
「愛は無償」は、受け取る側からしてみれば
やってもらって当たり前、という意識を植え付けてしまうじゃないですか。
それから、私は無償の愛をモットーにしてるから、あなたもね?
なんて他人に強制してしまいがちなのも…(;;

 
ありえませんでしたよ。。。

せっかくのしてもらったことに対し、誠意をもって応える機会がなくなる
好意を無駄にしてしまうのですよ。親切にした方も辛いじゃないですか…
気付かずにそうやって相手の好意を無駄にしてきた自分にも腹が立つ。

自分ひとりで生きてるわけじゃない。
 

愛は認め合い。一方通行な無償の愛なんて存在するわけないのです。
愛情をもって接するその姿勢に、どれだけの想いが込められているのでしょう。
それを見返りを求めないなんて言葉で、片付けてはならない。
想いを無駄にしてしまう。

 
それに本人にとってもそんなことを続けていたら、いずれ何もやってこなくなるでしょう。
する方も、受ける方も、これでは浮かばれません。

 
無償の愛は、その場はキレイ事に見えて
実は、双方の繋がりを断つのにふさわしい言葉だと思いました。

 
実践した結果が、今の状況ですよ。
あくまでも私自身の体験談でしかありませんけど。

あの時確かにあった、自由なエネルギーが
こんな無責任な言葉を選んでしまったことで、気枯れし
また建てなおさなくてはならなくなった。

誰がそんなこと望みましたか?

 
 
私は、無償で誰かの役に立ちたかったのでしょうか。

そうじゃない、私は生きたかった。
時代の変化が求める方向にいち早くシフトしたかった。
自給自足、広大な自然、そこに慎ましやかな棲み家を構えて
物語を書いたり、音楽を書いたりして、生きたかったのです。

出来るならば、愛する人と一緒に。

 

 

 
結果、自己犠牲は何も産まない。
さんざんな結末となって、今があります。
 
ここに気づいてから、これまで作ったコンテンツに対して
大幅な修正をする必要があった。

だって献身的な姿勢とか要らないし、むしろ害でしかなかった。
それだけは絶対に避けなければならない。読者さんに間違って伝わってはならない。

 

それに一番災難なのは、親切にしたつもりの相手の方でしたよ。
本当に、今思えば、もっと適切なやり方があった。とすら思うし。

今更だけど…

 
間違いに気づいてからは、何とか…
良い方向に進んでくれたみたいで、そこは安心しました。

次は私の立て直す番ですね…

 

それにしても。。。

 
無償の愛、これほど報われない言葉はない(o _ o。)


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乳酸菌から学ぶ、ネット情報の信頼性

前回の日記より ⇒ 少食になって気づいた乳酸菌の真価

 
この自分で育てる米のとぎ汁乳酸菌についてなんですが。
ネットでは、どんな情報が出回ってるでしょう?
検索してみました。
 

「米のとぎ汁乳酸菌」で検索した時、2014年3月現在で1番上にヒットするページがコレ

http://togetter.com/t/米のとぎ汁乳酸菌

 
そして2番目のページがこちら

http://blogs.yahoo.co.jp/tisane8/4275992.html

 

見事に、反対意見派と実行派に分かれている。
検索ワードを絞ると、その傾向が顕著に出ます。

「米のとぎ汁乳酸菌 危険」
「米のとぎ汁乳酸菌 作り方」

 
もはや住む世界が違うレベルです。
インターネットでは、たびたびこういった現象が起こりますね。
そんな中で、自分で情報を選り抜いていく必要がある。

 
どうすれば、最善の選択ができるか?
そこで私の経験と照らしあわせて、ちょと考えてみました。

過去記事 ⇒ 「人の意図するところをみる」

 
お恥ずかしい私の体験談です。
要約すると、相手がどういった目線、どういった立場をもって言葉を発してるか?
を、自分のそれを照らしあわせて検証する必要がある、です。

 

乳酸菌の例に戻ります。
反対派の人は、どういう目線や立場で反対してるのか。
実践されてる人は、どういう目線や立場でそれを実践出来てるのか。

少し、想像してみますね…

反対派の人

まわりが健全な発酵環境にない。或いは、そういう中で人生を生きている。
白米のとぎ汁に食塩とか。反対派の人達にとって乳酸菌発酵はありえないもの。
普通に考えて腐るだろ?もはや意味がわからないし、やってる奴らを理解できない。
字のごとく基地外。自分の常識の範囲内が世の中の全てだから、これは悪だ!偽情報だ!デマだ!
なんとしても阻止したい。

 

実践されてる人

成功しました(。◕ ∀ ◕。)ノ これめっちゃいいわ〜.。.:*・゜

 

 
はい。。。

私は実践してる側の人間なので、反対派の立場は何となく。
想像でしか語れない部分ありますが… どちらも正しい面をもっていると思います。
本人たちにとっては、実際にそうなってるのですから。
 

インターネットの情報の信頼性。
正しいとか、間違いとか、あんまり考える必要ないかなって思いました。
それよりも自分にとって、合ってるのか合ってないのか…でしょうか。

 

歯磨きについての事例

そういえば最近、FBの方で歯磨きに関する話題が出ておりました。
何でも、こういう内容です。

間違いだらけの予防歯科、10の疑問

・歯磨きはむし歯を予防するの?
しません。

・フッ素はむし歯予防に効果があるの?
ありません。

・シーラントはむし歯を予防するの?
しません。

・マウスウォッシュ剤は効果あるの?
ありません。

・歯間ブラシやデンタルフロスに効果はあるの?
ありません。

・むし歯はむし歯菌が原因なの?
なりません。

・歯周病は歯周病菌が原因なの?
なりません。
・歯並び・咬み合わせの異常は遺伝なの?
なりません。

・良く咬むことが不正咬合の予防になるの?
なりません。

・定期検診はむし歯を予防するの?
しません。

「歯医者が虫歯を作ってる」より一部抜粋

 
スゴイ端的に抜粋されてます。
さて、表面だけ見て、これを全ての人が真に受けるとどうなるか…

…虫歯増えそう(o _ o。)

 
いや、言いたいことは少しは分かるつもりです。
口内を乳酸菌などの善玉菌で優位に立たせれば、健全な発酵環境にすれば
虫歯の原因になる悪性菌は寄り付かない。故に虫歯は出来ないのだと…
私なりにそう解釈してます。(意図するトコはまだ隠れてると思いますが)

 
私も、自分で作った乳酸菌を直飲みしたり乳酸菌で口を濯ぐようになって、
口の中の環境が改善されたように思いますから、きっと正しい一面だと思ってます。

 
 

が、これ。物事には段階というものがあって。
まず、口内を健全な発酵環境に整えることが第一なんですよね。

 
一方で、ケーキとか菓子パンとか揚げ物とかスナックとか脂こってりのご馳走とかで
腸内悪玉菌増えるような食生活+善玉菌殆どいないような環境だったら。。。

歯磨きしないと死にますものね…
虫歯だらけになると思います…

 
自分の立場はどちらにあるのか。どの情報が自分に合ってるのか。
しっかり吟味しないとですね。
何も考えずに情報に流されてると、あとで痛い目みる。

気をつけなきゃです。

 

。。。
 

サイトのコンテンツを書く立場として

さて、ここからは情報発信者としての考察。

どんなに良い情報も、やっぱりタイミングというものはあるようです。
広まっていいタイミングというのがですね。

それには、情報が受け入れられる体制を整える準備がいる。
乳酸菌の例で言えば、発酵環境を整えること!です。

受け入れ体制無いのに無理やり広めようとしても、
せっかくの有益な情報が、一般大衆の常識に潰されてしまうようです。
そういうものなんですよね…きっと。

しかるべきタイミングで、求められるコンテンツが広まる。
世の中よく出来てると思います。


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